2022年03月01日

はやく戦争がおわりますように

ロシアの侵攻はだんだん失速してきているようです。

国民総動員になっているウクライナのひとたちは士気がたかくて、ロシア兵は大義がないので士気が落ちてきている。

しかし国内にも国外にも独裁者、プーチンを止められるものはいない。金融上の核兵器ともいわれているSWIFT制裁もはじまってどんどんひろがるロシア包囲網。けれどもあんまり追い詰めるとあのひとはなにをするかわからない。

かれは相変わらず核兵器の使用に言及して恫喝をつづけている。いままでのプーチンは冷血で計算高かったのが、いまのプーチンはもっと危険でやばい感じだそうです。

そんななか安倍元首相が核共有について口にしたらしく、岸田首相は参議院の答弁で否定。被爆地からは猛抗議。

核共有とは「普段からアメリカの核兵器を日本に配備しておき有事には日本が核兵器をつかえるようにするというもの」だって、そんなもの許されないに決まっているのにどさくさにまぎれてなにを言い出しているのだろう。

「国民のいのち、国をどうすれば守れるかについてはさまざまな選択肢にいれて議論すべき」だって、その核兵器によって国民のいのちが莫大に奪われたことを忘れてしまったのだろうか。

核兵器の使用をやめさせることではなくて、じぶんも核をもってそれに対抗しようなどと考えることがいかに愚かなのかわからないのだろうか。

核があれば優位に立てるとか、国を守るには核保有しかないという考えかたでは北朝鮮とおなじ、もとの木阿弥陀仏。

いま核兵器を本土に2度も落とされた日本がとるべき態度はプーチンの核による恫喝にけっして屈しないで、逆に核軍縮や核兵器不拡散のとりくみが減速しないようにリーダーとなって世界に働きかけることでしょう。

核抑止論は保有しているものの理性的な思考を前提にしているが、今回のプーチンはそこがあやしい。

ひとの痛みがわからないものはリーダーになってはならない。ましてや国家のリーダーになんてなってはならない。武器をもって闘っているウクライナ市民のすがたをみていると悲しくなってくる。

一瞬で無差別に人間を殺してしまう核兵器がけっしてつかわれないことを祈ります。

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史上最大の水爆であるロシアの『ツァーリ・ボンバ』その威力は広島型原子爆弾のなんと3300倍。

参照・引用:2022年3月1日 朝日新聞
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2022年03月02日

延期が決定で、中止はどうか

戦争はつづいている。

しかし無力なじぶんにはどうすることもできない。

ただ平和を祈るだけ。そうしてじぶんの身の回りのやれること、やるべきことをやるしかない。

田上豊さんが主宰する劇団『田上パル』の制作、尾形典子さんからメールがとどく。田上さんのスケジュールについての問いあわせの返信だった。

「最後に、念のための確認です。AFF2の要項を見ると、前回とは補助金額の算出にだいぶ変更があります。先日打ち合わせさせていただいた通りの進行でよろしいでしょうか。」

むむ、まだ募集がはじまっていないので真剣に読んでないけれどそうなのか。AFFのサイトにていそいで確認。

「申請事業の収入規模が申請額の1/2以上あることが必要です」との文言を発見。100万ならば50万円は自己負担ということで、通常の助成金の募集とおなじになったのか。

50万ということはチケット代が2000円だから250人観客を入れなければならない。これはだいぶんむずかしい。まだまだ淡路島の野外舞台は軌道にのっていない。

赤字になっていま以上に借金が増えるのは無理、今回は田上くんに依頼するのは残念だが断念することにする。

「外部へと発注するのは時期尚早でした、お騒がせして申し訳ありません」と事情を説明して返信。この企画はあたためてかならずやります。

朝から気分が落ち込んでどうしていいかわからなくなる。「こんなときはからだをうごかそう」と外へ。

客席増設の作業をおこなう。やっているあいだもあたまのなかは4月の公演のことでいっぱい。じぶんのやることがまったくなくなってしまったのでどうしよう。これはしかし4月の企画じたいが危うい。

