2021年09月01日

防災の日

1923年9月1日。

その年にとれた米を納める節句で各地の神社で祭りがあり、農家では赤飯などの御馳走を用意してお祝いする日だった。

土曜日ということもあって子どもたちは、お祭りや御馳走を楽しみにして始業式もそこそこに家路をいそぎ、夏の日のくつろいだ雰囲気があった・・・

11時58分ごろ、凄まじい揺れが関東地方を襲った。

発生した地震はマグニチュード7.9と推定されていて、南関東から東海地方におよぶ地域に大規模な被害が発生。

ちょうど昼時で、各家庭で火をつかっていたので火事が多くおこった。それが能登半島付近に接近していた台風の強風にあおられて燃え広がった。

そのなかでも『陸軍被服廠跡』では、1カ所として最悪の約3万8千人が死亡した。

震災当時、隅田川の近くに広がる原っぱだった本所の被服廠跡。 激しい揺れのあと、倒壊した家から、あるいは火災から逃れようとする人たちが続々と逃げ込んできた。

本震から約3時間半がすぎた午後3時半ごろ、4万人に達していた避難者を火が取り囲む。逃げ場を失い、大混乱におちいる人々。そこに、家々のさまざまなものを巻き上げながら進む『火災旋風』が起こった。

被服廠跡に悲劇をもたらした火災旋風とは、中に火の粉を抱えこんだ竜巻だった。

竜巻というのは、自然界の中でももっとも烈しい現象のひとつで、それに伴う風速は100mを越すこともあるという。しかし、その発生は年に10回くらいであって、そう頻度の高いものではないとか。

そんな珍しい現象がどうしてあの時、被服廠跡に発生したのか?世界の災害史上にも、まったく例を見ないような異様な惨劇。その真の原因は究明できなかったようです。

被服廠跡の広大な敷地は一面、遺体で覆い尽くされ、山のように積み重なったところもあった。焼け方がひどく、見ただけでは性別が分からない遺体も多かったという。

火災による被害は全犠牲者10万5,385人中、約9割の9万1,781人を占めたともいわれている。

あらゆるものを焼き尽くした火災が鎮火するのは、9月3日の午前10時ごろなのでした。

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本所被服廠跡の悲劇が起こるまえの写真。「合掌」

参照・引用:2005年11月27日 神奈川新聞 |『被服廠跡に生じた火災旋風の研究』気象研究所物理気象研究部・相馬 清二 | 2013年3月19日 朝日新聞デジタル
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2021年09月02日

まっすぐな正義

1923年9月1日、大地震が関東地方を襲った。

震災発生後、混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪、暴動のデマが広まった。

民衆・警察・軍によって朝鮮人、また間違われた中国人、日本人の聾唖者などが殺傷される事件が続出した。

犠牲になったひとの数は、大震災による死者数10万5,385人の1%から数%と詳しいことはわかっていません。デマは『朝鮮人が婦女を犯し、井戸に毒物を投入した』などというもので、このため、日本刀や竹槍、猟銃などで武装した自警団が、関東一円で3,700もつくられ、朝鮮人を襲ったという。

相手をひとではないと見なすことで、何をしてもよいと自分の攻撃行動を正当化し自尊心を高める。過激化する暴徒には、かならずこのこころがあるという。

9月2日、夕方。 

自警団員が4人の男を朝鮮人だと横浜の鶴見署に連行して「持っている瓶に毒が入っている。たたき殺せ」と騒いだ。

鶴見署の大川常吉署長は「そんなら諸君らの前で飲んで見せよう」と瓶の中身を悠々と飲み干し、興奮する暴徒を納得させた。

しかし翌日、状況はさらに緊迫。

大川署長は多数の朝鮮人らを鶴見署に保護してかくまう。それを知った群集約1,000人が署を包囲して「朝鮮人を殺せ」と激しく騒いだ。

「朝鮮人たちに手をだすならだしてみよ、はばかりながら大川常吉が引き受ける。この大川から先に片付けた上にしろ、われわれ署員の腕のつづく限りは、一人だって君たちの手に渡さない。」と大川は大音声で一喝。

彼の気迫に群集の興奮も収まったかに見えた。しかし、それでも収まらない群集の中の数名が大川に詰め寄った。

「もし、警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるんだ。」

すると大川は「その場合は切腹して詫びる」と答えた。そこまで言うならと、ようやく群衆は去って行った。保護されたひとは朝鮮人220人に中国人70人ら、300人に上ったという。

大混乱の同調圧力のなかでキラリとひかる、ほんものの正義なのでした。

ひとを分断させる、いつまでもなくならない差別というもの。

どんな非常時でも公平で公正で同調圧力に屈しない、ちから強いこころを持っていたいものです。

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『大川常吉署長』

参照・引用:防災システム研究所HP | 2008年3月 内閣府中央防災会議 関東大震災【第2編】| 2020年8月19日 毎日新聞
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2021年09月03日

ピッチのなかの自由

2016年、JリーグのGK、榎本達也選手は現役引退を決意していた。

そんなときブラインドサッカー日本代表の監督、高田さとしさんから「選手としてプレーしてみないか」と声をかけられる。

ブラインドサッカーでは、目の見えるひとがゴールキーパーをつとめるのです。

榎本さんは競技の存在は知っていたが最初は断ったという。「本気でメダルを目指す選手たちと、現役を終えようとしているじぶんでは熱量がちがう、失礼だ」と考えたからだった。

しかし高田監督は「一度、体験して」とゆずらなかった。

2017年2月、榎本さんは練習に参加して、目が見えないのに激しくコンタクトする選手たちに衝撃をうける。

GKのうごけるエリアは通常のサッカーよりも狭く、至近距離からシュートが飛んでくる。さらにアイマスクをつけている選手の目線がわからないので予測ができない。いままでとはまったくちがう感覚が新鮮で楽しくて、好奇心が湧いてきた。

現役の頃から「チャレンジなくして成長はない」と思っていた榎本さんは挑戦することをきめる。

プロとして生きてきたがゆえに、チームの問題点を感じることもあった。2017年12月のアジア選手権は5位に終わったが負けたことへの議論がなかった。

「ぬるま湯につかってやるなら、俺はやめたっていいんだ。パラリンピックで金メダルをとるためにやっている。そしてその先にブラインドサッカーを価値あるものにしていくのが目標だろ。」

榎本さんが強いことばで思いを伝えたそこから、みんなが少しずつコミュニケーションを取るようになった。

2019年に活動を終えた榎本さんは、選手たちと接していたなかで忘れられないことばがあるという。

ある日、選手が「僕らのなかではピッチのなかが自由なんです」と教えてくれた。じぶんが普通に過ごしている生活のなかで彼らは不自由を感じている。いのちの危険も目が見えるひとの何倍もある。

そんな彼らにとってはピッチこそがいちばんじぶんを表現できる場所、なんの障害もなく自由に生きることのできる場所なのだ。

「今大会ではじめてブラインドサッカーを見るひとも多いと思います。ぜひ試合を観たあとに、目をつぶってボールを触ったり、すこし走ったり、ジャンプしたりしてみてください。彼らがすごいことをやっていると実感してもらえるでしょう。」

そう榎本さんは語るのでした。

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『oshowさん風がつまらなくてらくがき』

参照・引用:2021年8月23日 朝日新聞『元JリーガーGKの挑戦』
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2021年09月04日

戦後の混乱、戦争の爪あと

9月2日は世界的な終戦記念日でした。

大日本帝国が負けをみとめて東京湾の戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名をした日。

この署名によって正式に第二次世界大戦が終わった。ナチスドイツが1939年9月1日にポーランドに侵攻し、はじまった第二次世界大戦。ヒトラーが自殺して1945年5月に連合国軍に敗北、解体されナチスドイツ帝国は滅亡。

そのあとも孤軍奮闘しつづける大日本帝国。

沖縄を奪われ広島と長崎に原爆を落とされ1945年8月14日に昭和天皇が負けをみとめ大日本帝国は消滅。しかし8月15日の玉音放送のあとも、本土決戦を叫ぶ若い将校たちの反乱がつづく。

戦争は、はじめるよりも終わらせるほうがはるかにむずかしいそうです。

大陸では関東軍が武装解除命令を拒んだことで中国共産党軍は関東軍に攻撃を仕掛け、8月15日から11月末まで戦闘がつづいた。

北からはソビエト軍が攻め込み日本兵を捕虜にしつづけ、8月23日から約57万5,000人が過酷なシベリアでの労働に従事させられた。極寒のシベリアで約7万人が亡くなり行方不明になる。

抑留は最長で11年間、つづいた。

南方の島々では命令系統がなくなり取り残された兵士たちは必死で生き延びる。捕虜になった兵士は軍事裁判で裁かれた。それらは公式なものもあったが、報復という名のリンチや虐殺もあった。

