2021年05月01日

光栄な共演

昨日は今回の上京の最後の用事の顔合わせと打ち合わせへ。

出かける前にお会いする巻上光一さんの映像を拝見。

ほんの数秒観ただけで、ほんものだとわかって感服。

パソコンで映像を観るのは面倒だしあんまり好きではない。けれども一瞬で良いか悪いか伝わるこういうこともあるので決してあなどれないのです。

ヒカシューというグループとともに名前はもちろん知っていたけれど、どんな音楽をやっているかは恥ずかしながら知らなかった。

おもにアンダーグラウンドな世界で活躍されていたようで、シベリアに伝わる喉歌『ホーメイ』の第一人者でホーメイを日本へと紹介したひとだとか。へえ、そうなんだ。

巻上さん、雑談好きなおもしろいひとだった。じぶんも雑談は大好きなので打ち合わせが終わらない感じだった。

『戦場のピクニック』に出演したとき作者のアルバールに痛そうな顔が物足りないと、スペインの刑務所で覚えたというワザをかけられて小指が折れてしまった話しが印象深かった。

普段は熱海に住んでいて、近所には日本人ではじめて作品に1億円の値段がついた現代美術作家の杉本博司さんが住んでて家に能舞台があるとか。

舞台の背景が熱海の海で朝日をバックに演奏してくれと依頼されてやったが、杉本さんはカナダに行っていていなかった・・・

「話しのスケールが違うなあ。」と聞いていて思った。

最近、即興がうまくいかないという話しをしたら即興のできるミュージシャンがいないのだと話してくれた。なるほど、じぶんだけのせいでもないのだな。そんな音楽家たちのために即興を教えるワークショップをやられているそう。

いままでにどんなダンサーとやったかを聞いたら、いちばん多いのは室伏鴻だと聞いてびっくり。

はじめては、室伏さんが主宰していたグループ『背火』が本拠地としていた福井に呼ばれていっての共演で、即興でやるのかと思ったら「馬鹿野郎、即興なんてできるかよ。」と言われたそうです。そのあとも何回か一緒にやったとか。

企画の全体像がメールを読んでもよくわからなかったけれど、打ち合わせをして話しを聞いていたら2年にわたる壮大なもののようで素晴らしい。

室伏さんと一緒にやっていた巻上さんと、ときを超えて共演するのもなにかの縁。

「光栄です。」

セレクトしてくれた方たちにも感謝。

8月に巻上さんの音楽でじぶんがソロで踊るのですが、胸を借りるつもりで思い切って参ります。

巻上さん率いる『ヒカシュー』大岡信賞贈呈式でのパフォーマンス
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2021年05月02日

淡路舞踏社、始動

いま湯山大一郎が淡路舞踏社に滞在中。

じぶんは東京で足止めを食っているので、うらやましい。

今回は家から舞台へと下りる三和土・タタキの部分の作業をやっていました。無事に完成したみたいで「これで夜もあばらを折る心配なくタバコが吸えます」と連絡あり。ここには公演のときはお客さんを入れるのです。

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完成した三和土部分。

5月14日に京都でやるというライブのひとり稽古もしています。完成した野外舞台がいよいよ始動です。思う存分稽古を楽しんでくれ。

イベントの企画者は映画監督の佐藤訪米。

じぶんと訪米とは20年以上の付き合い、はじめて会ったのは東京の高円寺で彼は「映画を撮るぞ」と意気込んでいた。そのあと初監督した映画『京極真珠』が完成して披露パーティーに呼ばれて京都まで踊りにいった。

事務所にいったら若者がたむろしていて、梁山泊の様相をていしていて興奮。その後、京都南座の裏にお店をかまえて夫婦でおでん屋をやりはじめ、京都へ行くたびに立ち寄っては呑んだくれていた。

そうして、いまの場所でラーメン屋『みみお』を開店。

2018年に夏祭りで踊ってほしいと依頼をうけて冷房のないラーメン屋の2階に滞在して毎日汗だくになりながら生活、さらに湯山と金粉ショーをやって重度の熱中症になって全身痙攣で死にかけたのでした。

音楽はビッグバンド『渋さ知らズ』のダンマス、不破大輔さん。

不破さんにはじめて会ったのは27年前。上野でやった『コンチクショウ!』という野外劇のときで不破さんはバンドマスターをつとめていて、こちらはお手伝いで入っていた。

打ち上げで作・演出の呉さんと、とつぜん乱闘をはじめて怖ろしかったのを強烈に覚えている。

そのあと何度もご一緒したがこちらはいつもその他大勢のうちのひとり、不破さんはいつもバンドリーダーだったので話しをしたこともなかった。横浜の野外でやった風練ダンスの公演でも一緒だったが、やはり遠くから眺めるだけで怖ろしいのは相変わらず。

大駱駝艦から独立してやっと認められたのか最近は、だんだん話しができるようになってきている。

そんなツワモノたちに囲まれて湯山が踊ります。

京都ではすでに何回か踊っていて、ただいま絶賛売出し中です。

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Photo:schloss brollin e.V./Peter van Heesen
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2021年05月03日

Constitution Memorial Day

「なんだか各新聞が憲法について1面で扱っているなあ。」

そう思っていたら今日は『憲法記念日』なのでした。

1945年12月、民間の憲法研究会による新憲法案がGHQに提出された。

それは国民主権や労働権や男女平等、学術や教育の自由の規定もあるもので内容はいまの日本国憲法にそっくりだった。

GHQは強い関心を示したという。

戦争放棄を記す9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し・・・」とはじまるが、これはGHQの案にも日本政府の案にもなかった文言だった。

法律家の鈴木義男が「平和が道徳で終わらないように」という信念のもと提案。

1947年5月3日、さまざな紆余曲折とドラマを生みながら国外と国内の叡智が合わさり人類の理想を詰め込んだ平和憲法は施行された。

天皇の戦争責任を問おうとするオーストラリアやソ連などでつくる極東委員会が再検討を促したが1949年に断念。

新しい平和憲法への日本国民の圧倒的な支持があったからだそうです。

それから時を経て・・・

憲法記念日に合わせて新聞各社が独自にアンケート調査を実施。

朝日新聞が実施した調査では憲法改正に賛成が45%で必要ないが41%。毎日新聞では憲法改正に賛成が48%で反対が31%。読売新聞では憲法改正に賛成が56%、改正しないほうが良いは40%だった。

覇権主義的なうごきを強める中国への警戒感が、憲法改正賛成への意見を押し上げた可能性があるとか。

いっぽう産経新聞は一面に菅首相が自衛隊を憲法9条にしっかり位置づけることを選挙公約にしたとスクープ。

産経新聞は平和を守っているのは憲法第9条ではなく武力の抑止力であり、それを拒む9条は不要であり「戦力不保持」を定めた9条2項を削除して、自衛隊を軍と位置づけ、軍の保持を認めることが憲法改正のゴールだと主張。

その主張の理由となっているのは、やはり中国の膨張と脅威だそうです。

同時に櫻井よしこ氏の『美しき勁き国へ』と題した、憲法改正をうながす菅首相への檄文を掲載し異彩を放っていた。

憲法が時代とともに変わっていくのはあたりまえ。

日本の憲法も74年たったいま、変わるのは自然なことなのかもしれません。

けれども国家のためではなく国民のために憲法が変わっていくことが大前提なのでしょう。

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『すべてのひとが笑えるために』

参照:2021年5月3日 産経新聞、読売新聞、東京新聞、朝日新聞、毎日新聞
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2021年05月04日

生い立ちリターン、13日の金曜日

木谷家はむかしはお金持ちだった。

なので都志の旧家はとてもいい家屋だったようです。

屋根裏は火事がおこってもぜったいに火が廻らないような造りになっていて、大工さんも驚いていたとか。

「ほんとうに壊してしまうんですか」と残念がっていたそうで、建築家だった父親も「あれは惜しいことをした」といまだに残念がっている。

現在だったら旧家の造りを残したリノベーションとかも流行りだし、屋根を残したりするのも可能だったかもしれないのでもったいない。

都志の家から歩いて3分のところに海があってそこらじゅうにカニがいて、ちかくの公園にセミがいて田んぼにトンボがいて小川にメダカがいて、いくたびに興奮して追いかけ回していた。

カニはベンケイガニという背中に顔のような模様のある真っ赤なカニがいちばんかっこよくて、オオモノもたくさんいてつかまえると嬉しかった。つかまえたカニは火鉢にいれて飼っていた。わりばしでご飯つぶや煮干しを顔のまえに持っていくと、器用にハサミでとって口にいれて食べるのが興味深かった。

