ロシアの侵攻はだんだん失速してきているようです。
国民総動員になっているウクライナのひとたちは士気がたかくて、ロシア兵は大義がないので士気が落ちてきている。
しかし国内にも国外にも独裁者、プーチンを止められるものはいない。金融上の核兵器ともいわれているSWIFT制裁もはじまってどんどんひろがるロシア包囲網。けれどもあんまり追い詰めるとあのひとはなにをするかわからない。
かれは相変わらず核兵器の使用に言及して恫喝をつづけている。いままでのプーチンは冷血で計算高かったのが、いまのプーチンはもっと危険でやばい感じだそうです。
そんななか安倍元首相が核共有について口にしたらしく、岸田首相は参議院の答弁で否定。被爆地からは猛抗議。
核共有とは「普段からアメリカの核兵器を日本に配備しておき有事には日本が核兵器をつかえるようにするというもの」だって、そんなもの許されないに決まっているのにどさくさにまぎれてなにを言い出しているのだろう。
「国民のいのち、国をどうすれば守れるかについてはさまざまな選択肢にいれて議論すべき」だって、その核兵器によって国民のいのちが莫大に奪われたことを忘れてしまったのだろうか。
核兵器の使用をやめさせることではなくて、じぶんも核をもってそれに対抗しようなどと考えることがいかに愚かなのかわからないのだろうか。
核があれば優位に立てるとか、国を守るには核保有しかないという考えかたでは北朝鮮とおなじ、もとの木阿弥陀仏。
いま核兵器を本土に2度も落とされた日本がとるべき態度はプーチンの核による恫喝にけっして屈しないで、逆に核軍縮や核兵器不拡散のとりくみが減速しないようにリーダーとなって世界に働きかけることでしょう。
核抑止論は保有しているものの理性的な思考を前提にしているが、今回のプーチンはそこがあやしい。
ひとの痛みがわからないものはリーダーになってはならない。ましてや国家のリーダーになんてなってはならない。武器をもって闘っているウクライナ市民のすがたをみていると悲しくなってくる。
一瞬で無差別に人間を殺してしまう核兵器がけっしてつかわれないことを祈ります。
史上最大の水爆であるロシアの『ツァーリ・ボンバ』その威力は広島型原子爆弾のなんと3300倍。
参照・引用:2022年3月1日 朝日新聞