最後の処刑がおこなわれたのは1951年6月、ニューギニアのマヌス島。最後の戦争服役者が釈放されたのは終戦から13年後の1958年12月だった。

日本兵の過酷な逃亡生活も発生した。そのなかでも横井さんと小野田さんが有名です。

「恥ずかしながら生きて帰って参りました」

横井さんは、1944年からグアム島に派遣され、以来28年間、終戦をしらないままジャングルに潜伏。1972年2月、島民に発見され、57歳で日本に帰還した。

小野田さんは、1944年12月からフィリピン・ルバング島に派遣され、1974年3月、51歳で日本に帰還した。終戦から30年の月日がたっていた。

シベリアや南方の島々の遺骨の問題や原爆訴訟など、そのあともつづく戦争の後遺症。

76年たっても引きずりつづけるのは、傷の深さを物語っているのでしょう。

ことしも死者を思う夏が終わろうとしている。

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『モスクワの空にピカッとかく』

参照:2020年8月23日 毎日新聞 | Wikipedia
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2021年09月05日

ある秋の日

今日も雨。

秋とは思えないぐらいに寒い。

いつも秋はこんなにも雨が降っていただろうか。

異常気象は異常ではなくなり毎年のことになり作物は不作になり野菜は高騰する。自然を相手にする農家さんはたいへんだなあ。山形の稲たちは大丈夫だろうか。

梨がダメになっているとテレビでやっていた。ヨーロッパではワインの原料のブドウもダメになっていると新聞にのっていた。アメリカでも豪雨の被害が連日報じられている。それもこれも地球規模での気候変動のため。気候変動はにんげんの愚行のため。

おのれでおのれの首を絞めている人類。

困ったなあ。しかし困ってないひともいるところに問題がある。とか考えてもしかたがない。じぶんのやれることをやろう。ごみになるものを買わない工夫とごみを出さない努力とごみの分別と・・・

感染症も自然災害みたいなものだが、困っているひとが多いいっぽうで考えられないぐらいに儲かっているひとたちがいる。

製薬会社とPCR会社と、あとは・・・とか考えていてもしかたがない。じぶんのやるべきことに集中しよう。

今日も文化庁AFFの申請準備です。AFFは感染症で困っている芸術家を助けようという事業ですが、一次審査で不採択になってしまった。会計の不備が原因だったので、まずはそこを改善している。つぎに収支計画書の赤字の削減。

そうして並行して日本芸術文化振興会の支援事業への申請もはじめます。

やりながらさっぱりわからず、なにをやってるのだろうなあ。と呆然とした気分になる。淡路舞踏社のおとなり梅木旅館の喜多川君がやはりコロナ対応の補助金申請に追われていて「こういうことが嫌だから脱サラしたのに」と悲鳴を上げていた。

なんとかしようとするからいけないのかもしれない。流れに身をまかせる、思い切ってなにもかも放り投げて流されてしまうほうがいいのかもしれない。

夜、助成金をじぶんで申請するのは今回をかぎりに2度とやめようと決心する。

そんなことをしているよりもこころを磨いておもしろい人間になり、おもしろい踊りを考えるのです。

それが結局は、より良い結果を生みだすのだとふかくこころに思うのでした。

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『山田詠美さんの新聞連載を読んで描いた絵』
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2021年09月06日

戦争という不条理

ひとの死を数字で語らないというたいせつなこと。

そのことをわかりつつ・・・

1937年から大日本帝国がはじめた日中戦争と、その後の第二次世界大戦で亡くなったひとは約310万人です。

そのなかの太平洋戦争中の空襲で亡くなった約38万7000人のうち、約16万人の氏名がわからないと毎日新聞の調査で判明。そんなことがあるのか?人数はわかるけれどその氏名がわからないなんて。

だから“約”なのか。だいたいの死者数。ひどいなあ。

亡くなったひとりひとりに人生があり、親兄弟がいて子どもがいて友達がいた。猫も飼っていたかもしれない。

「残念な結果だ。名前さえわからないまま忘れられていくのでは二重に殺されたようなもの。国がはじめた戦争なのだから犠牲者の名前は国が調査して記録に残すべき。

もと軍人・軍属への対比と比べ国が民間の犠牲者を差別してきたのは明らか。人間の道理として国には、いまからでも責任をはたしてもらいたい。」

そう東京大空襲・戦災資料センター名誉館長で作家の早乙女勝元さんは話す。

国は、軍人・軍属やその遺族には補償と援護を、いまもつづけていて総額は約62兆円にのぼるという。いっぽう民間の戦争被害者には、一般の重度障害年金だけ。そして死者への補償はまったくない。

じぶんの曽祖父、木谷真一は広島で被爆して8月6日の夕方に亡くなりました。

2013年に平和公園のなかにある原爆死没者追悼平和祈念館へいって、死者名のアーカイブで検索してみたら名前が出てこなかった。

祈念舘ではいまも登録をすすめているので、そのあとに登録をしたがそれまでは原爆で亡くなった約14万人の人間のひとりとして数えられていなかったのです。

戦争というなにがなんだかわからない、メチャクチャな不条理なもの。

いのちを守るとか人間の尊厳なんてものが存在しない混乱と混沌のきわみ、戦争。

人数や名前を明確にしようと各自治体が個別にうごいたり、市民団体が調査をすすめていたりするけれど戦争被害の全容把握は、ほぼ絶望的になってきている。

戦後76年というどうしようもない年月。

どんどん風化していく戦争の記録と記憶なのです。

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『永遠に止まった時計』

参照・引用:2020年8月16日 毎日新聞
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2021年09月07日

G

夜、でかいごきぶりが登場。

とたんに空間がパニックにおちいる。

嫌われもののごきぶりちゃんだが、じつはそんなに悪者ではない。

ひとが思うよりずっと清潔で、ハエや蚊のように伝染病を媒介したりする、にんげんに害をなすような存在ではない。

なのになぜあんなに嫌われるのか。なぜあんなに気持ちわるく感じるのか。ピカピカとひかるあの光沢が怖ろしいのか。ゲジゲジの足やフルフルうごくあの触覚が薄気味わるいのか。

しかし、赤ん坊はごきぶりを怖がらないので、後天的に刷り込まれた情報によるもののようにも感じる。

2016年につくった『ぴちがい裁判』でごきぶりを敵とみなして殲滅をはかるということを、敵を皆殺しにしようとする戦争に置き換えて観せようとこころみたけれどいまいちだった。

発想はよかったと思うけれどちから及ばず、リベンジしたい・・・

わたしはある日、顔をくすぐられた気がして目を覚ました。目を開けるとごきぶりの伸びた口の部分が、わたしの鼻の穴から湿った栄養分を吸収しているところで、ごきぶりの二本の触覚が感触をもとめてそっとうごいていた。

かれらはいったいなにものだろう。

ごきぶりは振動に対する感度が高く、地震予知動物として利用出来るかもしれないとアメリカのサイモン博士は、ごきぶりがどんな行動をするか監視した。箱に取付けたセンサーは地震がおこる直前、ごきぶりの行動がかなり活発になることを記録した。

世界最大のごきぶりは、山形県在住横山氏のコレクションに収められているメガロブラッタ・ロンギペニスの雄で体長10cm。

ごきぶりの走る速さはおよそ時速6キロ。にんげんのおおきさに比例させると、そのスピードは300キロにもなる。

一匹の受精した雌からは、一年で一万匹以上のごきぶりが生まれる。

ごきぶりの雌は精子を受け取ってから、一年間それを使い回す。

タイではごきぶりの卵をフライにして食べる。

ごきびりは水だけで一ヶ月以上生きる。

ごきぶりは水なしでも二、三週間生きる。

ごきぶりはキューリが嫌い。

以上、制作時にかれらについてしらべた情報でした。

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『鉛筆画20210803に加筆』
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2021年09月08日

ある日の移動

今日は淡路島への移動。

いろんな用事を終わらせるための必要な移動です。

まずは都志にある申請書の資料を整理して、DVDのマスターをコピーして湯山に送る。

山中材木店に7月公演から未払いの代金を支払いにいき、合宿で使った大量のシーツを洗濯します。

玄関まえの雑草をみっともないので抜く。落ち着いたら伸び放題の家の庭の雑草を抜いて、おなじく伸び放題のいろんな木を剪定してごみを捨てる。淡路舞踏社はじぶんの家でもあるので責任もって管理します。