しかしすぐに死んでしまうので最終的には逃していた。

5歳ぐらいの夏、都志の家のまえの小川でメダカをとっていて家と小川を走って往復していたら自転車にひかれた。

右足が太もものところからポッキリと折れ曲がって、膝がもうひとつできてしまってるようにぶらぶらになった。母親が泣きながら抱っこしていたのをなぜか覚えている。

大腿骨骨折の大怪我で緊急手術、右足を12針縫った。

不運にもじぶんを自転車でひいてしまったのは若い女性の先生で飛び出したじぶんが悪いのに、責任を感じたのか入院してる病院へ何回も千羽鶴を届けてくれたりして気の毒だった。

この夏はまるまる入院してて、もともと白かった肌の色がさらにあおっちろくなりそれ以来、コンプレックスになる。お見舞いにきた兄貴が真っ黒に日焼けしていてうらやましかった。

事故にあったのが13日の金曜日だったらしくて、不運な日としていまだに記憶に刻まれている。

小川はいまはコンクリートで塗り固められてしまい、むかしの風情はすっかりなくなってしまっているのでした。

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『ベンケイガニ』
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2021年05月05日

子どもから大人へ

運河沿いの長屋には6歳ぐらいまで住んでいた。

小児喘息で毎晩、息ができなくて死にそうになっていたのをよく覚えている。

あれはつらかったなあ・・・

そんなじぶんを見かねたのか、父親が川西市の新興住宅地に家を建てて引っ越しをした。制服のある幼稚園に通ってたので転園初日に白いタイツをはいていったら、みんな私服で恥ずかしかった。

小学校1年生の終わり頃に杉本浩二が引っ越してきた。涙腺がつまって涙がでない病気だというその転校生は喧嘩が滅法強くて、学校へ行ったらみんな廊下に正座してて聞いたら「杉本君に座ってろと命令された。」と言ってた。

彼とは気が合ってすぐに親友になっていまもたまに会っている。

小学校2年生までは遠いところに通っててたまに電車にのったりしてた。歩ける距離だけど結構遠くて、途中でうんこが我慢できなくて野ぐそをしたりしてた。友だちはよく漏らしていたな。

小学校3年生のときに近所に学校ができてそちらに通うようになった。いろんなところの小学校から集まって来てて、ブラジル人とのハーフの子がいたりバラエティ豊かで面白かった。

小学校4年生のときに精通。

からだも大きくて早熟だったのです。ある日、父親の部屋にあった週間『プレイボーイ』を寝転んでペラペラ見ていたら、だんだん腰がうごきだして止まらなくなってしまった。無我夢中でうごかしつづけたら猛烈な快感が脳天へと突き抜けて昇天。

パンツをみたらネバネバの液体がなぜかくっついていてびっくり仰天。

しかし次の日もこっそりとプレイボーイを寝転びながら拝見、またもや腰が止まらなくなってあえなく昇天。なんだかやってはいけないことをしている罪悪感はあるのだが、学校が終わる頃にはもうそわそわしてきて友達の遊びの誘いも断って家へと走って直行直帰、そして昇天。

罪悪感は相変わらず、しかしもうどうにも止まらない。

いまだったら小学生の頃から性教育の時間とかあって教えてくれるのだろうけれど誰もなにも教えてくれず、ひとりで結構真剣に悶々と悩んでいた。

それが人間のあたりまえの自然な営みだと知るのは中学生になってからなのでした。

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『金太郎と鯉のぼり』
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2021年05月06日

Greeenday

5月4日は『みどりの日』

毎日新聞もタイトルがいつもの青ではなくて緑色だった。

みどりの日は関係アルようなナイような感じですが、連休だしどこか遠くへいきたいところです。しかしヒンヒュウヒハイヘンヘンも出ているので県をまたぐ移動は自粛。

「そうだみどりを観に高尾山へいこう」と誰からともなく言い出して、都内で野外だしいいでしょう。

料理が得意な妻が弁当を作ってくれてありがとう。

JR中央線の終点、高尾駅から京王線に乗り換えて高尾山口へ。駅についたら初詣かと思うほどのひとの多さ。みなさん考えることは同じか。

前にも一度来たことがあるけれど同じぐらいのひとの多さだったので、宣言の効き目はないようです。しかし大自然のいい空気のなか全員が律儀にマスクをして山に登って降りてくるだけ、感染拡大に関係があるとはまったく思えないので仕方ない。

前回はケーブルカーに乗ったような気がするけれど、娘が今回は歩こうと言うので従います。従ったけれど結構な急勾配でヘトヘトに疲れ果てた。

約2時間かけて頂上まで登ったら富士山が遠くに見えて絶景だった。

山頂は混雑していて座るスペースもないので順番待ち、空いたところで弁当を頂きます。美味い旨いと食べたらすぐに下りる感じで、わざわざ遠いところへと苦労して弁当だけを食べにきたようで不思議な気分になった。

どこもかしこも行列でソフトクリームだけ買って食べながら下山開始。

山登りといえば穂高岳に鉄割アルバトロスケットのメンバーと登ったときのことを思い出します。

あのときは娘のミルク代を勝手に持ちだし遊びにいき、妻が激怒して「どうかあいつにバチを当ててください。」とご先祖さまに祈願。願いが通じたのかどうかは謎ですが、ひざが猛烈に痛くなって歩けなくなり這いながら登山。ひとりだけ頂上まで行けなかったのだった。

今回も下山途中にひざが痛くなり出して過酷な記憶がよみがえったが、大事にはいたらず。最近はバチが当たるようなことはしてないので心配もあんまりしなかった。

無事に下山して電車に乗ったら老若男女で満員。

民衆のうごきをコントロールしようなんて不可能。

為政者のおごりなのです。

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『薬王院の天狗キャラクターを模写』
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2021年05月07日

黒い雪

お白洲での茶番劇が終わると船着場をあとにした。

あのあと、何もなかったかのように5人は放免された。

これから先に入っているものたちと合流して、オニ相手にブトウを観せてポコを稼ぐのだという。

無言でピカピカの街を歩く5人。オニが大勢歩いていて、こちらをジロジロと見てくる。なかには指をさして笑っているものもいる。

河むこうの世界とはちがってたてものは、木や土ではなく見たことのないなにかの人工物でできているようだった。キラキラピカピカとカラフルに光り輝いている。

途中で大きな市場を通った。

大勢のオニたちが入り混じり混雑していた。檻のなかにはどう見てもニホン人が詰め込まれて売られている。ここの市場では生きている人間が売買されているのだ。

あの人間たちとじぶんの違いはなんじゃろう。

5人は市場を抜けて公園のようなところへと出た。

公園の四つ辻で不思議などうぶつに乗ったオニの少女とぶつかった。倒れたシンイチをその子は起き上がらせてくれた。心配する女の子に、大丈夫じゃ。といい先へとすすむ。

そのうちに黒い雪が降りはじめた。

ブダマツが、おい急げ、早く闇に飲み込まれてしまうぞ。と太く怒鳴る。気持ちがはやればはやるほど足はうごかない。足がもつれていうことを聞かないのだ。

黒い雪は激しさをましあたりはどんどん暗くなり、やがて闇はふかくなる カミソリさん イナズマさん シンイチ 叫ぶ 声にならない

なあ あんたもこっちへけえへんか カミソリ イナズマ 遠くでのんびり くち うごかしてる

たたかいすんで 日が暮れて さがしにもどるこころでは どうぞ生きていてくれよ ものなといえと願うたに むなしく冷えて魂は クニへ帰ったポケットに トケイばかりが ハチイチゴ ハチイチゴ ハチイチゴ・・・

ブダマツ 歌をうたってる そのよこ ホフムラ おどってる ゆらゆら ゆらゆら おどってる

ブダ マツさ ん ホフ ム ラ さ ー ん

シンイチ うごか す くち うごか す うま く しゃ べ ない

ゆき ふる ふる しん しん しーん くろく なる なる ぴか どん どーん 

やがて まっくら のみこんだ しずかに しずかに のみこんだ

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『ココハオクニヲナンビャクリ』
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2021年05月08日

ある日の新聞から

水俣病が公式に確認されて今年で65年だそうです。

「環境汚染といっても汚してきたのは人間です。人類そのものが毒素なのです」石牟礼道子

「大地を傷つけ 奪いとり 焼き尽くすだけの もっとも醜い いきもの」宮崎駿

「人間は環境から収奪するばかりで、地球や他の生物類に迷惑しかかけていない。人間は地球にとってのがん細胞と言っても過言ではない」福岡伸一

まったくそのとおりで耳が痛いですが、室伏鴻さんの代表作のタイトルは『quicksilver』

quicksilverとは水銀のことで、水俣病のこともイメージして観ると腑に落ちるうごきがたくさんあることに気づいた。

反骨のひと、室伏鴻なのでもちろん要素として入っていたのかもしれない。入っていたけれど偽悪者で韜晦のひと、土方巽の影響をもろに受けている室伏さんのことなので容易にわかるようには描かなかったのでしょう。

