2021年04月04日

せんそうのあしおと

1945年4月、アメリカ軍が沖縄へ上陸。

沖縄戦のはじまりです。

沖縄県内の高校教諭らでつくる沖縄歴史教育研究会が、県内の高校2年生を対象に5年ごとにアンケートをおこなっている。

去年おこなったアンケートでは、沖縄戦を学ぶことについて「とても大切」と答えたのが68%で「大切」の27.5%とあわせると、95.5%をしめて過去最高となった。

いっぽうで「家族や親族で沖縄戦について話してくれるひとはいますか?」との問いに2010年が40.5%だったのに対して、2020年は30.3%に減っていた。いないと答えたひとは、52.2%にのぼった。

目をおおうようなむごたらしい惨劇を極めた戦争の体験を、語ってくれる身近なひとが急激に少なくなっている実態が明らかになっているのです・・・

「沖縄人は皆、スパイだ」

沖縄県宜野湾市の大城勇一さんは11歳だった、75年前に日本兵から吐き捨てるように言われたことばが忘れられないという。

「捕虜にいくときはうしろから手榴弾を投げて殺してやるから覚えておれ」日本兵はつづけてそう言った。

狭い島で軍人と民間人が入り混じっておこなわれた沖縄戦では、多くの住民が日本軍からスパイの疑いをかけられて犠牲者も多数でた。方言によってことばが通じにくいということも、原因としてあったようです。

那覇市天久の壕でのこと。

大城政英さんが、壕の入り口のひとつを開けると「誰だ!」と中から日本兵の声がした。

「避難民です」と言うと「何、避難民か。うごいたら撃つぞ」とおどされ、出てきた日本兵たちが大城さんを上半身裸にして電話線でうしろ手に縛った。

日本兵は「貴様、スパイだな」と繰りかえすばかりで「ちがう」と何度言っても信じてもらえなかった。

どうにもできずにいると、3日前に別の壕で話しをした日本兵がいて「このひとのことは私が保証する」と口添えしてくれて、ようやく解放された。

その直後、同じようにスパイの疑いをかけられた沖縄の青年が、日本兵に連れられ壕から出ていった。10メートルも行かないうちに銃声がし、振り向くと青年は撃たれて倒れ、死んでいたという。

「前も後ろも敵だったが、途中からは日本兵の方が怖かった。戦争になったら人間が人間じゃなくなる。」

そう大城さんは語るのでした。

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『The Rising Sun Flag and Skulls 2021』

参照・引用:2020年6月23日 毎日新聞 | NHK戦争証言アーカイブス『沖縄戦の絵』「スパイ容疑をかけられた私」NHK 沖縄放送局
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:05| ブログ?