そろそろお彼岸なので仏壇を掃除して、お墓を掃除して高野槙をお供えする。墓守もじぶんの重要な仕事です。

そのほかの時間は文化芸術振興基金の助成金の申請をしてと。

家のなかのことはもちろんいろいろやって、晴れたら舞台の防腐剤も塗ろう。

こんかいは財政難なので新幹線ではなくバスで移動。長時間なので腰が心配だが仕方がない。

時間を間違えてギリギリにバスに乗車したら、まえの席の金髪が最大限まで座席を倒しているので仰天。配慮をお願いしたいところだが、なにか言ってもめると嫌なので我慢する。

短い時間ではございますが、どうぞごゆっくりおくつろぎください。

座席が目の前にあって凄まじい圧迫感でストレスがたまる。うしろから呪いをかけるが、いっこうに効果はあらわれないので苦笑する。

しかし、わかものばかりが乗るような安いバスで移動するしかない年老いたこの身をこそうらめ。

まるで禅寺の苔むした庭のように殺風景な高速道路の壁を見ながらひた走る。静岡のあたりはみどりゆたかだが、灰色の高速道路と薄曇りの天気のせいで不機嫌な老人のように見える。

とか読んでいる村上春樹さんの小説の影響をうけて、たとえを多くつかってみる。

金髪がスマホでテレビを見ながら髪の毛をかきむしるのが鬱陶しい。

とか思いながらじぶんにもうしろがあることをお忘れなく。

人のフリ見て我がフリをかえりみろ。

まえのシワシワのスキンヘッドがゆらゆらうごくのが鬱陶しい、とかツイートされているかもしれないのです。

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『カレンダーのうらにらくがき』
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2021年09月09日

バスのなかの日記

高速バスに乗りながら本を読んでいてふと視線を窓の外へとやると、そこには巨大な河が横たわっていた。

長い橋を渡り切って看板を確認すると木曽川と書いてあった。

あれじゃあ、知らないひとが見たら海だと思うのではないかと思うぐらいの大河だった。しかも、おなじかそれ以上の川幅の木曽川と揖斐川もすぐそばを流れていてびっくり。

大自然の驚異。とかおどろいていたらまた灰色のつまらない街並みに戻ったので本のページへと視線を戻す。

読んでいるのは『羊をめぐる冒険』下巻の中盤。

羊を探す旅に出た僕が旧友の鼠と再会するところ。娘のために買ってきてむかし読んだけれど、またページをめくっている。しかし、ストーリーがまったく記憶になくて、読んだように思っていたがおそらく最初だけでやめたのだな。

村上春樹さんがはじめて長編に挑戦した記念すべき小説でインタビューを読んだら、とくべつ大切に思っている作品だと語っていた。

ときおり本から顔をあげて窓から流れすぎていく景色を観る。

三重県へと入ると雨が降りはじめる。まだ昼の2時だというのに寂しさはいっそう深くなり、つらなっている山々は霧にかすみ、まるで水墨画のようだ。

長いトンネルを抜けるとすこし空が明るくなっている。それだけで気分もすこし明るくなる。

深い山々の谷間に田んぼがあって、すこしでも平地があれば田んぼをつくる人間のいとなみの執念のようなものを垣間みる。

京都の手前で前に座っていた金髪のガキが座席も戻さず、うしろも振り返らずに降りていった。

「おんまかしりえいそわか」

これも修行のひとつ、ひろいこころで見送ってあげよう。

大阪が近くなると原爆が落ちたあとのような、大きな灰色の雲がいくつも低く垂れ込めていた。

万博公園のまえを通ったとき、太陽の塔が歓迎するように手を広げて立っているのが見えた。

もうすぐバスの長旅も終わりだが、大阪駅から電車に乗って神戸三宮からまたバスに乗ることを考えると気が遠くなるのでした。

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『graffiti_99』
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2021年09月10日

バスから電車へ、そしてまたバス

高速バスを大阪駅でおりたら電車に乗り換えます。

大阪は東京とおなじぐらいにひとがいた。

電車に乗ると車内はまあまあの混み具合。みんなマスクをして大人しくしています。途中下車して川西へと寄って両親の顔を見たいところですが、こんなときなので寄り道せずに直行。

三宮は大阪以上にひとがいた。しばらく自宅待機するので、今日の夜に食べるものを買う。都志に売っているけれど高いものも購入。

高速バスを待っていると表示板に五色行きのしたに城崎温泉行きのバスがあって、あれに乗ると田上君に会えるのだなと思う。温泉にも入れるし飛び乗っていきたい気持ちをおさえる。

淡路島への高速バスは通勤通学時間なので満員、となりにもひとが座ります。

いちめん灰色の人工物でおおわれた神戸とひとの気配がしない緑におおわれた淡路島が、明石海峡をさかいにみごとに対比しているのを眺めながら明石大橋をわたる。

山道を抜けたら広い海が見えてきてほっとする。夕闇迫る播磨灘を横目に見ながら海沿いをひた走ります。

停留所に止まるたびにひとは少しずつ降りていく。

岬のむこうに白い風車が見えてくる頃には車内のひとはまばらになる。もうまもなくだが、あいにく空はすでに真っ暗でなにも見えなくなっている。

五色バスセンターへの到着は夜の7時。バスをおりると生ぬるい気温で残暑の気配。潮の香りがしてきて都志に帰ってきたのだと実感する。

約1ヶ月ぶりの淡路舞踏社。ドアを開けるとカビ臭いような懐かしいにおいが出迎えてくれる。

「ただいまです。」

電気のブレーカーを入れると家のなかの止まっていた時間がうごきだす。雨戸をあけて家のなかの空気を入れ替える。どんどん家のなかが若返っていくのを感じる。

手を洗いうがいをしたら風呂を入れながら、さっそく仏壇のまえにすわりお勤めをします。

「おん さらば、たたぎゃた はんな まんな のう きゃろみ」

風呂に入ったらほっとひと息。岩本さんに頂いたビールを飲んで、ひとりお疲れさまでした。

朝6時半に家を出たから、ほぼ1日の長旅だったのでした。

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『カレンダーのうらにらくがき』
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2021年09月11日

この20年で世界はむしろ危険になった

今日は9月11日。

同時多発テロが起こってから20年がたちました。

いまも謎が多くてさまざまな説があります。

2001年は5月に処女作品『2001年壺中の旅』を発表したら、麿さんに絶賛されて有頂天だった。ビギナーズラックだったけれど、あの当時はまるで場外ホームランをかっ飛ばしたかのように毎日がノリノリだった。

ノリノリのまま10月の狸穴善五郎振付、演出の『曙』という作品に出演することになって稽古をしていた。

「おまえら稽古なんてしてる場合じゃねえぞ、テレビを観ろ」

夜、壺中天にいたら麿さんから電話があった。

テレビをつけたらそこにはビルが爆発するような映像が映っていた。チャンネルをかえるとビルに飛行機が突っ込んでいく映像が繰り返し映されていた。

それがニューヨークの世界貿易センターだということはすぐに流れてくる情報でわかった。

狸穴君はえらく興奮していたけれど、じぶんはそれがつくりもののように感じて、まるで映画を観ているような感覚があった。これが事実だったらたいへんなことだけど本当なのか・・・

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Photo by Larry Clark

家に帰ってからもニュースを観つづけたが、事実は混沌としていてしばらくはっきりとしなかった。ニューヨークには2機の飛行機が突っ込み、どうやらワシントンのペンタゴンにも突っ込んだとか。

繰り返し流されていた、旅客機がツインタワーへと突っ込むショッキングな映像はほとんどが2機目のもので、1機目の映像は2つしかないようです。

フランスの映像作家、ノーデ兄弟がニューヨークの消防士を取材しているときに偶然、撮影。カメラは飛行機がビルに突っ込む瞬間を捉えていた。

しばらくしたらビルが崩壊する映像も流れてきた。

あのときに夢と自由の新天地、アメリカはなにかが大きく変わってしまった。日本という国が原爆の投下で大きく変わってしまったように。

翌年にニューヨークにいって“グラウンドゼロ”と呼ばれる跡地にいった。広島の爆心地“グラウンドゼロ”とおなじように空気が真空になっているような異様な雰囲気があった。

アメリカ人には戦後という感覚がないそうです。

いまも戦争中のアメリカ。

世界中のいろんなところへと兵士を派遣して戦争をつづけている国、アメリカ。

ノーデ兄弟はこの映像で数々の賞に輝いたそうです。
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2021年09月12日

失敗の景色、アフガニスタン

アメリカ合州国は2001年の同時多発テロによって対テロ戦争に突入した。

それから20年。

アメリカ史上最長の戦争は先日、幕をおろした。しかしこの20年で世界の危機はより広がったように感じる。

「われわれはなぜ、なんのために戦争をしているのか。負傷者と支出を出しつづける価値が見えないのです。」

海兵隊員や国務省職員としてイラク、アフガニスタンに3度にわたり派遣されたマシュー・ホーさんは提出した辞表にそう書いたという。

2009年、アフガニスタン南部でアメリカ政府上級代表をつとめていた。

「タリバンが姿を見せるのは、あんたら米軍がヘリでやってきたときだけだ。」山奥の村に出向いたときに、人々に言われた。アメリカが進出するとイスラム主義勢力タリバンが「外国人の占領から人々をすくうため」として駆けつけ戦闘がおきるのだった。