模写したときには気づかなかった深い学びです。

・・・・・

警視庁は住所不定無職の3容疑者を監禁と強盗傷害の容疑で逮捕。

容疑者の3人の男は詐欺グループに所属し、19歳の少年2人がグループの金を横取りする計画を立てたと疑って港区のホテルに監禁。

ハサミで2人の耳たぶや鼻の1部を切るなどして怪我をさせた。くわー、痛そう。

・・・・・

警視庁は指定暴力団住吉会系の幹部53歳と組員36歳の両容疑者を逮捕。

豊島区の喫茶店で男性35歳に暴行を加えて2週間の怪我を負わせた疑い。男性は容疑者が代表を務めていたリフォーム会社の元従業員で、未払いの給与の支払いを求めたところ呼び出されて暴行されたという。

こちらは、ほんものなのでからだに傷をつけるようなヘマはしてなさそう。

傷は暴行の証拠になるのです。

壺中天で酔っ払いが暴れて兄弟子の村松卓矢を筆頭に数名で取り押さえたとき、ドサクサにまぎれて蹴ったりしてたら、麿さんがあらわれて「おう、お前ら顔はやめとけ」と言ってたのを思い出した。

工藤治子さんという先輩のソロ公演のときだったが、そうとうドタバタやってたけれど工藤さんはまったく気がついていなかったのが可笑しかった。

じぶんは本番の映像撮影係だったのに、酔っ払いを村松が外へと引きずり出した瞬間に客席の最上段から参戦。

そこからカメラが倒れてしまい、その公演は途中からずーっと映像が横を向いたままだったのでした。

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『ヨコズレ』

参照:2021年5月1日 朝日新聞
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2021年05月09日

つまらないはなし

ひんひゅうひはいへんへんが31日まで延長決定。

近々あるという選挙の票集めのためにも、どうしてもオリンピックをやりたい。

すべてはオリンピック開催のため。オリンピック開催はじぶんたちのため。最近は、そんな為政者の思惑と焦りがスケスケマル見えで「もう、うんざり」と不満が爆発寸前です。

ひひはへんにひてふれ。

同調圧力も回を重ねるごとに強まっています。

世田谷パブリックシアターが宣言中は閉館するようなメールが届いていてびっくり。今回のは前回、前々回よりも制限が厳しくて休業させられる施設や業種も知らないあいだに増やされているのか。

詳しく知らないので調べてみたら・・・

劇場、観覧場、演芸場等は無観客開催を要請だって。保証もないのに無観客営業なんてやったら人件費や経費がかかるだけ。というか客がいないのに開催しろってなにを考えているのか。

実質的には休業要請なのです。

無観客などできないと営業を続行していた落語の寄席には政府から圧力がかかり、都から要請が出て休業に追い込まれたという。休業への協力金は1日1万円・・・寄席側はもちろん拒絶して最後の意地を見せた。

今回の宣言にともなう要請では、ゴルフ練習場や遊園地にも無観客営業を要請しただって。ゴルフ練習場と遊園地を無観客って、おいおい、どうしたどうした。

感染者数、感染者数と言い訳のように口にするけれど、ずーっとたいして変化していない。変異株がどうのと脅そうとするけれど、ほんとうに重症化するリスクがあるのかどうか数値で示してくれないとまったく説得力がない。

そう思っていたら変異株というのは感染力が倍で重症化率も倍なのだとか・・・はあ、困った。

国民のうごきを縛ろうとするいっぽうでオリンピックはやりますと言いつづけるのならば、国が緊張感を緩めているようなもの。

国民のことを考えてと言うならば、オリンピックの中止を決断することこそが、最善の選択ではないのか。

とかあたりまえのことを思っていたら、どうやら五輪中止への機運が世界中で高まってきているようです。

ここまできて本当に中止になったら・・・

やってもやらなくてもべつにどっちでもいいか。関係なく生きていくだけです。

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『Five elements』

参照:2021年5月7日 毎日新聞 | 2021年5月7日、8日 朝日新聞 | 2021年4月23日 東京都防災ホームページ『新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等について』
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2021年05月10日

ひゅうひ

5月8日に鉄割アルバトロスケットで参加するはずだったイベントが中止になりました。

残念。

ひさしぶりにみんなに会えると思っていたのになあ・・・

主宰の戌井昭人氏は東陽片岡先生が挿絵を描く週刊ポストの連載を読んでいるので車を買ったとか近況がわかるけれど、ほかのメンバーはどうしているのだろう。

先日、たまたまツイッターで演出の牛嶋みさをさんのささやきを読んで生きてるのはわかったけど、元気なのかどうかは謎だった。むかし通った店が閉店してて落胆してる感じだった。

看板俳優、奥村勲氏は仕事が忙しいだろうか。引っ越ししてからは、家に遊びにいったりしてたけど、いまのこのご時世だとなんだか気をつかい憚られてしまう。

お芝居の仕事はしているのだろうか。

舞踏の場合は踊ってなくても熟成されていたりするので心配はないけれど、演技は技術だったりするので錆びることはあるかもしれない。

ガリガリ俳優の中島朋人は離婚すると言ってたので、いまはひとり身なのか。独身貴族を楽しむとかできる世情ではないのでどうしてるかな。

ミュージシャンの村上陽一氏は仕事に子育てに忙しそう。裸の大将、山内タカちゃんマンと3人でやる予定だった催しものは完全にストップしている。

山内はあたらしく入社したところが超能力主義の会社で、ノルマがすごくて大変そうだったけど健在かな。

村上君とおなじ職場ではたらいてる古澤裕介君は俳優の仕事はあるのかな。鉄割のなかでいちばん売れていたけど、いまはどうだろう。最近、映像では観ないけれど。

精子が通常男性の100倍いるという渡部真一は相変わらずか。しかし池間ゆうこさんの歌『なんとなく生きていては』が似合うような、うなだれているときもあるのでどうだろう。

池間さんは、どうしてるかな。ライブもやれないから家で曲を作ってるのかな。

田山うたこさんは旦那さんが素晴らしいひとなので大丈夫、南辻君は新婚だから楽しそう、東洋も仕事が楽しそう、マネージャー的なポジションの松島さんは満員電車が嫌だとツイッターでぼやいていた。

1年前のスズナリに出る予定だった潮田雄一君と和田晋侍君は元気かな、スタッフやお手伝いの方たちも元気かしら。

いまは出てないメンバーたちも元気だろうか。

みんなに会いたいな・・・

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『テツワリ2021』
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2021年05月11日

兄貴について

3歳はなれた兄がいます。

子どもの頃はしょっちゅう喧嘩をして、いつも最後は泣かされていた。

父親は男ばかりの4人兄弟なので2人が喧嘩するのをおもしろがって、兄が本で思いっきり弟の頭を叩いてるところをカメラで撮ったりしてた。

じぶんとは違ってほんとうに真面目で、毎日昇天を繰り返し遊び呆ける弟を尻目に勉強ひとすじ。小学生の頃から学級委員をやってて勉強はいちばん、中学では神童と呼ばれぐらいに有名だった。

じぶんが図工の時間に作った本棚は本が倒れないように傾けるぐらいのアイデアだったけれど、兄貴が制作した本棚は伸び縮みするようになっていてこれはかなわないと思った。

身長も成長のはやかったじぶんが追いつきそうで追いつかない感じで、最終的には兄貴のほうがだいぶん大きく成長して、くそー。

ちなみに高校は元ヤクルト監督の古田と同じで、古田さんがバッティングをはじめると近所の家は雨戸を閉めたとか伝説がのこる。

剣道部の主将もつとめたりしながら高校に入っても猛勉強、英語の辞書を一冊まるごと覚えたりしててびっくり。

東大にいくか京大にいくかで迷って関西に先輩が多いからと京都大学を選んで現役入学、大学に入ってからも剣道部に所属して文武両道を実践。

卒業後は京大の大学院にすすみ、首席で合格するようなとびきりの秀才だった。

しかし一級建築士の試験には何回か落ちたようで「あんなもん落ちるか、あいつアホちゃうか」と父親が言っていた。京大大学院の首席をアホ呼ばわりて・・・

せっかく関西の大学にいったのに結局、関東の企業に就職してたのが不思議だった。スカイツリーの設計をしたというその会社は、一流の個人設計事務所がたくさん集まっているようなところだそうです。

社会人になってからも優秀で、いまは渋谷駅前の再開発のリーダーをやっている。

めちゃくちゃに大混乱してずっと工事している渋谷駅前ですが、責任者は3人目だとかで再開発は兄が定年退職してからもつづくそうです。

その話しをしていたら「あの子、真面目にこつこつやるとこがあるからな。」いうて母親が子ども扱いしていたのが可笑しかった。

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『Five elements 2021.5.11』
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2021年05月12日