家のなかにもどってパソコンのまえに座り計算してみたら田上くんに頼むのを延期しても70人以上は集めないといけないとわかる。70人か・・・

いけそうな気もするがどうだろう。5月、虎ノ穴に集中する手もあるがどうか。

4月公演のチラシの入稿が明日なのでデザインも考えつつ、やるかどうかも思案するがこたえはでず。

メンバーに相談しよう。

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なぞの木とツツジと椿を伐採して・・・

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あとは錆びないビスがきたら固定して完成。
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2022年03月03日

たちどまってかんがえる

戦争はおわらないがじぶんのやるべきことをやるのです。

4月公演『ROCK郎の日』

残念ながら来年への持ちこし決定。関係者に朝から連絡、あやまる。

文化庁AFF2は前回とはちがい申請額の2分の1以上を自己負担しないといけない新ルールができ、ほかにも申請をする際のハードルが上がっている。

困窮するものを支援するとお題目を並べているが、実際に困っているひとにお金が届かないのはどんなところでもおなじか。全体像がまだはっきりとわからないので、残念だが今回は公演中止して様子をみることにした。

こんなことが急にできるのも場をじぶんたちでもっているから。劇場を借りていたらもうあともどりはできない、赤字必至でも突っ込んでいくしかない。

今回は田上豊さんに台本、演出をお願いするという目玉がなくなり企画として地味というか弱いというのもあった。前回が岡原真弓さんという強力なゲストがいただけに「今度も」と意気込んでいたけれど落胆が激しかった。

こうなってくるとなにをやりたいのかもよくわからなくなってきていた。

「誕生日だからとイベントを開くのって王様じゃあるまいしどうなのよ」とも思っていた。まるで祝ってもらいたいと言わんばかりでだいぶん恥ずかしい。

『まずは顔見せ』公演の雲太郎、大一郎、建一郎の3人だけでまたやるのはあともどりしているような感じもありつつ、5月にやる『舞踏?虎ノ穴』にちからを集中したほうがいいという気もしていた。

欲張っていた気持ちがあり「宣伝になるかな」というしたごころを断ち切って最善の道を選択できたか。

迷いにまよい自問自答をつづけたが、なかなかいい判断だったと思う。

迷ったらやってみるタイプでそれで後悔したことはいちどもない。迷わずすすむのはカッコいい。なんとでもなるさと構えるのも気持ちがいい。

しかしときには立ちどまりよく考えてみる。

そのまますすんでいたら見えなかった景色が見えてくるかもしれない。

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チラシのデザインはできていた。
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2022年03月04日

新月、プロフィール、説明会、やりなおし

戦争はどうやら長引きそうな気配。

犠牲者も増えてきているようです・・・合掌。

だが、やはりじぶんにいまできることを一所懸命にやるしかない。

「本日は新月、あたらしいことをいろいろはじめるぞ」と意気込むが、今日やることはどれもそれぞれあたらしいのだ。いつものルーティンをはじめてのつもりでやる。

そのあとは9月にやる『ふたつの太陽』の概要をつくる。そうして『舞踏?虎ノ穴』のチラシをつくりはじめて、裏にのせる出演者のプロフィールと写真を集める。

Haruは残念ながら参入は延期だが、いつでも誰でも入れるようにアバウトにつくるつもりなので大丈夫。

はじめて一緒にやる飯塚友浩からプロフィールがとどく。

『川井久美の下でモダンダンスを踊り始める。母 LilyIguchiの元でカントリーラインダンスの講師、振付家としても活動中。

Vegas Dance Explosion2014(ラスベガス)にて振付部門で1位を受賞。現代舞踊公演、文化庁主催都民芸術フェスティバル、新国立劇場オペラなど出演多数。』

へえ、お母さんもダンサーなんだ。ともは高澤和歌子さんとおなじ現代舞踊出身か。3月末に淡路島に来るのでいろいろと聞いてみよう。

14時から文化庁AFF2の説明会。

3度目だがどうしてもよくわからないところが多い。むこうはわかっているつもりで専門用語をあたりまえのように使うが、知らなければちんぶんかんぷん。

むずかしいことをわかりやすく伝えられるかどうかは、やさしさと思いやりがあるかどうかとも関係あるかもしれない。

そのあとは先日終わらせた客席の増設部分がどうしても気に入らないので直すことにする。強度的にも不安なところがあった。こういうのを直すかどうかは誠意があるかどうかが問われるかもしれない。