ホーさんのなかで「米軍の存在こそが現地の紛争を引き起こしているのだ」との思いがつのった。われわれはテロとの戦いをしているつもりだった。でも実際には内戦に巻き込まれ、むしろ状況を悪化させている。

「アメリカはタリバンから女性の権利を守っている」その考え方にもホーさんは違和感をもっていた。

現地の女性たちが20年にわたりもっとも苦しんできたこと。それはタリバンによる女性迫害ではない。アメリカ軍とタリバンによる戦闘に巻き込まれて、子どもたちが亡くなることだった。

アフガン政府内とその周辺にはびこる汚職もおおきな問題だった。アメリカがアフガン政府を支えれば支えるほど、ますますアフガン国民のこころは離れていった。

「タリバンはひどい。だがアフガン政府も同様にひどかった。どちらが良いか、正直わたしにはわからない。」

そうホーさんは言い「問題は20年にわたる失敗を見過ごしてきたことにある」と語った。

戦争は順調にすすんでいる。あとすこしで勝利が見える。

そう嘘をつきつづけた国家。

いつの時代も真実を隠そうとする国家というもの・・・か。

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『Falling Man』

参照・引用:2021年9月11日 朝日新聞
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2021年09月13日

いま読むべきだった本

村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』を読了。

最後のページでジーンとして目頭が熱くなる。

洒落ていてハードボイルドな、これしかないというような完璧なラスト。

村上さんがとても大切な作品だと言っていた意味がすこしわかった気がした。

若いころ、僕という一人称が好きになれなくてずーっと敬遠していたが、はじめて読んで純文学と言われてるのにへんてこなミステリーのようなところがあって、人が平気で殺されたりするし日常的なのにどこか不思議なストーリーに驚いて、それ以来ファンになった。

その不思議さの片鱗が垣間見えるけれど、まだ変すぎないところが初々しいというか絶妙だった。

処女長編にしてじぶんのそれまでの影響をうけたすべてがつまった最高傑作的な集大成。そんなふうに感じた。村上文学のいまにつながる壮大なる小説世界はここからはじまったのだとも思った。

はじめて創った長編作品が最高傑作と噂されていて、自分自身でもそんなふうに思い込んでいるところがあった。大駱駝艦にいる頃は、その処女作品を超えようともがきつづけて悪戦苦闘した。

処女作とは目先を変えようとへんに無理をしている部分もあったかもしれない。

独立してからは、そのときどきに応じて変化しつつ賛否両論もありつつ作品はつくりつづけているが、いまだに引きずっているところもあった。

村上さんのそんなことをまったく気にしない無理のないように感じる作品執筆遍歴とくらべてみる。

やはり、そんなことは気にせずに創作意欲にしたがって、似てようが似てなかろうが、そのときどきに創りたいように無心でつくりつづければいいのだと腑に落ちる。

むかし読んだけど娘にと思って手に入れた本だったが、じつは読んだことはなくて思いがけず気づきを得られた。

人との出会いとおなじように、本との出会いも最適なときがあるのだろう。

いま出会うべきだった人。

いま読むべきだった本。

読み終えた瞬間に「作品をつくりたい」と、こころの底からちからが湧いてきたのだった。

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『芸術新潮を立ち読みして触発されて描いた絵』
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2021年09月14日

失敗の景色、イラク

戦争の現場を経験し、疑問をいだいたアメリカ兵は少なくないという。

それはアフガニスタンににつづいて、2003年に開戦したイラク戦争でも同様だった。

戦争はイラク国内の混乱をまねき、過激派組織『イスラム国』の出現にもつながってしまった。

イラクとアフガニスタンに1度ずつ派兵されたダニエル・シャーゼンさんがイラクで目にした現実は想像とはおおきく違った。イラクではフセイン政権を倒し独裁から人々を解放したはずだった。

だが、その後に生まれたのは宗派対立による混乱だった。

シャーゼンさんは地元の人たちに「フセイン政権のほうがましだった」と何度も言われた。「あなたはいいひとだ。でもこの混乱はアメリカが起こしたんだ」とも言われた。

「わたしはこの戦争が、つぎなる9・11を防ぐための戦争だと信じていた。でも実際に戦った相手はテロリストじゃなかった。問題はアメリカ人がいまもきちんとそれを理解していないことだ。」とシャーゼンさんは語る。

現場からの報告はいい部分だけを拾い上げられ、ワシントンで記者発表される。

2019年にピュー・リサーチセンターが実施した調査では、退役軍人の58%が「アフガニスタンでの戦争は戦う価値がなかった」と回答。イラク戦争についても「戦う価値がなかった」と64%が回答しているという。

泥沼化したアメリカ史上最長の戦争は終わった。

アメリカ兵の犠牲者は7000人。退役後に自殺した兵士は30,000人を超える。

アフガニスタンとイラクで犠牲になった民間人は36万人を超えるという。

合掌・・・

いや戦争は終わったわけではなく、むしろこれから本格的なものになっていくようです。

「テロの脅威は世界に広がった。われわれはテロとの戦いをつづけていく。地上戦を戦う必要がなくなっただけだ」こうバイデン大統領はアフガニスタンから完全撤退した8月31日に演説した。

これからは空爆作戦を中心にテロとの戦いをつづけていくという。

まだまだ死者が増えそうです。

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『graffiti_2021_831』

参照・引用:2021年9月11日 朝日新聞 | 2021年9月12日 NHK 特集『アメリカ同時多発テロ 20年』
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2021年09月15日

神さまについて

大相撲がはじまりました。

ひさしぶりに観ても、へんな競技というか格闘技というか国技です。

まるまると太った大男たちが、ふんどし一丁のほとんど全裸で全力でぶつかりあう。

あいてを投げ飛ばしたりして這いつくばらせるか、土俵のそとへ押し出せば勝ち。はやければ1秒、時間がかかっても3分で勝負は決着する。

十両以上になると大銀杏というとくべつなまげを結える。その十両でもじゅうぶんすごいが、さらに幕内になれればたいしたもの。相撲取りとしてはひとつの目標達成。

そうしてさらなる高み、全力士のあこがれの地位、横綱というポジションは特別中のとくべつ、なんとひとなのに神さま。

初日、73人目の神さま、照ノ富士のはじめての横綱土俵入り。ゆったりとして堂々とした土俵入りでした。

いっぽうの神さま、白鵬は休場。しかし白鵬はいちどかかってなかったか・・・

解説の舞の海さんも言っていたが、渡りに船とひと休みしたのかもしれない。大関は朝乃山のようにどんな理由だろうが、出られないと陥落してしまう。

その点、横綱は休んでもやめさせられない。

白鵬の勝ち星1093勝も凄まじいが、負け数が199というのもえげつない。連敗したら休む、負けそうになったらとにかく休む。

ずるいけど神さまなのでしかたがない。

師匠は現役時代に最高位が幕内13枚目なので、神にはなんにも言えない。なにか注意して「平幕になにがわかる」なんて言われたらぐうの音も出ない。

目の前に見上げるばかりに高くて、遥か彼方まで延々とつづく壁がある。

その壁をどこまでも歩いて壁がなくなるところまで行こうとするのが十両、高い壁を無理やりによじ登って越えようとするのが幕内。

いっぽう迷うことなく、ぶちかまして一気に崩して向こう側へといってしまうのが横綱だとか。

直径5メートル弱の土俵のなかに、じぶんの存在のすべてをかけてぶつかりあう力士たち。

頂点である横綱をめざして、今日も土俵に上がる。

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『横綱土俵入り』
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2021年09月16日

