2021年01月18日

過去を引きずったいま

昨日は、阪神淡路大震災から26年目。

光陰矢のごとし、早いものです。

1995年1月17日午前5時46分、観測史上最大の巨大地震が阪神淡路を襲った。

あの日は、大駱駝艦『雨月』大阪公演の稽古だった。

稽古場へいってテレビを観て、その状況に驚いて実家へと電話したけれどつながらなかった。そのあとも、東京にいたので被害の状況は報道で垣間見るだけだった。

どんどん増える死者の数を単なる数字としてショッキングに扱うメディアに腹をたてていたのを覚えている。

6434人のひとりひとりに、家族があって家庭があって恋人がいて友人がいて人生があったのです。さまざまな別れの数々。その中でも子どもとの別れほどつらいものはない。

高井ちずさんは、当時1歳半だった将君を失った。

帰省中に地震が発生。西宮の実家は全壊し、将君は倒れてきたタンスの下敷きになってしまった。運ばれた病院で懸命に心臓マッサージをつづけたが、将君のからだはどんどん冷たくなっていった。

息子を助けてやれなかったじぶんを責め、飛び降りたら死ねるかな。と思いつめる毎日。

あるとき、生き残った長女が「しょうくんとわたし、じしんでどっちがしんだらよかった?」と聞いてきた。

娘を悲しい気持ちにさせていたじぶんに気づき、それ以来ちずさんは、なるべく笑顔を見せて生きていこうとこころに決めたという。

森本由美さんは、当時1歳1ヶ月だった武史君を失った。

灘区の由美さんの家は2階部分が崩落、1階の部屋にいた由美さんは奇跡的に隙間にからだがはさまり助かった。助け出された彼女は「息子は?息子は大丈夫ですか?」何度もなんども周りに確認するが、みんな黙ったままだった。

武史君に外傷はなかった。

病院やそのあとに運ばれた遺体安置所では、武史君のきれいな顔をみて「かわいい赤ちゃんやねえ。」とみんなが声をかけてくれたという。

誰かを亡くしてじぶんだけが生き残るという災害や戦争で起こる悲劇。

井上ひさしさんの戯曲『父と暮らして』は、広島の原爆で助けられなかった父親や同級生にすまないとじぶんを責めながら生きる娘さんのお話でした。

なぜ、じぶんだけ生き残ってしまったのか・・・

井上さんは、自問自答する娘に亡くなった父の亡霊という存在を与えて、対話し励ましときに激怒しながらこころをなぐさめ癒していく。

じぶんを許してあげなさい。そうして亡くなったひとのぶんも幸せになれ。父親はそう叱咤激励する。

「亡くなった人は"もうこの世にいない“のではない。わたしたちは"ふり返ればいつでも彼らがいる世界"に生きているのだ。」by Genichiro Takahashi.

由美さんは離婚や「死にたい」という危機を乗り越えて立ち直り、柔らかな表情で笑えるようになっているそうです。

将君も武史君も生きてれば27歳か・・・お母ちゃんたちはいま、笑顔でおるで。

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弟弟子、松田篤史も被災。轟音と悲鳴で目が覚めたら天井が目の前にあった。そんな松っちゃんの処女作品がオンデマンド配信される。

参照・引用:毎日新聞 2020年1月17日 朝日新聞 2020年1月17日
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:12| ブログ?