杉板をはずして、大引きからやり直して補強もする。

いちばん心配していたネジがすべって抜けないのは一本だけでよかった。

試行錯誤しながら完成、うまくいって気持ちがいい。

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飯塚友浩、モダンダンサー、カントリーラインダンサー、振付家。
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2022年03月05日

水平社結成100周年

宣言

全国に散在するわが特殊部落民よ団結せよ。

ながいあいだいじめられてきた兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされたわれらの為の運動がなんらの有難い効果をもたらさなかった事実は、それらのすべてがわれわれによって、またほかの人々によってつねに人間が冒涜されていた罰であったのだ。

そしてこれらの人間をいたわるかのごとき運動は、かえって多くの兄弟を堕落させたことを想えば、この際われらの中より人間を尊敬することによって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、むしろ必然である。

兄弟よ、われわれの祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であったのだ。

ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われた夜の悪夢のうちにも、なお誇りうる人間の血は、涸れずにあった。

そうだ、そしてわれわれは、この血をうけて人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返すときがきたのだ。殉教者が、その荊冠を祝福されるときがきたのだ。

われわれがエタであることを誇りうるときがきたのだ。

われわれは、かならず卑屈なることばと怯懦なる行為によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。

そうしてひとの世の冷たさが、どんなに冷たいか、人間をいたわることがなんであるかをよく知っているわれわれは、こころから人生の熱とひかりを願い求め礼賛するものである。

水平社はかくして生まれた。

ひとの世に熱あれ、人間にひかりあれ。

1922年3月3日 水平社宣言全文 全国水平社創立大会より

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水平社のシンボル『荊冠』
われわれ芸能の民も河原乞食、役者一匹と蔑みをうけていた。

引用:2022年3月4日 神戸新聞
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2022年03月06日

小説を読みきるのはひとのはなしを最後まで聞くのと似てるらしい

戌井くんの小説『俳優・亀岡拓次』を読了。

本棚にあって手にとってなんども読んでいるのになぜかまた読んでしまった。

今回はモデルになった俳優、宇野祥平が鮮明にイメージできてページをめくったらまた数段におもしろかった。いっけん深刻なエピソードを失敗談として愉快に描ける才能に感嘆する。

失敗談はお酒にかんするものがおおくてとっても共感できる逸話ばかり。本人はたいへんなのだけれど、笑ってしまうのはひょうひょうとした語り口にもあるのでしょう。

なんども爆笑させられて見えないなにかに「あっ、すみません」と謝りつつ、生きるのはつらく恥ずかしいことだけど捨てたもんでもないかと思った。

掃除していたらでてきた難波利三さん著『てんのじ村』も読了。

生きようとしているからつらい、生かされろ。売れない漫才師や仕事のない芸人のすがたにじぶんをかさねあわせて何度も目頭があつくなる。

戌井くんの小説とはちがって爆笑ではなく、こころで笑っているかんじだった。

ほんを読みながら笑わせるということの普遍性にあらためて強度をかんじる。だれにでもわかりやすい笑うということを武器としてもつことの大切さをおもう。

漫才というメジャーな芸のはなしを読んでいると「どうして舞踏なんていうマイナーなことをつづけているのか」と弱気になりつつ、なんでもありの舞踏のやりくちはやっぱりどこでも通用すると思えてきて大丈夫だとじぶんをはげます。

わるいことといいことは交代でやってくるとわかっているが、こうまでいいことがないとなんのために生きているのだろうと疑問におもう。

じぶんとは関係なく世間はうごき車がいそがしく走り回っているのを見ていると、ひとりだけ取り残されているような気持ちになる。

しごとはじぶんでつくるものというのもわかっている。なんとかしてここで生きていけるようにしなければ。

さいごの「90歳をこえるまで生きて芸ができればこの道が決して間違いではなかったと納得がいくのではないか」という主人公のことばをじぶんにもあてはめる。

あてはめるがお酒が大好きなので無理かなとも思うのでした。

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『ROCK郎の日』チラシ別バージョン
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2022年03月07日

