ブダマツが外から声をかけると、シンイチにはわからないことばがなかから聞こえた。
ひかりの向こうから低くしわがれたやさしげな声がひびく。
新入りです。ブダマツが日本語でいうと、入れ。と声はちいさく答えた。
ブダマツにうながされて障子のようなものを注意深く押すと、ゆっくりと開く。
なかは薄暗くて甲冑や鎧、槍や刀がずらりと並んでいて怖しかった。いちばん奥の暗がりに光がともっていてゆらりとなにかがうごめいた。
その影はゆっくりとうごくとこちらを向いた。影がどんどん大きくなる。怒髪天のような髪の毛を逆立ててシルエットになっている。影になってよく顔はわからなかった。
その影が、いまおとこはいらねえんだよなあ。としわがれ声でつぶやいた。
わしらはブトウというものをなりわいにしている。聞きながらはじめて聞くブトウというものがどんなものなのか想像してみたが、まったくわからなかった。
さっきあんたはおどっただろう。シンイチとおなじぐらいの歳なのか、マスター マエストロ エムと呼ばれる男は言った。はい、とても恥ずかしかったです。そうだ、恥ずかしいのはいいことだ。恥ずかしさのないものは下品なだけになる。
エムはカチンとオニの払い下げだというジッポライターを鳴らして火をつけうまそうにタバコを吸った。
そういうものか。シンイチにはわからなかった。
そのあとシンイチをよそに、エムとブダマツとホフムラで長いこと真剣になにかを話していた。と思っていたら爆笑したりしてわけがわからない。
シンイチにはわからないことばなので、お経でも聞くようにぼんやりとその光景を眺めていた。
なぜか奥の暗闇に老婆がいる気がした。
それにしてもあんたはひどい格好をしてるな。ブダマツ、彼にツンをやれ。エムは最後にそうニホン語で言うとゆっくりとゆっくりとふたたびうしろを向いた。
からだがあればいいんだよ。
部屋を出ようとするシンイチに、そうエムは背中で語りかけた。
忘れるようなことは要らないことなんだよ。
次の瞬間・・・
マスター マエストロ エムのことばが、あたまのなかへと止めどなく流れ込んできたのだった。
『M』