Ig Nobel Prize Winners 2021

今年も、イグ・ノーベル賞の発表がありました。

イグ・ノーベル賞は、否定の接頭辞 “ig” をつけたノーベル賞のパロディ。

「イグノーブル(ignoble)=下品、恥ずべき」と掛けたジョークでもあるそうです。

去年はルカシェンコ大統領らが医学教育賞を受賞。受賞理由は「政治家は科学者や医師よりも生死に多大な影響を与えられる」ということを実証したから。

ルカシェンコ大統領は「片腕の男を拍手罪で逮捕した」という2013年度の平和賞につづく、2度目の受賞。

そんなイグ・ノーベル賞に今年も日本人が選ばれました。

スマートフォンを見ながら歩くひとがいると、集団全体のうごきがさまたげられることを実験で突きとめた京都工芸繊維大学の村上久助教授らが『動力学賞』を受賞した。

去年は「ワニにヘリウムガスを吸わせると鳴き声が変わることを証明した論文」で西村たけしさんが音響学賞を受賞。

研究で、爬虫類の鳴き声の出し方も鳥類や哺乳類とおなじだとわかった。鳴き声がどのように進化してきたかを解き明かす貴重な成果なのだそうです。

これで日本人は15年連続の受賞。

1995年は「ピカソとモネの絵を見分けるハトの研究」で渡辺茂さんが心理学賞を受賞。1997年は、大ヒットしたおもちゃの『たまごっち』が経済学賞を受賞。2004年は『カラオケ』の発明にたいして平和賞があたえられた。

2007年は「牛のふんからバニラの芳香成分“バニリン”を抽出すること」に成功した山本麻由さんが化学賞を受賞。2014年は「床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだときの摩擦係数を計測した研究」で馬淵清資さんが物理学賞を受賞。

2018年は「大腸の内視鏡挿入を容易にするために内視鏡スコープを自ら大腸に挿入することを研究したことについて」で堀内朗さんが医学教育賞を受賞した。

ノーベル賞はいかに人類の役にたったかが問われるけれど、イグノーベル賞は「人々を笑わせ、考えさせる業績」が対象だそうです。

笑わせたあとに考えさせる・・・

作品づくりにおいて、じぶんも常に意識しているところでもあります。

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参照:2020年10月2日、2021年9月11日 朝日新聞 | 2020年10月7日 毎日新聞 | 2018年6月13日 BBC NEWS JAPAN | 2018年4月11日 Yahho!ニュース、木村正人 | FNNプライムオンライン
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2021年09月17日

カイガラムシに思いを寄せた日記

朝起きたら晴れ。

今日は台風が来るまえの貴重な晴れらしい。

晴れの日にしかできない仕事を終わらせよう。

まずはからだを整えて仏前に座り真言を唱えます。こんなときなのでみんなの健康を祈ります。コンビニへいって戌井君の連載を立ち読み。滑稽な物語に声を出して笑ってしまい癒される。

こんなときだからこそ、笑いを大切にしたいと思う。

そのあとは申請書作業をすこしやってから『ブログ?』をアップ。さあ作業をするぞ。最初はたまっていた洗濯もの。合宿で使ったシーツを6枚、洗って干す。

そのつぎは野外舞台の防腐剤を塗る。キシラデコールという最高級防腐剤で重要文化財にも使われている。

木は呼吸をするのでどうしても腐ってしまう。それを防ぐことはできないが、まめに防腐剤を塗ることで腐るのを遅くすることはできるとか。

結構な広さなので汗だくになって、昼までかかってしまう。しかし天気が良いのですぐに乾きそう。手の握力がなくなる。

昼ごはんを食べたら雑草を抜いてから、ローリエを刈り込む。合宿のときにローリエの病気を真鍋淳子が発見。

なんだか黒ずんでるな。と思っていたら、カイガラムシという害虫にやられていた。小さなキラキラひかる銀色の虫なのかなんなのか、うごくわけではなくて不思議な物体。調べたらなんとカメムシの仲間だとか。

放っておくとどんどん大きくなって下手をすると木そのものが枯れてしまうそうなので、カイガラムシのついてるところを残さないように気をつけて刈り込む。

しかしほとんどやられていて、これは枯れてしまうかもしれない。と残念な気持ちになる。

なんとか持ちこたえてくれれば良いが。

暗くなるまで作業して切った枝をごみ袋に入れて作業終了。

家のなかに戻って申請書作業のつづきをやる。都志にあったむかしのスケジュール帳と通帳を照らし合わせながら、過去の仕事を確認して記入。

疲れた。

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『いつか描いた絵』
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2021年09月18日

The anniversary of Ruth Bader Ginsburg's death

今日は、アメリカ連邦最高裁のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の命日。

性差別だけではなく、あらゆる不平等に立ち向かったかたでした。

ギンズバーグ氏は1933年、ニューヨーク・ブルックリンで生まれた。

ユダヤ系移民の両親は帽子などを売る店を営んでいたが生活は苦しかったという。彼女が17歳のときに亡くなった母親からは二つのことを教えられた。

「淑女であれ。そして自立したひとになれ」

1956年、ハーバード大学法科大学院に進学、当時の法の世界は男性がほとんどで同級生540人のうち女性は9人だった。そのあとコロンビア大学法科大学院へうつり主席で卒業。

それでも『女性』だという理由で差別され、大手法律事務所へは就職できなかった。卒業後は地区裁判所判事のもとで弁護士見習いとして働く。

1972年、コロンビア大学ロースクールで女性として初の常勤教員となる。おなじときに自由人権協会で法廷闘争を数多く手がけ、性差別と闘う法律家として全国的に有名になっていく。

1980年、カーター大統領によって連邦裁判所判事に指名され、高い評価をえる。

1993年、クリントン大統領によって最高裁判事に指名されて就任。

アメリカ空軍の女性差別待遇をめぐり、弁護士として最高裁の弁論にのぞんださいには男性ばかりの判事をまえに、奴隷制廃止と女性解放に尽力したサラ・グリムケの言葉を引用した。

「じぶんの性を特別扱いしてくれと言っているのではありません。男性のみなさんにお願いしたいのは、わたしたちの首を踏みつけているその足をどうかのけて欲しいということです。」

はじめて最高裁で闘ったこの裁判では勝訴した。

150年のながきにわたり女子生徒を拒否してきた軍人養成学校の入学規定をめぐる裁判では「能力に基づき社会に貢献しようとする女性の権利を否定してはならない」と違憲の判決を下す。

また妻に先立たれ子育てする男性が、1人親手当の給付をもとめた裁判でも勝訴する。アメリカ社会の中にある、ありとあらゆる不平等の是正のために闘いつづけた。

「判事9人のうち何人が女性ならば十分か」との問いにはいつも「9人」と答えた。

「こう言うとみんなが驚きます。これまで全員が男性だったときには、誰も疑問に思わなかったのに。」

差別するこころというのは思い込みや決めつけ、疑いのない古いあたまのなかにある。

ハッと驚く眼差しで、社会の矛盾や差別を見つめていきたいものです。

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『Tシャツの絵を模写』

参照・引用:2020年9月20日、22日 毎日新聞 | 2020年9月21日 朝日新聞 | Wikipedia.
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2021年09月19日

申請3度、悲願の認定

泉さと子さんは3度目の申請で救護被爆認定をされた。

申請をなんども却下されて、不服申請も棄却されたひとに被爆手帳が交付されるのは非常にめずらしいそうです。

原爆投下当時、泉さんは爆心地から約60キロはなれたところの女学校にかよう12歳だった。

1945年8月6日朝は登校日で、校庭で草抜きをしていると遠くで「ピカッ」と光った。午後、友人と帰宅途中に駅から全身を包帯で巻かれ血がにじんでいる人たちがつぎつぎと降りてきた。

何人かの皮膚が垂れ下がった人の手を握って、救護所となったちかくの国民学校まで連れて行った。

学校の講堂には200人以上が収容されていた。助けをもとめる人に四方八方から服を引っ張られながら、大人の指示をうけて傷口を消毒したり包帯を巻いたりの看護をした。

それから毎日、8月末まで友人とともに足をはこんで救護活動をしたという・・・

1996年、63歳のときに救護活動にたずさわった人も被曝手帳を申請できると知った。証人がふたりいることが交付条件とされていたため、当時の女学校の教師らに依頼して広島市に交付を申請。

しかし、教師たちは原爆投下直後、広島市内で救護活動をしていたため、泉さんの活動を直接見ていないとして認められなかった。

2017年にも再申請。一緒に救護活動をした友人数人に証言をたのんだが「思い出したくない」と断られたり、認知症で証言ができなかったりしての再申請だったが却下。

2018年には女学校の友人ではないおなじ救護所で活動をしていた女性に証人を依頼し3度目の申請をこころみたが泉さんの具体的な活動を証言できず却下となり、不服審査請求を申し立てたがこれも2021年2月に却下された。

学校や地元の婦人会など団体として救護した場合は記録がのこっているが、個人的なボランティアとして善意で救護をした泉さんの公的な資料はなかった。

2021年4月上旬ごろ、お互いを証人にして申請をした友人にひさしぶりに電話をすると「被曝手帳がとどいた」と言われる。泉さんが広島市に問い合わせた約2週間後の4月28日に一転、許可され広島市役所で手帳をうけとった。