2022年2月26日の日記

世界的なことも大事だが地域のことも大切と今日は神戸新聞を購入。

しかし本気で戦争をはじめた大国のリーダーの気迫におののく。

前のめりで戦争の話題ばかり拾ってページをめくっていたら『農民車』の記事が。

去年の11月公演『まゆみと暮せば』を取材にきてくれた神戸新聞の記者、田中真治さんがそういえば「これから取材にいくんです」と言っていた。ぱっとのせる公演紹介のようなものもあれば、こんなふうに何ヶ月もたってから掲載される記事もあるのだ。

淡路島で生まれた重たいたまねぎを積んで山道を走ることのできる農民車。その開発をした野上守彦さんのお話しだった。

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野上守彦さん。1964年の科学技術庁長官は佐藤栄作か。=淡路市佐野 写真:神戸新聞NEXTより

野上さんは農家の長男。

中学を卒業すると家をてつだい米のほかに鳴門みかんをつくっていた。運搬するのは牛で同世代のおんなのこに「臭い」といわれたりして恥ずかしかったし、牛の尻をたたくのも嫌だった。

ある日「そうだ機械をつかおう」と思いつく。耕運機のまえに一輪車をとりつけて資材をはこんでみたところ牛よりも効率があがった。

耕運機をつくる鉄工所があると聞いてたずねると主人の前田敬語さんは農民車のパイオニアでちょうど開発をはじめたところ。

鉄工所に泊まりこみ「あーしてくれ、こーしてくれ」と言いながら工夫をかさねる。

それまでのようにフロントに農業用エンジンを積むと前がおもくてスリップする。考えたのがリアエンジンだった。運転席はセンターにおき車幅を切り詰め軽くし、うしろのタイヤをひとまわり大きくした。

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材木の運搬にも性能を発揮。写真:神戸新聞NEXTより

評判がよく近所から売ってくれと言われる。その後もアイデアがつぎつぎと浮かんで改良をかさね1964年、科学技術庁長官賞を受賞。年間200台から300台を製造、値段は10数万円で軽トラックの半額以下なのも歓迎されたとか。

行政は山の上までは舗装してくれない。段々畑や棚田のあるところではどこでも必要、みかんをつくる瀬戸内の島や南は九州、北は新潟にも売れたという。

しかし1990年代に製造は終了。

「ミカンがあかんようになったからな。農家の規模もこっちは小さいもん。道がようなったし、四駆の軽トラックがでけた。時代の移り変わりが早かったいうことや。」

時代の移り変わりか・・・

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農民車に乗る若き日の野上さん。写真:神戸新聞NEXTより

参照・引用:2022年2月26日 神戸新聞 あわじ特急便『幻の津名型農民車開発秘話』取材・記事:田中真治
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2022年03月08日

去年とまったく状況は変わっていないのでほとんどコピーアンドペーストした

3月8日は国際女性デー。

数々の壁を乗り越えてきた女性たちに思いをはせ、すべての女性の自由と平等を願う日・・・

世界経済フォーラムによって2021年に発表された“ジェンダーギャップ指数”『男女間の格差を測った指数』において、日本は156カ国中120位。先進国首脳会議、G7の中では最下位という結果となった。

日本が大きく順位を下げている理由は、相も変わらない女性の政治参加の低さと経済分野での女性の地位の低さです。

朝日新聞が国のオープンデータを用いて調べた結果、やはり政治の分野がいちばん遅れていて都道府県の議員数に対する女性の割合はわずかに10%。

政党の自主性に任せても無理なのだから“クオータ制”などの法制度で、更なる改善を促すしかない。

37年前に制定された『男女雇用機会均等法』は職場における男女の差別を禁止し、昇進・昇給などにおいても平等に扱うことを定めた法律だが、不平等はまったく是正されていない。

企業で女性がしめる部長職の割合は6.6%(2018年6月 内閣府)・・・一割もいない。そうして働く女性の半数を超える人が非正規雇用だという。男たちにいいように搾取されている。

パートである理由は、子どもを生んで職場復帰できなかった、子育てと両立できない、収入を抑えたい、etc...etc...ほとんどは男性中心の社会システムが原因。

社会を本気で変えたいなら政治から変えなければならなくて、なんとしてでも女性自身が政治に参画するしかないのです。

「子どもの面倒は女性が見るべきだ。」

根深い偏見と思い込みと決めつけが、女性の社会進出をいまだに拒んでいる。ジェンダーに関する女子高校生調査報告書2019によると「家では誰が家事をしているか」という質問で、80%近くが「ほとんど女性」と答えている。