はグレ雲

あのしっかりしてて優等生で有名だったやつの弟が入ってくる。

そうとうに期待されて兄の担任だった少林寺拳法日本一に輝いたという、角刈りでいつもエリをたててジャージを着ていた武闘派、岡田先生のクラスに入れられた。

しかしあおっちろくて天然パーマでいい加減な弟にがっかりしたのか、先生には目をつけられてしょっちゅう怒られて殴られて怖しかった。いま思えば先生の励ましの気持ちがあったのかもしれないけど逆効果、どんどん萎縮して落胆。

サザエさんのカツオが許せなくて大嫌いだというその先生と、カツオのような性格をしたじぶんが合うはずもなかった。

期待に応えようと中学入学当初は無理して勉強を頑張ったりした。成績は1年生の頃はまあまあ良かった。

やがて勉強して懸命に覚えてもすぐに忘れてしまうことに疑問をもち嫌気がさして、だんだん勉強しなくなってしまった。すぐに優秀な兄と比べられることに反抗するうしろ向きな気持ちもあったように思う。

「俺はおれなんだ。兄貴とはちがうひとりの人間なんだ。」

もうそこからは勉強なんて1ミリもせずに徹底的に反抗をしハグレだした。勉強しないから授業にもついていけず、学校がただ苦痛で嫌なだけの場所になっていく。

親友の杉本も同じ頃からグレだして一緒につるんで悪いことをしまくっていた。杉本は中学の番長だったが、小学校5年のときにボクシングをやってなぜか勝ったことがあって一目置いてくれていた。

杉本とよく自転車に乗って山の向こうのデパートへ万引きをしに行っていたなあ。

剃り込みを入れて眉毛を剃って、丈の長い制服やぶっといズボンを父親のお金を盗んで電車に乗って遠くの店まで買いにいっていた。

両親共働きの不良の仲間の家で学校をサボって昼間っから酒を飲んでタバコを吸っていた。もうこうなるとヤケクソだな、行くところまでいって落ちるところまでおちる感じ。

サボる相手がいないときは公園で時間をつぶしてた。近所の女の子がいじめられて登校拒否になっておなじ公園にいたのを覚えている。

こちらはベンチに寝転がってて、向こうは遠くのブランコに淋しそうに座っている、そんな感じ。

この頃のことは思い出しても、いまだに暗くどうしようもない気持ちになるのです。

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『バスキアフウ』
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2021年05月13日

one day

こころがさきで ことばはあと

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『ある日の絵』
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2021年05月14日

夢、dream

お化け屋敷のようなところをみんなで歩いている。

みんなというのが誰なのか忘れてしまった。

奥へ奥へとすすんでいくので、帰れなくなるかもしれない不安がよぎりつづける。ある部屋で女性のうめき声が聞こえてきて怖しいので逃げる。逃げても逃げても声が追いかけてくる。

築山建一郎たちと海外にいる。

途中でみんなと離ればなれになってしまうが、じぶんのせい。

通りを行ったり来たりして探すがどうしても見つからない。ホテルに帰ってひとりで食べるか・・・諦めかけたら、最初に行ったレストランの階段をあがった奥のほうにいるのを発見して良かった。おすすめを注文してもらう。

戦艦に乗っている。

甲板で誰かとゲームをやっているときに、凄まじく揺れて攻撃を受けたのか。ゲームの相手はどこかへ行ってしまう。ひとりでいると艦長が顔を出して、どうだった?と聞いてくる。負けました、と答えると勝負は時の運、負けることもあるさ。と言ってまた船室へともどった。

オペラシアターこんにゃく座の稽古。

体育館のような稽古場でなんだかじぶんのせいで、めちゃくちゃになる。みんながヒステリックに泣き喚いていて責任を感じる。

とうとうひとりが身投げのように下へ落ちてしまい、じぶんも号泣する。してもなにも変わらないので、楽屋へ帰って逃げるように荷造りをする。佐藤さんがなぐさめてくれたような・・・

渡部が運転してる隣に乗ってる。ごついアメ車だったような・・・

渋さ知らずのライブ。

星野建一郎が「こっちでやれば良いんじゃん」と遠くの舞台にいる不破大輔さんに言いに行く。そんなこと言わなくていいのになあ。とか思いながらじぶんは帰ろう。坂を降りて駅へ。早くしないとみんなに会ってしまう、気まずいぞ。きた電車に乗って横浜方面へと向かう。

教室の真ん中に透明の板が立っていてそのまえで踊っている。

江戸川萬時がいい感じでおどってて、その横へいってお経をすごいスピードで唱える。

観ている麿さんの反応をチラチラ気にしてよくないな。と反省。

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『すこしまえの絵』
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2021年05月15日

がんばるぞ

さいきんはもうまいにちにっきにしるすほどのこともない。

しるすことがないからなにかおもしろいことはないかと新聞を読むけれど、どうしようもないくだらないアホな話しばかり。

けれどもそれがじぶんもふくめた人間のほんとうのすがた。自由と平等と博愛のような理想ばかりだったらすばらしいけれど、そうなれない人類。

最近はどこもかしこも自由を制限しようとするのでうんざり。お先、真っ暗でどうしよう。かと思えばこの騒動のおかげで、考えられないくらいに儲かっているところもあるそうです。いつの世も不平等なにんげんせかい。

しるすことがないから過去を振り返っている。

しかし、過去ばかり振りかえらずに前むきに生きようと思って、文化庁のあらたな取り組みに応募することにする。

まだ前回の補助金をもらっていないのにもう次の取り組みに申請するのかと思いつつ、そんなことは言っていられないぞ。と頑張るのです。

きのうは、今回の補助金申請にどうしても必要な書類が舞踏家集団デュ社の本拠地、淡路舞踏社にあるので喧騒の東京をはなれて移動。

必要必急の移動です。

都志に17時に着くためにはどうしても朝8時の電車でいかなくてはいけないので乗ったら、からだが触れあうぐらいの満員電車。毎日毎日、こんなに密集、密接、密着しても感染しないのだから劇場や映画館や美術館なんてまったく問題ないのになあ。と普通であたりまえのことを考えてつまらない。

もっとおもしろいことを考えよう。とあたまを振る。

のりかえの駅では初詣かと思うぐらいのひとひとで行列に並んでのろのろと歩きます。

新幹線のりかえ駅の品川も人間の大行進。チケット受け取りが非常にむずかしいので30%引きの『ぷらっとこだま』チケットを苦心してなんとか発券。

新幹線はガラガラだったけれどポーズとしてマスクシマス。

車内で新聞をすみからすみまで読む。

狂言の『蚊相撲』の装束が“縷水衣・ヨリミズゴロモ”という美しいものだそうで「見てみたいなあ」と思った。

こんど衣裳としてつくってみようかと思ったけれど、いまはつくれるひとが1人しかいないらしいです。

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『Five elementsへ発展するまえの絵』
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2021年05月16日

いどう、つづき

新大阪の駅についたらひとひとひと。

でもマスクをしていれば大丈夫。

ほんとうにもうマスクをしていないひとはひとりもいないという緊急事態です。

新大阪から電車にのっても満員電車。三宮についたら都志にはないものを買いものします。駅ビルはひとがたくさんいた。

買いものを終えて三宮バスステーションから神姫バスに乗ったら一路、都志へ。「アクセスがいいなあ」と実感。たいへんだったのは都会を抜けるときだけ。

途中のいつも若いひとがたくさんいる『幸せのパンケーキ』のまえにあたらしくバス停ができていてびっくり。その近所にある『ガーブコスタ』とかいうおしゃれなイタリアンレストランのまえにもバス停があたらしくできていて神姫バスやるやん。

キラキラひかるどこまでもおだやかな播磨灘をながめながら、海沿いを走ること約1時間。白い風車が見えてきたら五色バスセンターはもうすぐ。

バスを降りたら空気が美味しい。

さあ雑草はどうなっているか。おそるおそる家にちかづくとそれほどでもないか。玄関のスロープを上がると庭が見えてきて凄まじく雑草が伸びていて圧倒されます。

水道とガスの元栓を開けて玄関のドアを開けたら「ただいまです」いえのなかは湯山がきれいに掃除して帰ってくれていて気持ちがいい。

「ありがとう」

ホッとひと息、大相撲をすこし観戦。今日は6日目、はやくも圧倒的な強さを見せて、照ノ富士関の単独独走状態になりつつある。

しかしまだまだ序盤、そして中盤。あと1週間以上も休みなしで勝負をつづけないといけないので、なにがあるかわからない。たいへんななりわいです。

みんなかならずどこかしらを怪我している。

むかしは相談して手を抜く日をつくっていたようです。それはそうでしょう、15日間もまいにち全力でたたかうなんて無理。休みの日をつくらないとからだがもたない。

それを八百長だとか誰かから責められて吊し上げられてやれなくなってしまった。

じぶんはテレビのまえでのうのうとしているのに、テレビのなかには命がけの真剣勝負をもとめる残酷なひとたちがいるのです。

オッとつい興奮してしまった。

となりの客は よく柿食う ワカタカカゲ

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湯山が、端材でステップをつくっていた。
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2021年05月17日