はじめて被爆者としてむかえた戦後、76年目の夏。

「救護活動を社会的に認めてもらえ、これまで以上に体験をしっかり伝えたい。」

88歳になった泉さんは、そうほっとした表情で語った。

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『ふたつの太陽_2021』

参照・引用:2021年8月12日 毎日新聞
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2021年09月20日

あるお彼岸の日記

今日からお彼岸。

まずは朝のルーティン、からだを整える。

そうして仏壇を掃除する。灯明台、香炉、花立をそとへ出す。

お位牌もすべてそとへと出す。お位牌のいちばん古いのは初代、木谷楠蔵夫婦 安政六年。

2番目は二代、木谷楠蔵夫婦 明治41年。そのつぎは三代、木谷楠蔵夫婦 大正3年。四代、木谷實平夫婦 昭和23年。五代、木谷眞裕夫婦 平成12年、とつづく。

ほかにもはやくに亡くなられた、ご先祖のお位牌が3柱ある。お位牌は"はしら”と数えるそうです。

お彼岸は先祖供養もするけれど、本来は煩悩と迷いの世界である"此岸”にある者が、修行をすることで『悟りの世界』すなわち"彼岸”の境地へ到達することが出来るというとき。

太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さがおなじになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を"彼岸”と呼び、この期間に仏さまの供養をすることで極楽浄土へ行くことが出来ると考えられているのだそうです。

てなことはまったく知らず考えず、仏壇のなかを丁寧に拭き掃除して、お位牌を8柱すべてもとにもどす。

香炉を掃除して花立てに庭に咲いていた彼岸花をお供えする。今年はじめて、ほぼ春夏秋冬をとおして都志にいたのでいろいろな発見があった。

この季節に庭に彼岸花が咲くこともはじめて知った。

お茶を沸かしてお供えして、灯明に火をともし線香に火をつけ香炉にたてる。

こころを落ち着け手をあわせる。

「おん さらば、たたぎゃた はんな まんな のう きゃろみ」

勤行を終えたら、日本芸術復興創造基金の助成金申請書をメールにて提出。なんとか採択されることを願います。

ほんらいならば昨日まで公演のはずだったが、残念ながら中止。10月も中止。

11月の特別公演はなんとかやる方向でうごいているので、そろそろチラシをつくらねば。

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おとなりのワンちゃん『たき』寝てばかりいる。
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2021年09月21日

勝つことではなく負けないこと

「負けないと勝つはちがう」

霊長類学者の山際寿一さんはそう語る。

子どもは負けず嫌いだけど、子どもの「負けたくない」という気持ちを、親が「勝ちたい」という気持ちに誤解し勝たせようとしてしまうことがある。

周囲の期待を背負うと子どもはどうしても、勝とうとしてしまう。スポーツは勝ったあとで健闘を称えあったりして融和を目指しているので問題にはならないが、日常生活では勝つことによって自分に不利な状況になることがある。

相手のことを考えて眠れなかったり報復が心配で震えて眠ったり、集団のなかで孤立することもある。

「負けたくない」と「勝ちたい」というふたつの気持ちは、まったく異なる似て非なるものなのだそうです。

日本の自衛隊は専守防衛です。負けないための武力。

「敵が不法に武力攻撃を加えてきたり侵略してきたら防衛する。座して死を待つわけにはいかないから、国民の抵抗の中核となって起ち上がるのだ。という考え方である。」

そう副総理などの要職をつとめた後藤田正晴氏は『私の履歴書』に書いている。

後藤田さんは5年間の軍隊経験があり、紙一重で死線を越えたこともあった。復員後は神奈川の物資配給を担当したが、米軍キャンプを困窮する日本の子どもや女性たちが取り巻くすがたに戦争の悲惨さを痛切に感じた。

そうした体験を経て自衛隊の前身、警察予備隊の発足にたずさわった。米軍は敵地攻撃できることも可能な軍隊にしようとしたが、国土を防衛する部隊にこだわったという。

その考えかたは終生ぶれなかった。

「いま、自衛隊の基本的な任務はなにかというと防衛なのです。不法な侵略に対する抵抗なのです。外国へ出ていって武力行使することは、想定していないわけです。だから主任務はあくまでも専守防衛なのです。」

死の直前に沖縄で講演した際に後藤田さんは語った。

自民党総裁選に立候補した高市早苗議員は戦争を経験した先人が否定した、敵地攻撃のための法整備を口にしている。

武力での攻撃は報復をまねき、軍事施設だけではなく非武装の民間人も犠牲になってしまう。

それは歴史が証明しています。

大切なのは専守防衛、勝つことではなく負けないことなのです。

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逝きし子に 詫びても足らぬ原爆忌〜西久保キクノ

参照・引用:2020年7月29日 朝日新聞 オピニオン〜『明日へのレッスン』、探求〜『多事奏論』| 2021年9月9日 朝日新聞 一面
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2021年09月22日

あたりまえのこと

東京へと移動です。

テレワークなんてできない仕事なのでしかたがない。

からだをつかう仕事のかたは、ほぼテレワークなんてできない。

いまたいへんな医療従事者は不可能。介護や保育なんて仕事も無理。土木建設現場や工場作業もできないし、ライフラインといわれている電気ガス水道や清掃業も管理職以外は無理かもしれない。

農業も漁業も林業も出来ない相談。「てれ・・・それなんだべ」

今回もバスで移動だったが、運輸にたずさわるドライバーさんたちもありえない。

電車はあいかわらず満員だが、電車の運転手さんも車掌さんも家ではできない。

テレワークなんてことが可能なのは、パソコンをつかってできる仕事だけ。パソコンひとつでできる仕事と考えると人を右から左へうごかして、物を左から右へうごかして、お金を右から左へうごかしてという仕事が多いのか。

建築家に各種デザイナー、小説家も可能か。

あとはプログラムなどの指先ひとつでできる仕事。

最近は戦争もまるでゲームのように無人機を指先だけでうごかしてやっているとか。

すでにAIが敵か味方か判断して攻撃するシステムも開発されているようです。先日、アフガニスタンで民間人が誤爆されていたが、怖ろしい。

時代は止めようもなくすすんでいく。いいのかわるいのかそれはわからない。

便利になって豊かになればなるほど、人間のこころはギスギスして貧しくなっていくように感じるのはなぜだろう。

能力主義の考え方がひろがって格差はどんどんひろがっている。高級車がバカ売れしているいっぼうで、何日も食べられずティッシュを口にし飢えをしのぐ子どもがいる。

虐待で亡くなる子どもが1週間に1人で、虐待件数は年間20万件を越すとか聞くと、この国はいったいどこへ向かっているのだろうと暗い気持ちになってしまう・・・

えーい、暗いことを考えるな。この世界は間違いなくよくなっている。虐待が多くなったのは、それが発見されやすくなったから。

考えてもきりがない、じぶんにできることをとにかくやろう。

まずは移動だ。

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『しばしお別れ、たき』

参照:2021年8月28日 朝日新聞
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2021年09月23日

移動つづき

高速バスで新宿まで行くか。

それとも途中下車するか。

クルマは渋滞したり事故があったりと不確定要素があるので、電車のほうがはやく家に帰れるかもしれない。

迷った末に途中下車はやめて、腰を落ち着けて新宿まで行くことにする。

決めた途端に渋滞しはじめて「なんやねん。」と後悔しつつ、都会が近いことを実感する。クルマが多すぎるのだ。そしてひとも多い。そのぶん仕事も多いので、みなさん都会からはなれられない。

とか考えながらのろのろ歩くようにすすむクルマのあかいテールランプを眺める。

持参した三島由紀夫の『仮面の告白』を読もうとするが、なんだかはいっていけない。文体が格調高いのはわかるし、勉強のできるインテリなのはわかるけれど、なんだか考えている内容が幼稚に感じて苦笑。

読むには歳を取り過ぎたのか。

急に渋滞が解消されていったいなんだったのだろう。夕闇の高速道を快調に走る。

都心に入ってきたら、まただんだんと渋滞してくる。あたりは暗くなって、かわたれどき。テールランプがいちだんとあかく鮮やかにひかりかがやく。

高速から降りたらクルマが数珠つなぎ、ほとんど止まってしまったりする。

そういえばと思い出して大相撲をラジオで聴く。ちょうど結びのいちばん。昨日、1敗した新横綱、照ノ富士に小兵力士、宇良が大健闘したようで音声だけだとよくわからなかったが、解説の北の富士さんが大興奮して大喜びしていた。

テレビだとほとんど喋らないのに、ラジオでは取り組み中も「あー」とか「うわうわ」とか声を出しつづけていておもしろかった。

到着予定時刻からだいぶん遅れて新宿バスターミナルについたら、ちょうど帰宅時間。新宿は都志では、考えられないぐらいにひとがいた。

電車は超満員。しかしだんだんとかかるひとが減っているとか。

このまま下火になって欲しいものです。

12時間以上マスクをしていたので耳が千切れそうになって、あたまが割れそうになった。

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昨日のはバスの中で描いたので描きなおしてみた、たき。
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2021年09月24日

憎しみは憎しみによってはやまず、ただ愛によってのみやむ

第二次世界大戦のあとにアメリカと旧ソビエトによって引き裂かれた、朝鮮半島。

そもそも大韓帝国は、敗戦国になったわけではないのになぜ南と北に分断されたのだろう?