教育からも変えていくしかない。

教育は国の根幹を成すのです。

“女の気持ち”ペングループの会員だったり“あしたをひらく女性の会”のリーダーをしていた母親の影響をうけ骨の髄からフェミニストな舞踏家からでした。

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女性蔑視がむかしばなしになるのはいつだろう。

参照:2020年2月14日 朝日新聞 | happywoman.online | (公)国際協力NGOジョイセフ | gooddo マガジン | 2020年3月8日 朝日新聞 毎日新聞 | PROJECT DESIGN ONLINE | 2022年3月8日 朝日新聞
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2022年03月09日

根っこにあるのは、性別役割分担で社会が構成されているということ

国際女性デーにちなんでもうすこし・・・

戦後、いろんなかたたちの努力によって女性の参政権が認められて投票権が得られた。

とにもかくにもまずは選挙の投票で、税金の使い道を決めるひとを選ぶ大切な一票を投じることからはじまる。

そうして選挙の手伝いからはじまって「このひとなら不正をせずに汚職や買収もせず公正に税金の使い道を決めてくれそうだ」という女性を口説いて候補者として闘う。

母親たちのつくった本『主婦の手づくり選挙入門』によると選挙には言われるほどお金はかかりません。いちばんお金がかかるのが街宣車のレンタル代だったりするので、そんな無駄でうるさくて逆効果なものはやめてしまえばいいのです。

常識を捨てて無駄を省いていけば、女性たちが手作りで選挙に参画することも可能。お金をかけずにアイデアで補っていく。

そのためには時間も必要不可欠。

上智大学教授で政治学者の三浦まりさんは「若手女性のリーダーシップを培い、女性やマイノリティが政治に対等に参加することで、ジェンダー平等な政治の実現をめざす」ために“パリテ・アカデミー”という団体を立ち上げた。

いまの権力構造がつくり出すさまざまな歪み、不正義、不公正に気づき“それを変えるには政治を変えるしかない”そう気づいた女性が、パリテ・アカデミーに参加し、トレーニングを通じて政治参画の機会を広げている。

若い女性を対象にしたのは、若いひとほど政治に関わりにくく、また若いひと向けの政治スクールがなかったからだとか。

根っこにあり女性の社会進出の壁となっているのは、男性がつくった社会のシステムでありそのうえでできたさまざまな常識や思い込みと決めつけ。

性別役割分担でいまだに社会が構成されているという現前たる事実。

「男性支配的な社会のあり方を変えたいと思う女性が政治の世界に出ていき、あたらしい政治文化をつくっていくしかないのです。」

そうちからづよく三浦さんは語る。

応援しております。

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ことしはまだ庭のすずらんは咲かない。
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2022年03月10日

東京大空襲の日

1945年3月10日、0時7分。

アメリカ軍は279機のB-29で江東区、墨田区、台東区、中央区への無差別爆撃を開始。

目標が煙で見えなくなるのを避けるため、風下の東側の街から順に攻撃する指示が出されていた。大空襲で38万発以上もの焼夷弾が落とされた。

ゼリー状のガソリンが一度、飛び散ってついてしまうと何をしても火が消えなくなるという。からだについてしまい、まとわりつく炎を払うがどうしても消えない。まわりから「助けてあげて」という悲鳴があがるがそのまま燃えつづける・・・

0時20分には港区への空爆も開始。下谷、足立、神田、麹町、日本橋、本郷、荒川、向島、牛込、小石川、京橋、麻布、赤坂・・・次々と爆撃をうけ東京はたちまち火の海になる。

空爆と並行して機銃掃射もおこなわれ、罪のない民間人の多くが射殺された。

爆撃によって発生した大火災によってB-29の搭乗員は真夜中にもかかわらず、機内で腕時計の針が読めたという。ひとが燃える匂いはB-29の機内にも充満した。

「炎が燃え移って、ひとは火だるまになった」「燃えている赤ちゃんをおんぶしたまま走っているお母さんもいた」当時8歳だった二瓶治代(にへいはるよ)さんは証言する。

空っ風により燃えにもえ、火は夜まで燃えつづけた。

罹災者100万人、焼死、窒息死、水死など死者約10万5000人といわれるが混乱を極めた戦時中のため、いまも正確な死者の数はわかっていない。

空爆当日の大本営発表では「都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬寮は2時35分、その他は8時ごろまでに鎮火せり」と100万人の罹災者と10万人の死者は“その他”で片付けられた。