たいへんななりわい

相撲がはじまっています。

家では“タルタルさん”と呼ばれ親しまれている、おもしろいからだをした明瀬山が残念ながら休場。

3日目の千代大龍戦でアゴを骨折していたとか。

アゴの骨が折れたまま土俵に上がりつづけていたが、もう痛くて我慢の限界と師匠に報告。骨折しているのにしごとしつづけるってどんだけ過酷な職業やねん、考えられません。

明瀬山は来場所は十両に陥落、テレビには映らないけれどしかたない。これも運命、ついてなかった。

先場所は淡路島出身の照強が右腕上部の筋肉が断裂しているのに出つづけていた。腕が千切れているのに仕事をしつづけるなりわいなり。

昨日は応援している英乃海が取り組み後に足の小指が外れて痛くて歩けなくなっていた。100キロ以上の大男たちが全力でぶつかりあって死力を尽くすのだものな、たいへんな国技です。

あたまとあたまでぶつかりあって「ごつん」というすさまじい音がして脳震盪で失神したりする。張り手とか言うけれどかんぜんに殴っていたりする。

先場所は取り組み中にひとり倒れて亡くなってしまった、まさに命がけのしごと。

こんな競技は、ほかにないのではないのか。と観ていていつも思います。

勝負はシンプル極まりない。倒れるか土俵から出たら終わり。勝敗は長くて1分、短いと1秒で決まる格闘技。

立ち合いで気を合わせたりズラしたり、組みあっているときに呼吸を合わせたりズラしたりと合気道的な要素ももちろんあったりする。

柔よく剛を制す、2メートル200キロの力士を170センチ100キロの力士が見事に転がしたりする。

土俵入りしてくる力士を見ているとみなさん怪物です。むかしは神さまとされていたというのが納得のいく異形ぶり。間近で観たことはまだないけれど、畏怖と畏敬しかないのです。

そんな大相撲夏場所の勝負は後半戦へ。

照ノ富士関がただひとり全勝で勝ち越し、それを貴景勝関が1敗でおいかける展開です。まだ2敗力士までは優勝する可能性がある。

休みなく8日間死力をつくして、そろそろ疲れがたまってくるころ。

どうなるか。

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『クマゼキ』
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2021年05月18日

高校へ

中学でドロップアウトしてハグレてしまった。

優秀な兄とつねに比べられるのに反抗する気持ちがあった。

勉強しなくなったので授業についていけなくなった。視力が急激におちて黒板が見えなくなった。毎日まいにち昇天するのに夢中だった・・・

理由はいろいろとあったのだろうけど、思春期のよくわからない複雑な感情もあったように思う。

じぶんなりに一生懸命、悩んでいた。よくあんなに落ちるところまでおちたものです。中学の同級生たちほとんどみんながいく公立の高校にいけないと知って母親が1週間寝込んでしまった。

「むすこは死んだ」というようなことを言っていたように思う。衝撃的なことばだが、あの頃のじぶんはショックも受けずにそんなものかと思っていた。

もうなにもかもどうでもよくなっていた。

将来どうするとか夢を語るような同級生たちの話しをぼんやりと聞きながら、人生のレールからかんぜんに外れているようなじぶんはこれからどうなるのだろう。と先が思いやられていた。

大阪の高校に越境入学できることになり、中学ではいちどもおなじクラスになったことがなかった宮崎堅一がおなじクラスになって、一緒にいくようになり親友になった。

入学初日に先生がなにか言ったときに「いいとも!」と叫んで爆笑をとっているやつがいて度肝を抜かれる。テレビを見てなかったので流行ってきているのも知らなかったし、その度胸にもびっくりした。

大阪のレベルの高さを思い知った瞬間だった。

高校は有名な不良学校で、むかしは大阪梅田会といういまでいうところの関東連合のような半グレの幹部がたくさんいたとか。ピストルを持っている生徒がいるような学校で応援団と空手部がなかったが、どちらも部員のリンチで殺人事件を起こして廃部になったとうわさを聞いた。

岡田先生にすすめられたというクラブに宮崎の熱心な説得もあり、やる気もないのに入ってしまった。

そのクラブは『にほんけんぽう部』といって名前のとおりに日本憲法を研究するクラブかというとまったく関係なくて、空手着をきてボクシングのグローブをはめて剣道の防具をつけてひたすら殴りあうというものだった。

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『むかしの絵にペイント』
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2021年05月19日

シコ、サボり

なぜか日本拳法部というとてつもなく厳しいクラブに入部してしまった高校生のむかいくん。

仮入部のときはとっても優しくて親切だった先輩たちが、本入部になった途端に怖ろしく豹変。

おなじ車両に先輩が乗っていたらどれだけ満員でも近くにいって大声で「押忍」と挨拶しなければいけないとか、先輩のまえを通るときは必ず「します」と言うとか、ヘンテコで厳格なルールがたくさんあった。

本入部初日に1年生同士でひたすら殴りあわせる恒例の行事があって、とんでもなく苦しくてしんどくて「なんでこんなクラブに入ってもうたんや。」と猛烈に後悔したがときすでに遅し。

殴りあうだけではなくて投げ技とか寝技もありで、投げられたときに腕を脱臼したことがあって、いまだに右腕はかんぜんに伸びない。

誰か1年生がサボると連帯責任でシコと呼ばれるシゴキがおこなわれた。

シコはいわゆる空気椅子というやつで壁に背中をつけて椅子に座っているようにひざを直角にするもので、すぐに足がブルブルし出してとんでもなくつらい。

ただでさえつらいのにあともう少しで終わるというときに、先輩がいやがらせで乗ってきたりする。落ちたらもういちどはじめから。シコがあった日は太ももがパンパンになって歩けなくなった。

そんな激しいクラブに1年の頃は真面目に行っていたような気がする。気がするだけかな。放課後になると憂鬱になってきて「なあ、むーさんどうする?」「さぼろうや」「そうしよ」

先輩に見つかるといけないので、学校の裏の塀を乗り越えて脱走。

連帯責任で1年全員がシコをやらされて、すまん。

学校じたいもサボるようになり、ほとんどいかなくなった。毎朝、宮崎が迎えにきてくれる。「なあ、ミーくんサボろうや。」登校途中の池で一緒に遊んでた。

「さきにいっといて」というときはひとりでサボる。弁当をどこで食べるかが問題で梅田の駅ビルのトイレが美しいので、よくそこで食べていた。

映画館で観ながら食べたりもした。

映画が終わると現実にもどり、サボってしまった罪悪感にこころはいつも晴れなかった。

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フマジメだったのになぜか初段で黒帯。
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2021年05月20日

つゆいり

淡路舞踏社に入りました。

入りましたが、まだ5月なのに近畿地方が観測史上最速での梅雨入りだとかで連日、雨 ふる シト シト シト

庭の雑草がすくすくと育っているが仕方がない。去年は1月にきてからずーっとこれなくなり、つぎにきたのが9月で雑草はすべて伸び放題に伸びて、そして枯れていた。

なので刈らなくても放っておけば枯れるのです。

と、わかっているのにだまっていられないから人間ってフシギ。しかし雨、家のなかで文化庁の仕事をします。まずは団体登録、主催公演のチラシをスキャンして活動をしているという証拠として送ります。

どこもかしこも詐欺が多いのだろうなあ。この騒ぎに便乗してお金をだましとろうとするひとたちがいるので、手つづきが面倒になっている。

つぎに申請書作成です。内容よりもお金に関することが多い。よくわからないのであとまわし。

梅雨の晴れ間に完全武装をしてうっそうとした庭へと突っ込んでいく。なかにはいってみたらそうでもなくて、落葉していた木々の葉がいっせいに生いしげっているのに圧倒されていたのだと気づく。

抜こうとするとクサいにおいをだすツル系の雑草を集中的に抜く。自己防衛のためだろうけれど、ほんとうに嫌なにおいでクサいのです。かと思えば野生化したミントもまじっていて、たまにいいにおいもする。