ドイツのように戦争に負けて東と西に分断されるのはわかるし、その理屈でいえば戦争に負けた日本が東と西に分断されるべきなのに・・・

理由は、植民地支配をしていた大日本帝国が負けてしまったからだそうです。南はアメリカが占領統治して民主主義になり、北は旧ソビエトが占領したのでソ連は崩壊したのにいまだに共産主義。

北緯38度線でわかれたのは、太平洋戦争の末期にソビエトが参戦して朝鮮半島に侵攻、広東軍に勝利したことにあわてたアメリカが急遽、38度線でわけて統治しようとソビエトに申し出たから。

それにしてもなぜ日本は分割されなかったのか?

調べてみたら米ソ英中で分割することは、決まっていたようです。

北海道と東北はソ連、関東・中部・関西・沖縄はアメリカ、四国は中国が、中国地方と九州をイギリスが支配。米英中ソで東京を、米中で大阪を分割し統治する案で最終決定していた。

この計画が廃案となった理由にはいくつかの説があるけれど、スリランカの初代大統領、J・R・ジャヤワルダナ氏の感動的な国連演説が、分割統治から日本を救ったと言われているそうです。

もしも分割されていたら、日本のなかが東欧なみにややこしいことになり朝鮮半島のようにいまだに内戦状態だったかもしれない。

そうして生まれるいろんなドラマ・・・

東西南北に引き裂かれるいろいろなものがたりはその理不尽さとそれが実際にあったこと、というのがあいまって不思議なリアリティーで胸に迫ってくる。

旧東西ドイツやポーランド、チェコスロバキアの映画や小説には名作が多い。いまでは信じられないような話しや、笑えるようなものがたりもたくさんある。

そうして戦後76年もたつのに癒えない戦争後遺症のひとつ、朝鮮半島の分断。

世界中ではいまも紛争が絶えません。そうして生み出される難民のかたがた・・・いつの世も国家に翻弄される国民という存在。

戦争の元凶である国ってのは、ほんとうになんなんだろう。

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『ジュニウス・リチャード・ジャワルダナ』

参照:世界史の窓 | FOOD ROAD ORGANIC NETWORK
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2021年09月25日

観劇、打ち合わせ

吉祥寺シアターへオペラシアターこんにゃく座の公演を拝見にいく。

作・演出、鄭義信さん、作曲、萩京子さんの新作『さよなら、ドン・キホーテ!』

舞台美術が迫力のつくり込みで、はじまる前からわくわくとする。

こんにゃく座は今年、50周年で次回の公演ももう決まっていて感服する。古巣、大駱駝艦とおなじようにカンパニーとしての底力に圧倒される。

「いいなあ。」とうらやましがってもしかたがない。じぶんにしかできないことを地道にやっていこう。

パンフレットで鄭義信さんのプロフィールも拝見して「活躍しつづけてるなあ。」と感心。

折り込みチラシを見ていたら、じぶんたちが落とされた文化庁AFFの助成を受けている公演ばかりで淋しい気分になる。

淋しい気分で油断をしていたら歌役者さんが登場。諸注意を絵本でやって鄭さんの演出がいきなりひかる。

舞台はあそび。どんなことでも工夫してあそばないとおもしろくないのです。

観ていると、どうやら第二次大戦中のフランスだとわかってくる。主役の男の子みたいな女の子が元気よく頑張っていた。

みなさん楽しそうにやっていてうらやましくなる。

休憩中にパンフレットを見たら、元気のいいひとが前回振付をした作品で主役のお姫さまをやっていた高岡由希さんだと知ってびっくり。長かった髪の毛をバッサリと切ってのボーイッシュな役とわかって感動。

プロ根性を感じつつも、よく考えたらあたりまえのことかと納得。

戦争中のお話なので暗くなったり悲しくなったりするけれど、鄭さんの戯曲は根底に明るさがあるのですくわれる。

観ていて物語のもつちから強さをあらためて痛感して、もう一度戯曲制作に挑戦したくなった。

つぎはもっとやわらかくことばをあつかいたい。

いつものようにダブルキャストなので、ちがう組みの舞台を是非とも拝見したくなった。おなじ役でも役者さんが変わればまったく違ってくるのです。

観劇のあとは、打ち合わせをして帰宅。

刺激的な1日だった。

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『graffiti_2021_923』
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2021年09月26日

it takes a revolution to make a solution

戦争の原因である国家のはじまり。

それは格差と不平等のはじまりでもあった。

人類の歴史上で格差拡大、不平等を解消する働きをしたのは戦争、革命、崩壊、そして疫病の四つのみだという・・・

いまの人類の誕生が20万年前。

アフリカをでて東南アジア方面へむかったのが5万年前、そこからさらに人類は世界中に拡散する。

1万年前にメソポタミアを皮切りに農耕文明がおこって同時に格差という不平等もおこりはじめる。

それまでの狩猟採集民社会は平等で、獲得した大型の獲物を公平に分ける価値観を持っていたという。獲物がとれることもあればとれないこともある、不確実性の高い社会における保険だった。

助けあうことが多いほど生き残る可能性も高まるため、平等性は社会的な知恵でもあった。

狩猟採集民がもとめた生きた食物とちがって農耕民がかかわって土地から生みだす穀物は、所有と保存ということができるようになってしまった。

さらにその穀物を生みだす土地というものは売買したり資本として価値をもつようになる。

農耕の周辺に遊牧がはじまり、そのあいだで交易と争いがはじまった。やがて戦争の元凶である国家というものが生まれてしまう。

ここから格差と不平等にさらに拍車がかかる。権力をもって支配するものと労働力として支配されるものの誕生。

古代中国では格差をなくそうと政策がおこなわれたが失敗、腐敗してなにもかわらなかった。

それはいまもおなじ。共産主義の理想をこころざしてあたらしい国家が血の犠牲とともにはじまったが、結果はご覧のとおりの1党独裁の格差社会で完全なる不平等。

いろいろな国で権力者は手だてを講じようとしているのだろうけれど、権力を持つものはつねに富めるほうにいるので真剣にはなれない。

たしかに格差の是正や不平等の解消には、暴力的破壊以外の手だてはないのかもしれない。

そんなふうに思ってしまうのでした。

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膨大な戦死者が出た第一次世界大戦だが、一方で貧富格差を是正した。コピーライトマークImperial War Museum (Q 5100) / Photographer:John Warwick. This image comes from the Google.

参照:2019年12月22日 毎日新聞 書評、三浦雅士『暴力と不平等の人類史』ウォルター・シャイデル著 | リクルートマネジメントソリューションズ連載コラム『食うために働き、働くために食って寝る』組織行動研究所所長:古野 庸一
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2021年09月27日

夢、Dream

高校の同級生、宮崎堅一と八百屋でアルバイトをしている。

もう1人、女性もバイトで入ってる。最初に野菜の袋詰めをさせられるが、うまくいかずに店のおっさんに嫌味を言われる。

目の前のミョウガを袋に入れるが、きつきつで袋が汚れてるしまた小言を言われそうで「これでいいのか」と不安になる。

女性が「いらっしゃい、いらっしゃい」と声を出したら、店の女に「変な声出さんといて」と怒られる。店のおっさんが「今日、入ったばっかりやねん」と女に説明してる。女性の表情を観察したら憮然としてた。

そこへダンサーの入手杏奈さんが漫画を買いにくる。手に取った週刊漫画を見て「あれを毎週読んでるのか。」と内心、ふむふむと思う。

バイトをしてるのが恥ずかしくて気づかれないようにと願う。女性に気づいて「いまからリハーサルなんです。」とか話しをしてるが、こちらには気づかずに良かった。

通路を歩いて出て行こうとしたら、高く積んであった漫画が崩れて杏奈さんの頭に落ちてきて大丈夫か。下敷きになってしばらくバタバタしてて「怪我をしたら踊れなくなるぞ。」と心配になる。

しかし笑顔であらわれて、無事でなによりだった。

5階建てのビルで打ち上げ。

1階へとトイレを探しにいったら不破大輔さんをはじめ、渋さ知らズのメンバーが飾り付けをしている。もうしわけない気分で用をたそうとしたら便器がなかった。

3階ぐらいで料理をつくっている。キッチンは手づくりな感じでオーガニックな雰囲気。女性たちがいそがしくはたらいている。手伝おうと思うが手は足りてるようなのでやめておく。

