舞踏は死を嫌いません。
どちらかというと好みます。
初期の頃は暗黒舞踏派と名乗っていた。暗黒=死。
「暗闇でアンコを喰う舞踏だ」は創始者、ひじかたたつみ特有の韜晦。ならばこっちは「マンゴを喰う舞踏だ」と『舞踏?』という作品で暗闇でマンゴを喰った。“萬國舞踏派〜まんごくぶとうは”というのも20年ぐらいまえに立ち上げようとしていた。
じぶんは死なんておそれるものではないと思っている。本当のところは誰にもわからなのだし、だっていま生きているにんげんは誰も死んだことがないのですから。
死後の世界とか生まれ変わりとかいろいろいわれているけれど、実際のところたしかではないしいまいち信用できないし説得力に欠ける。
目に見えない世界は信じているしどちらかというと好きだが、宗教的というか説教臭が漂ってくると嫌になる。
このよにわからないことのひとつやふたつあったってばちはあたるまい。
死んだらどうなるかわからない、その末期のつぎの瞬間に「あー、はいはい」か「うわー、そうきた!!」か「えー!?まじでー」か。はたまた「・・・」か、おおいにたのしみではないか。
近代知の巨匠、埴谷雄高が人類にできるもっとも意識的な行為は「自殺と子どもをつくらないこと」と断言している。
死は恐れないじぶんだがどちらもできない。
“死”という人類にとっての永遠の謎、死を考えることは“生”を見つめることでもある。そして闇があるからこそひと筋のひかりにも感動できる。
だから土方巽はひかりよりもやみ、この社会が忌み嫌う死=暗黒のほうを大切にしたのだ。
人類はいま、しぜんな死を受け容れようとせず、避けようとしすぎるあまりに可笑しなことになっているのです。
くらやみでまんごくうぶとう