雑草を抜いていて、よく見ると無数のちいさなアリが群れをなしていたりして自然の脅威、怖ろしい。

家のなかに入り込まないように細心の注意をはらいます。

さいきん洗濯ものを干すと虫にたかられると湯山がいってたので、物干し竿を観察したらアリが這っていた。なので物干し竿を庭の奥からほんらいの物干し台へと移動。

午後はまた雨、文化庁の申請をすすめるぞ。

大相撲を横目で観ながら作業をすすめますが、わからないところがあって止まってしまう。

負けつづきで暗い顔の正代に「そんなときもあるさ」とじぶんに言うように激励。相撲が終わってさあ、集中。申請の手引きというのを読んだら、かんたんに了解。

だけどもまたもや、なにを言ってるのかまったくわからないところが出てきてギブアップ。

Excelもデータが重くて動作がのろいし、もう今日はやめよう。

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『むかしの絵にペイント』
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2021年05月21日

人類の矛盾の犠牲に風をとおす

5月19日、広島の平和記念公園で毎年恒例の“風通し”がおこなわれました。

原爆慰霊碑に納められている原爆死没者名簿120冊を取り出して、外気にさらし名簿を一枚ずつ繰って湿気を払い、傷みがないか確認するのです。

名簿には、32万4139人もの氏名と死亡年月日、年齢が記載されている。

去年あらたに、4943人分の2冊が増えたそうです。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館という建物が公園のなかにあって、そこで死没者の名前が調べられます。2013年に曽祖父、戸籍上は祖父ですが木谷真一の名前を調べたところ入っていなかったので、顔写真と住所氏名と死亡年月日、年齢を書き込んで祈念館へと申請。

次に行った時に調べたら入っていたので、よかった。

2019年に広島平和記念資料館の本館がリニューアルオープン。賛否両論だった、入り口にあった蝋人形を撤去してしまったようです。

確かにお化け屋敷のようで子どもにとっては怖かったでしょうが、現実はあんなものではないだろうし子ども向けに当たり障りなくしてしまうのでいいのか。

展示を格好よくお洒落にするのは良いと思うが、いっぽうでどんどん現実感がなくなっていくのも事実。

「日本人の清潔趣味が“記憶”を無化させることにふけったから、小綺麗な博物館のおぼろな黒白写真を頼りに当時を想像するしかなくなってしまい、核を解放する力はまったく萎えきった形のなかにそこはかとさまようだけになってしまった」開高健『夜と陽炎』より

平和資料館は何度も訪れていますが、この“いま”と地つづきな時間のなかに目の前に広がる写真やモノたちがあるとはどうしても実感できない。

一歩、資料館の外へと出てしまえば平和な広島の光景が広がっていて、いま見た惨劇と衝撃の数々が一瞬で消え去ってしまうのです。

1945年8月6日と9日、膨大な数かぎりない国民のいのちがアメリカの核兵器によって奪われた。

しかし日本はアメリカの核の傘という不気味なものの陰のなかにいて、全世界の核廃絶へのうごきにもアメリカに右に倣えで同意をしようとしない。

なんなんだろうか、この矛盾は・・・

今年も核兵器の犠牲になったひとびとの名簿に慰霊と鎮魂の風がとおり、そして夏が近づいてきています。

合掌。

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大西達也撮影 2019年5月15日(水)朝日新聞夕刊一面より。
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2021年05月22日

せかいをかえたい

女性である。

まだ若い。

差別される理由としてはじゅうぶん。

そんな34歳の女性、アローラ・アカンクシャさんが注目をあつめている。

今年2月に国連事務総長選への立候補を表明。現職のでっぷりと太って貫禄十分のグテーレス事務総長、72歳の再選が確実視されるなかでの挑戦なのです。

出張でアフリカの最も貧しい国、ウガンダを訪れた時、おなかをすかせた女の子が泥を食べているのを見てショックをうけた。国連職員は豪華なホテルに宿泊しているというのに。

ニューヨークの本部に戻って報告を受けた上司は「泥には鉄分もあるから良いんじゃないか」と言い放ったという。

アローラさんによると、国連は難民問題解決には4300億円が不足すると試算するが、飛行機のファーストクラスを使う国連機関全体の年間旅費は2300億円にものぼる。

国連の年間総収入はおよそ5兆6000億円だが、実際の活動に使われる金額は30%ほどにしかならないそうです。「会議や報告書の作成に資金が浪費されている。どれも宣伝目的のうわべだけの活動です。これが民間企業だったら、とっくに倒産している。」

担当の財政部門ではたらく忙しい仕事のあいまに2年かけて財政改革案を作成、提出。「まだ若いくせに生意気な。」「女性のくせに引っ込んでいろ。」国連は変わらなかった。

希望にむねふくらませ国連で勤務をはじめてすぐのグテーレス事務総長の初出勤日の光景を思い出す。

建物前にズラッとならぶ職員たち。挨拶をしたグテーレス氏が通り過ぎるとスーツ姿の男たちがうしろをゾロゾロと歩いていく・・・

「加盟国の納税者やNGOから預かった財源が正しく使われていない。支出先のチェック機能も働いていない。職員はみんな勤勉ですごく賢いのに、リーダーシップが足りていないのだ。よし自分が立候補をしよう。」

選挙資金の300万円は貯金をはたいて捻出し、同級生と選挙対策チームを立ち上げた。

正式な候補とは、まだ認定されていない。

けれども各国メディアからの取材は相次ぎ知名度は上がっているだって。まったく知らなかった。

国連はたんに説教をするだけか、それとも実践をするのか。ジェンダーの平等を大切にして若者を取り込み支えあい大事にするのか。しないのか。

若くてイチ職員にすぎない。そんな女性が現状維持の巨大男性組織に挑む。

その構図が、ひとびとに希望をもたらそうとしている。

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『むかしの絵のうえにペイント』

参照・引用:東京新聞 Web 2021年3月3日 | 2021年3月7日 東洋経済 ONLINE | 2021年5月15日 朝日新聞
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2021年05月23日

絵をかきかくかけかこ

絵を描くのは子どもの頃から大好きだった。

朝早く起きてこたつのなかに入り絵を描く。

ものがたりをつくってひとりで空想をしながら飽きることがなかった。

漫画を読むようになったら、好きな漫画を真似しながら空想するのは相変わらず。学校でも絵が上手いと評判だった。

小学校5年生の担任だった坂本先生に自信があった人物画を酷評されてショックを受ける。多感な子どものこころはそんなしょうもないことで傷ついて、絵が嫌いになってまったく描かなくなってしまった。

自惚れてもいたのだろう。たかだかイチクラスで上手いと褒められていたぐらいで天狗になり、けなされて嫌になる。あっけないプライドもあったものだ。そこがまた世間知らずの子どもたる所以か。

中学生のときに風景画を描いてこいという夏休みの宿題があった。

宿題などやるわけがなかったが、どうしたことかギリギリの頃に苦しまぎれのゴマカシで、家にあった大瀧詠一さんのアルバム『A LONG VACATION』ジャケットの永井博さんイラストを正確にていねいにトレースして模写。

グレながら、まだどこかにそういうことが好きなこころが残っていたのか。

提出したら先生に賞賛されて校長室のドアのうえにながく飾られてしまい前を通るのが恥ずかしかった。「いやいや真似しただけやから。」

先生には説明したが、それでも飾られつづけた。その絵はじぶんの浅はかな愚行を突きつけるように、いつでもこちらを見下ろしていた。

それからときはながれて。

高校3年生のときに進路をどうするとなってどういわけか芸大を受験することにして、幼馴染の鶴岡に誘われて予備校へと通いはじめた。

予備校には見たこともないようなおしゃれな青年がいてカルチャーショックをうけた。

鶴岡に話しを聞いてデッサンの練習をしてたので、描いたデッサンを講師の先生に激賞されいっきにその気になる。しかしときすでに遅し、勉強などいちどもしたことがなかったので受けた大学は落ちてしまった。

そして、三つ子のたましい百まで。

大学受験には落ちたが、絵を描くこころにふたたび火がつき消しがたいようになっていったのだった。

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『むかしの絵にペイントしたうえにペイント』
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2021年05月24日

専門学校へ

高校三年間で、ほとんど学校へいかなかった。

けれども通っていた学校は退学がなくて無事、卒業・・・ほとんど行ってないのだから無事ではないか。

芸術大学には行けなかったが、美術をやりたい欲望はたかまった。

なので勉強をしないでも行ける専門学校へとすすんだ。学費を出してくれた親に感謝なのです。けれどもあの頃はそんな感謝の念もまったくなく、親不孝はあいかわらずで苦労しらずの甘ちゃんのまま。

専門学校は受験勉強とか無縁の学校だったので、いろんな落ちこぼれが集まっていた。

おかんがめちゃめちゃ怖いので、朝メシを食べるときにおかんから見えないほうだけ髪の毛を紫色にしていたという暴走族のリーダー。彼とあと何人かの不良仲間でよくつるんで車で遠出し遊びにいっていた。