やはり、おそらく手づくりのほそくて急な階段を上へのぼっていく。いちばん上は畳敷きの大広間で窓がおおきくて明るくて気持ちがいい。暑いので服をぬいでくつろぐ。

これから盛大な飲み会があるのだ。

デュ社旗揚げメンバーの松原東洋がいて大駱駝艦の先輩、星野建一郎もいる。

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『ルーピング』
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2021年09月28日

Nuclear bomb 2021

原爆をこころから神に感謝する。

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1952年、マーシャル諸島エニウェトク環礁で行われた世界初の水爆実験。

科学と技術が突如として、それまでは想像も出来なかった次元に飛躍していた。

原爆の破壊性があまりにも畏怖すべきものだったので多くの日本人は、はじめそれを痛ましい負け戦そのものとおなじくほとんど自然災害のように感じた。

すぐに怒りがどこかへいってしまった。

原爆が戦争の愚かしさを象徴するようになるにつれ、さきの戦争そのものが日本人の愚かしさと受けとめられるようになった。

1961年、史上最大の水爆であるソ連のツァーリ・ボンバ核実験映像。威力は広島型原子爆弾の3300倍であった。

たぶん原爆によって世界は良くなったんだ。

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1946年、アメリカがビキニ環礁で行った核実験。

思わず空を見上げたとき、気球のようなものがふわりと落ちてくるのを屋根越しに見た。

次の瞬間、稲妻のような白い光、あるいはマグネシウムを大量に燃やしたような閃光を感じた。

からだ中に強烈な灼熱感を覚えた。同時にもの凄い地響きを聞いた。

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ネバダ州の実験場で行われた37キロトンの『プリシラ』核実験。

アインシュタインが研究に取り組んだのは、純粋に知識そのものを探求する気持ちと、そして宇宙創造に対する宗教心にも似た畏敬の念を抱いたからだった。

それにもかかわらず彼は研究の結果、地球上に創造されたものすべてを絶滅させるような破壊の手段、兵器の開発につながる理論的な発見をしてしまった。

核爆発の際に放出されるエネルギーに関する法則。

すなわち“E=mc2”

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1955年、ネバダ砂漠。

死体の格好は千差万別だが、共通しているところは、うつ伏せの姿が多いことである。

ただひとつの例外は、仰向けになって両足を引きつけ膝を立てて、手を斜めに伸ばしている男女であった。

身に一糸もまとわず黒こげの死体となって、一升瓶に二杯ほどもあろうかと思われる脱糞を二人とも尻の下に敷いていた。

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1953年、アメリカ、ネバダ実験場で実施された280ミリ原子砲による戦術核発射実験。

右手の堤防下の草むらに無数の死体が転がっていた。川のなかにも、次から次に流れていた。

火焔が街をひと舐めにしたことがわかる。

上半身だけ白骨になったもの、うつ伏せになって膝から下が白骨になったもの、両足だけが白骨になったものなど、千差万別の死体が腐乱し、異様な臭気を発していた。

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2013年、シリア。

いまシリアに原爆を二、三発落とせば、戦争は終わると思うが、それについて被曝した君たちはどう思うかね?

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1964年、中国のはじめての核実験。

原爆をある都市に投下する、という決心を他の都市の人間たちがおこなうということは、まさに異常だ。

科学者たちに爆発後の地獄への想像力が欠けていたはずはあるまい。

1955年、ネバダ砂漠での実験映像。

キノコ雲といいますが、あれは煙ではないのです。

火柱なんです。

巨大な火柱なんです。何もかもを焼き尽くす、おおきなおおきな火柱なのです。

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1971年、南太平洋ポリネシアのムルロア環礁で行われたフランスの核実験。

核廃絶は遅かれ早かれ、必ず達成される。問題はそれが核戦争の後か先かということだけだ。

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1970年、フランスによる『リコルヌ』水爆実験。

ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ

わたしにつながる にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを へいわをかえせ

All images comes from the Google.

参照・引用:『ヒロシマ・ノート』大江健三郎 岩波新書、『黒い雨』井伏鱒二 新潮文庫、『千の太陽より明るく』ロベルト・ユンク著 菊盛英夫訳 文藝春秋新社、図録『原爆の絵』広島平和記念資料館編 岩波書店、『ヒロシマを世界に』広島平和記念資料館編、『夏の花』原民喜 集英社文庫、『原爆詩集』峠三吉 平和文庫 日本ブックエース発行、『忘却のしかた記憶のしかた』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:47| ブログ?

2021年09月29日

50を超えて

父親に怒られました。

かかったらしかたがないとか、ひとはいつか死ぬとか投げやりなこころを、この『ブログ?』に記していたのをたしなめられた。

最大限にやれることはやりつつの発言だったが、言葉はときとして投げやりになってしまう。50歳を超えるとなかなか、注意したり叱ったり怒ったりしてもらえなくなるので、貴重でありがたいこと。

真摯に反省するのです。

とはいえ「それにしてもいつまでこんなことがつづくのだろう」と、いい加減もう、うんざりしてしまう。

なぜこんなことになったのだろう。

誰かのせいにしよう何かのせいにしようと情報はいろいろと嵐のように出回っているけれど、ほんとうのところはよくわからない。

ひとの行動を制限しようとするのではなく問題を解決する方向へとぜひともうごいていってほしいが、いま唯一のネックのようでマスメディアでも去年からずーっと騒いでいる医療の問題はいっこうに解決されない。

原因はいろいろ言われているが、風邪やインフルエンザとおなじようにひとりひとりが気をつけて生きていくことが肝要なのでしょう。

この1年でマスクをはずして喋るのが、最もうつる可能性が高いことを学んだ。不特定多数のひとと、それさえしなければ、かかることはないことも知った。

あとは濃厚接触。しかし濃厚接触ってあらためて想像するとすごいことば。こってりとねっとりと接して触れあう・・・

たとえワクチンを国民全員がうっても集団免疫の獲得は困難と政府分科会は言う。ワクチン接種後に感染する人や亡くなる方や、ワクチンが効かない変異も見られるという。

ワクチンを接種したあとに亡くなった方も千人以上いるという。

制圧という無理なゼロを目指すのではなく、アメリカや欧米のようにともに生きる方向へいくほうがいいのではないのか。

そんなふうに思う秋の夕暮れ。

ひとはいつかは亡くなる。

やはり、だからこそいまを大切にして生きたいと思うのでした。

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『父が描いた絵』

参照:2021年9月14日 朝日新聞 | 厚生労働省HP
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 16:43| ブログ?

2021年09月30日

紙から数字へ

デジタル人民元が去年の10月から実証実験を開始。

実用化へむけて急ピッチですすんでいるそうです。

カンボジアではすでにデジタル通貨"バコン”が実用されている。

「元の初代皇帝フビライ・ハーンは最高の錬金術師だ。」そう言って、マルコ・ポーロが紙切れでできた通貨におどろいたと『東方見聞録』に記されている。

それまで“金”でつくっていた通貨をモンゴル帝国発行の紙幣にしてしまうという大胆なアイデア。戦いの報酬は銀で払われていたのが、ただの紙切れで支払われたので武将たちは大激怒。しかし覇者には逆らえず渋々、たんなる紙切れを受け取った。

市場に直行してものを買おうとしても商人に相手にされなかっただろう。浸透するまで混乱する経済。しかし、それもいまでは世界中で常識。

それを実現させたのは国家の信用だった。それから700年を経てただの紙切れは、いよいよ、ただの数字へと変化しようとしている。

数字をやり取りするあたらしい時代の到来。

給料もすべて数字で口座に振り込まれ、そこから数字を引き出してカードやスマホでピッとやるだけ。いまもほとんどそんな世界だけどまだまだ通貨が流通している。

いまお給料は振り込まれるけれど、振り込むときはやはりお金なのか。それしかないのか。何万人もいるような大企業はどうしてるのかな。いちいち誰かが振り込みにいくのか。たいへんな手間だな。

調べたらやはり給与の振り込みは現金のようだった。手数料削減のためにデジタル支払いへの期待は高まっているがまだ壁は多いようです。

デジタル円が発行されれば可能になるのだろうけれど、そうなるといよいよ通貨というものがなくなるのか。

通貨という実態がなくなり、SF映画のようなほんとうの架空取引になっていく。

デジタルマネーの実用にむけて突きすすむ世界。

どう信用と信頼をつくりあげるかが、これからのおおきな課題のようです。

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円でも元でもバコンでもええ、稼ぐぞ、湯山!

参照:2021年9月16日 毎日新聞 | 2021年10月1日 J-WAVE
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 17:52| ブログ?