ちかい将来に、スポーツにおいて性別で差別するという常識が変わるかもしれません。
陸上女子で先天的に男性ホルモンの多い選手が、不当に競技から排除される例が出てきているというのです。
これだけ性が多様化している現代、女と男で差別すること自体がおかしいのではないのか。と問題になってきている
からだが男でもこころは女性のひともいれば、からだが女性でもこころは男のひともいる。
またもっとちがう想像もつかないような曖昧な割り切れない感じのひともいるでしょう。個人差のある多様なひとのからだを性別で線引きするむずかしさ。
スポーツの世界で差別がなくなり平等になるのはいいけれど、それでは男ばかりが優勝するのではないか?そう心配するひとたちもいる。
そうなるかもしれないし、ちがうかもしれない。
100メートルでは黒人アスリートばかりが優勝するけれども、競技とはそもそもそういうものでしょうと思う。無差別こそが競技の醍醐味、黒いひとのなかに1人だけ黄色がいたりするからこそおもしろい。
大リーグはそのむかし、黒人リーグと白人リーグに別れていたそうです。いまではとうてい信じられないことだが、ほんの50年前はそんなことをしていた。
あと50年たったら女性と男性で差別していたなんて信じられない時代が来るのでしょう。
オリンピックとパラリンピックで差別するのも腑に落ちない。
障がい者差別はやめなければならないと世界的に声を大にして叫ばれているのに、公衆の面前で堂々と差別しつづけている。
これも差別するのが、いわゆる健常者といわれる側のひとたちだからです。見えすいた美談や同情や憐憫という偽善をやめなければならない。それを感動的に演出して企業の宣伝に利用するなんてもってのほか。
差別するのはどんなことでも、とにかくやめなければならないのだと思います。
そのためには思い込みを捨てて、前提を疑っていくことが肝要。
男が働き女は家で家事をすることが前提でつくられている社会、歩けることが前提でつくられている街、目が見えることが前提でつくられた駅のホーム、etc...etc...
日本全国の中学で制服をなくす学校が増えているそうです。男だからズボン、女だからスカートという思い込みと決めつけを疑う柔軟なあたまをもった子どもたち。
そんな子どもたちがつくる未来に期待。
前提をなくすためには、じぶん以外のひとの状況に思いをはせることも肝要。
世界を変えるのは想像力、イマジンなのですよ。
『美輪明宏さん』おとことかおんなとかとっくに超越してる。
参照:2020年12月18日 東京新聞