おばあちゃんと二人暮らしで泥棒をしながら生きてきたという四国のよしゆきちゃん。

彼は新聞配達をしながら通っていて、よく集金したお金をごまかしてこずかいにしていてそのたくましさに感心していた。「請求書と領収書をやぶって捨てるねん」と話してくれていた。背は低かったけれどニヒルな男前だった。

この学校で久原鉄秀と出会った。

彼は1学年上だったが東大阪の不良で高校のときにダブっていて同級生だった。はじめて喋ったときに「お前の夢なんや?」と聞いてきて返答に困ったら「なんや夢ないんか、あかんのう、おまえは冷めてるから青き冷め夫じゃ」と決めつけるジャイアンぶりを発揮していた。

名前のごとく鉄を打つように熱くて触れると火傷をしそうな激しさがあってときに影響され、ときに間合いをとっていた。

あつあつ激しい気性のままに創作もして課題でみんながB3の絵を描いているときに、B全といわれる畳ぐらいのでかい絵を何枚も描いてきたりとド派手なパフォーマンスを繰り広げていた。

卒業してゲーム会社へと入ったが、行きたかった部署と違うところへと配置されたら「おれはこんなことするためにここ入ったんちゃう」と社長室へと怒鳴り込んだり自信満々。

会社をやめてからはアムウェイをはじめてのし上がる。

「おまえもやれ」としつこく勧誘してくるので、だいぶんながいあいだ縁を切っていた。

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『むかしの絵にペイント』
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2021年05月25日

大関の明と暗

日本が世界に誇るへんてこな国技“シュモウ”が終わってしまった。

100キロ以上のおとこたちがチョンマゲを結ってほとんど全裸で公衆の面前にあらわれて、ハアハア言いながら抱き合っている。

途中でなにを見ているのかわからなくなるときがある。

結果は照ノ富士関が4度目の優勝、賜杯を手にしました。

圧倒的な強さを見せつけていましたが13日目にチョンマゲをつかむ反則負け、14日目に平幕の人気者、遠藤に敗れ、千秋楽で貴景勝に敗れる。しかし「そういう相撲をとった自分が悪いと思って成長しなさい」と師匠に言われて負けを引きずらなかった。

苦労の末の優勝で優勝決定戦のあと、引き上げる花道で涙をながしていた。

これで来場所はいよいよ横綱へ挑戦の場所。因縁の相手、横綱白鵬も進退をかけて戻ってくるので楽しみです。

今場所は大関の明暗がくっきりとわかれて、いっぽうの暗転は朝乃山。

連夜のキャバクラ通いをすっぱ抜かれて万事休す。どうも取り巻きが良くないようです。

相撲協会の事情聴取に「事実無根です」と土俵に上がりつづけたが、内容が食い違うため再度聴取したところ事実を認め休場。嘘をついて言い逃れをしようとしていたのがかっこ悪すぎる。

しかしそれが人間というもの、気持ちはわかりすぎるほどわかるのです。

いまごろはじぶんのしたことの重大さに真っ青になり背筋も凍っていることでしょう。どうか夢であってくれ・・・でもこれが現実、惚れていたキャバクラ嬢に連絡しても返信なし。嘘をつこうとそそのかした記者に連絡しても相手にされず。

勝ち越す前だったので今場所は負け越し、来場所は出場できないだろうから大関からは陥落。おなじくキャバクラに通っていた阿炎は結構休んでいていまは幕下まで落ちているので、残念ながら朝乃山もそうなりそうです。

師匠、朝潮のような豪放な力士を目指しているようなので、これからは好青年ぶるのをやめてもっと破天荒に悪ぶればいいのではないのか。部屋の先輩、朝青龍をお手本にするとか。

もうこうなったら悪役に徹して眉毛を剃ったりしたらどうかな・・・

苦労はひとを大きくする。

まだ若いし、また必ず上がってきて復活優勝でもして欲しいのです。

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『クマゼキズ』
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2021年05月26日

ほんのそかい

1944年、夏。

アメリカ軍による空襲が迫りつつあった東京では、都立日比谷図書館の中田邦造館長のもと本の疎開がはじまった。

中田館長は、石川県立図書館長から転じた生粋のライブラリアンであった。

学校教育と図書館教育とのちがいを、学校教育が“教えること”を中心とする教育であるのに対して、図書館教育は“学ぶこころ”を主体とする教育である。と考えていた。

教える教育には終了や卒業があるが、学ぶこころを主とする教育は子どもから老人にまで終生つづくものであるという。

以前から図書文献や文化財を戦火からまもる必要性をつよく訴えていた中田館長は、図書館の本に加えて民間で所有する貴重な文献や資料も、専門家の意見を聞きながら買い上げて疎開をはじめた。

本の運搬は戦争末期の兵役で75人ほどに減っていた図書館の職員によるトラック数台の輸送では間にあわず、都立第一中学校と高輪商業学校の生徒50人が勤労動員として働いてくれた。

かれらは10キロにもなるリュックにつめた本を背負い、電車と徒歩で50キロはなれたあきる野市や埼玉県の志木へなんども足をはこび本を疎開させた。

数人で大八車を押し引きしつつ本をはこぶこともあった。とちゅうで雪が降り出し寒さに耐え、飢えに苦しみ空腹に耐えながらの道中は2日かかったという。

ときに空襲をうけ、まさに命懸けで疎開先の農家や寺の蔵にはこびこんだ図書の数は、約40万冊にのぼるそうです。

1945年にはいると東京での空襲は激しさをまして、3月10日の大空襲にてほとんどの都立図書館が甚大な被害をうけた。

そして5月25日の大空襲にて日比谷図書館は全焼する。

戦災前には都立図書館ぜんたいで73万冊以上の蔵書があったが、その半数以上が戦火でうしなわれた。

全国でも図書館がつぎつぎと被害をうけ、貴重な図書のかずかずは永遠にうしなわれてしまった。

中田館長たちの熱意と情熱とすさまじい労力によって難をのがれた貴重な図書のかずかずは、1973年に建てられた都立中央図書館の蔵書の核となり、いまも多くのひとびとに受け継がれているのです。

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『最近、また読みはじめた大竹さんの本』

参照・引用:生活クラブ『生活と自治』624号 連載第22回“戦下の記憶” | 映画『疎開した40万冊の図書』監督:金 謙二 映画の流れに沿ってひも解く 2014年度 JLA中堅職員ステップアップ研修(2)
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2021年05月27日

すでにそこにあった

大竹伸朗さんの本『既にそこにあるもの』をまた手にしています。

セツモードセミナーに通って絵を描いていたころ、そして大駱駝艦に入ってから作品創りに明け暮れていたころ、バイブルのように枕元においてことあるごとにひらいて刺激をうけていた。

創作のあんなことこんなこと・・・無名と有名の差はあれど、ものをつくるおなじにんげんとして参考になることばかりだった。

2年前の2019年、戌井君が連載している雑誌『SWITCH』のインタビューに同行して大竹伸朗さんに会いにいった。

本で読んだり写真で見たりしていたひとが目の前でじっさいにうごいているのは、なんだか現実感が湧かないいっぽうで、ずーっと知り合いだったような親近感もあって妙な感覚だった。

そうしてほんものの大竹さんに会い、喋り、アトリエをじっさいにこの目で見てうろうろし触れて感じたあとに読む本はまたちがった景色を想像させてくれて、よりリアルに文章が立ち上がってくるのでおもしろい。

夜、目が覚めてアトリエへいき描きかけの油絵を指でなぞるなんて文章も、あの宇和島の山のなかのすこし寂しいひっそりとしてうっそうとした雰囲気を思いだして、まえよりもいっそう明確に光景がイメージができる。

何十年ぶりかに手にした本だったが、大竹さんの描く絵とおなじでやっぱり硬質でかっこいい。ことばをていねいに扱っていることにおどろきつつ、それを感じることのできるじぶんの成長もうれしい。

20代から、あともう20年以上のとしをかさねても読んだらやはり刺激的なのもすばらしい。

アメリカで作品集をつくるときにスタッフに言った「最低で最高の本をつくりたい」のひとことですべてがわかってしまう不思議。ずーっと最初からいまでも「最低で最高の作品をつくりたい」という思いで突っ走っているのだ。

あとがきで書いていたように、変化はあるものの言いたいことにかわりがないところが大きいのだろうと思う。

かくいうじぶんも20代の頃からやはり変化してないのでしょう。

言いたいこともやりたいこともちっとも進化していないが、その進化のなさが根底で自分を支えている気がするのでした。

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『ワイズデッカーサンフウ』
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2021年05月28日

United by Emotion ?

7月23日のオリンピック開催まで2ヶ月を切りました。

それにあわせて、毎日新聞と社会調査研究センターは全国世論調査を実施。

その結果「中止すべきだ。」がもっとも多くて40%。「ふたたび延期すべきだ。」は23%。中止と延期をあわせると6割を超えた。

5月26日、アメリカ、EU、オーストラリア、韓国が日本への渡航中止や禁止を勧告。そして緊急事態宣言が、なんと開催直前の6月20日まで延長されました。

しかしIOCのトーマス・バッハ会長は「緊急事態宣言と東京五輪は関係ない」と発言。もう言ってることが、めちゃくちゃです。

ジョン・コーツ副会長も緊急事態宣言が出てても大会を開催するか問われて「答えは間違いなくイエスだ」とテレビの向こうからちからづよく答えた。

その根拠として宣言が出ている今月に東京都内で海外選手を招いて、ひっそりと無観客でおこなわれたテスト大会の成功をあげたそうです。

テスト大会は4つの会場をあわせても参加者は436人、本番は参加者が9万人でボランティアが8万人で、10万人を超えるひとが入国すると試算されている。

うーむ、数字で見るととてもやれるとは思えない。

海外からひとが入ってくるというのが問題なのだから、こうなったらすべてオンラインでやればいいのではないか。同時生中継で競い合うとか・・・うーむ、対戦する競技は無理か。

「東京五輪はもはや日本のための五輪になっている。」そう、フランスルモンド紙のフィリップ・メスメール特派員は喝破する。

「ニッポンを元気に。復興五輪」と理念をかかげていたのが、いつのまにか「セカイに元気を。コロナに打ち勝つ五輪」にすり変わっている。「感動でわたしたちはひとつになる」というモットーは、ただでさえ恥ずかしいが、いまはもう誰も口にしない。

こそこそと聖火リレーもひとの目から隠れながらやっているような状況だもんなあ。翻弄されるアスリートさんたちも気の毒。

残念ながらウイルスはひとの100万倍ものスピードで進化すると言われている。人間の思惑のどんどん先をいって変異しまくっている。

そうして、とにかくすべてはワクチン頼りになってきているのです。

と、スポーツとはまったく無縁の人生を送ってきた舞踏家からでした。

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『まえに描いた絵のうえにペイントしたものをカラーハーフトーン化』

参照:2021年5月22日 朝日新聞 | 2021年5月23日、28日 毎日新聞
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2021年05月29日

チャンスをつかめ

連日、文化庁の『ARTS for the future!』なるものの申請作業をしています。

今回は公演事業に補助金が支援されるのです。

まずは団体の定款をアップロード。

独立してから“ソウルプレイングファクトリー”という名前で定款をつくっていましたが、このたび『デュ社』へと名称を変更。通帳の名義変更がたいへんだった。

主催活動をしている証拠として、今回とりにきた都志にあったデュ社主催のワークショップチラシもスキャンしてアップロード。やったのが2018年で、ここ数年主催活動をしていないのを痛感した。

あとは申請内容を記載していく。

申請する事業の名称は『デュ社舞踏公演事業』

申請する取組の内容は「向雲太郎が代表、主宰をつとめる舞踏家のあつまりである『デュ社』が淡路島の野外舞台にて連続して公演をおこなう」

場所は兵庫県五色町都志の『淡路舞踏社』

期日は2021年、7月16日17日18日19日、8月14日15日、9月17日18日19日20日、10月15日16日17日 それぞれ金曜18時、土曜15時、日曜14時、祝日は14時から公演をおこなう。

あとは収支計画書にスタッフを打ち込んでと。

人件費などの経費を常識的に計上していくと額がどんどん増えていくので怖ろしくなる。公演をやるってのは、ほんとうにお金がかかります。

これが映画だったらもっとスケールが大きくなる。今回の補助金には映画のひとたちも申請をするようですが、金額の規模が何億とかです。しかし映画はできあがったフィルムを何回もつかえて、興行で儲けることが可能なのでうらやましい。

こちら舞台はやればやるほど人件費がかかるわりには観客収入が少ないので割に合わない。それも売れて人気がでれば儲けることもできるけれど・・・

やめましょう。

収入は限られているので支出とくらべて大丈夫なのか?と不安になる。もしも採択されなかったら規模はどんどん縮小してしていき、もしかしたら公演はやれないかもしれない。

ということでいうと、とんでもないチャンスでもあるのです。

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『お披露目を待つデュ社ののぼり』
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2021年05月30日

卒業してから

専門学校を2年で卒業。

鉄秀の影響をうけてまわりの友人はゲーム会社へとすすんだけれど、じぶんは自分。

どうしようかとうだうだと考えていたらもうぎりぎり。のこっていた求人カードを見てデザイン会社を一社だけうけてなぜか合格。

面接のときに出されたコーヒーを、可笑しな飲み方をしていたのが気にいられたと入ってから聞いた。

入社したのは、ちいさなデザイン事務所『オフィスジョーク』だった。

社長で営業の田井中増孝さんと右腕のディレクター兼デザイナー森高広さんの2人でやっている事務所で、一角を間借りしてフリーのイラストレーター日田野さんもいた。

田井中さんと森さんは創業1896年の老舗の広告代理店『ヤラカス館』にて出会って意気投合、一緒にデザイン事務所を立ち上げた。もしつぶれても「ジョーク、ジョーク」と会社の名前を『ジョーク』と命名したそうです・・・ノリが軽いな。

入社してから専門学校でまなんだ色の理論だのブレーンストーミングなんてことを活かそうとしたがまったく通用せず、森さんに注意されながら実地で仕事をして、あたらしいことをどんどん覚えていった。

同期ではいった小野君がひとつ年上だけどライバルでデザインを日々、競い合っていた。

ジョークは17時になるとウィスキーを飲みながら仕事をする会社で、デザインはもちろんお酒の飲み方にいたるまでいろいろと教えてもらい学んでいく。

しごとが終わると近所にある店へかならず飲みにいき、そのあとはエンタツアチャコのアチャコさんの孫がやっているレゲエバー、その名も“アチャコ”へと流れつき終電まで飲んでいた。

土曜日は、そのままJR高架下にあったクラブ『ダイナマイト』へと遊びに行ったり。

デザインの才能があったようでメキメキと頭角をあらわして、5年いれば日本一のデザイナーにしてやると田井中さんにおだてられていたが、絵を描きたいという思いは消えず。

わずか2年足らずで上京するために退社。

最後の日、田井中さんの行きつけのバーへと2人でいき最後に見送ってもらったのが忘れられない。

2018年、オフィスジョークは惜しくも解散してしまったのでした。

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むかし取った杵柄、デザインスキルはいまも生きている。
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2021年05月31日

申請したぞ

昨日は文化庁の申請書を提出する日でした。

起きたらいつものルーティン。

さいきんはあたたかいので、外の客席で歯を磨く。2階にあがり神前にて黙想、やはり気候がいいので野外舞台にてからだをうごかす。

天高く気持ちがいい。

そのあとは仏壇まえで手を合わせ無心にて真言を唱えます。

このあといつもは新聞を買いにいって読み込むところですが、今日は申請の日。朝からパソコン画面とにらめっこ。これでほんとうにいいのか自問自答します。

お昼は日曜だし天気がよくてかぎりなく爽やかなので、客席から舞台をながめながら昼ビール。

たまに舞台に立ちながら良いなあ。と惚れ惚れする。しかし夏の昼間は暑すぎるので、稽古は休暇を多めに取りながらやらねばな。などと夢想。11月に岡原さんと追加公演することになったので、そんなことも考える。

ソロだからどうなるか。

岡原さんは人気者だから客席にお客さんが入りきらないかもなあ。とか思ったり。キャパシティとしては20人がいいところか。

午後、申請書を最終チェック。一度申請をすると二度と修正ができないのでなんども見直す。

収支計画書と申請書の金額があっているか確かめてと。

収入にくらべて支出があまりにも大きいので、出演料を理想的にしたりすこし下げたり修正をくりかえす。ふくらんできている借金も返したいし催促がくりかえされる年金も払いたいし娘の入学金と学費も稼がねばならないし、湯山にも出演料はしっかりと払いたい・・・

なので、まあまあ理想的な金額で申請をする。

けれども欲張りすぎないように、じぶんの演出料と振付料は破格の安値におさえる。いつもそうですが、けっきょくはじぶんのところで帳尻を合わせることになる。

15時、確認ボタンをポチる。これで本当にいいですか。と聞いてきたので、ひと呼吸おいて申請。

これから多角的に申請書類を審査して採択するか決定するそうです。

金額ももしかしたら減額されるかもしれない。

まあ、そうなったらそうなったでしかたがないのです。

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『graffiti_5_31』
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