永遠に失われた10万のいのちと、そのいのちにつながるはずだった未来のいのち・・・

「通常の爆撃だけでこれほどの被害を与えられたのだから、原子爆弾を落とす必要はない。」

アメリカではそんな意見が科学者や良識ある軍人から出されたが、莫大な経費をかけて進行する計画を止めることはもう誰にもできなかった。

そうして8月6日、8日の無警告での無差別核兵器実戦投下へと時計の針は刻一刻と進んでいくのであった。

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ヒロシマ、ナガサキは公的な追悼式典があるが、東京大空襲は大規模なものはないようです。合掌。

参照:東京大空襲・戦災資料センター | Wikipedia | 2020年3月10日 東京新聞 | 2020年3月10日、2021年8月15日 毎日新聞 | 2020年3月10日11日 朝日新聞 | Cable News Network.
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2022年03月11日

おどりとはいのり2022

2011年3月11日。

世田谷パブリックシアターにて大駱駝艦本公演『灰の人』の稽古。

地下3階のスタジオでの通し稽古中、兄弟子村松卓矢と2人のシーン。

いつもは何気なくやるなんでもないところで、それまではなかったような失敗が起こる。2人でもつ大皿にのったバラの花が落ちてしまったのだった。

落ちるはずのないバラ・・・

「なにやってんだ」師匠の麿赤兒があきれたようにぼやいている。仕切り直して、もう一度やったらなんとまた落ちて・・・つぎの瞬間、地面が大きく波打って立っていられなくなった。

あれは虫の知らせだったのか。

悲鳴がおこってスタジオ内は大混乱、緊急ベルがなって避難を勧告するアナウンスが入って稽古は中断、地下3階から非常階段をのぼって地上へ。

地上へ出たら三軒茶屋駅前の広場に無数のひとが避難していた。大きな余震がおこって27階建てのキャロットタワーが左右にゆっくりと大きく揺れて、どよめきがおこってみんな後ずさりした。

あれはまるで巨大な怪獣がうごいているようで凄まじい迫力があった。

誘導されて避難先の大きな公園へいって、用を足そうと隣接の施設へ入ったらおおきなモニターがあってそこに信じられないような光景が映っていた。

街が次々と海に呑み込まれていくのだった。それが宮城県の映像だとわかって、宮城出身の我妻恵美子の顔から血の気がなくなって呆然としていたのをいまだに覚えている。

その後、我妻の家族とは連絡がとれて無事が確認される。

稽古は中止になって散会したけれど、電車がすべて止まっていてどうしよう。その頃、妻は荻窪の会社から歩いて帰って娘を保育園に迎えにいってくれていた。

なんとかかんとか家まで帰ったらテレビのCMがすべてACジャパンになっていて驚いた。

それから連日、被害をうけた東北の映像と福島第一原発の映像が垂れ流されていたが、無力なイチ舞踏家にはなんにもできず「おどりとはなんなんだろう?」と日々、悶々と自問自答していた。

次々と公演が自粛中止になるなか、麿さんはそんなことをもろともせずに本番を決行。

「いいおどりをするしかない。それが祈りにつながるのだ。」

そうじぶんにいい聞かせながら本番に臨んだのだった。

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Chim↑Pom from Smappa!Group graffiti @ Shibuya 2011
ふくしまの花も実もある平凡なふるさとともう誰も笑えず 駒田晶子
「合掌」
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2022年03月12日

畏怖すべきちから2022

2013年に福島にいった。

まだまだ復興途上にある現地のさまざまを見るたびになんにも貢献できないのが申し訳なかった。

津波でなにもかも流されてしまったところは瓦礫こそ片付けられていたが、まだ砂浜に骨が転がっていた。

もともとの住民のかたと避難してきた仮設住宅のひとが、別々にお祭りをやったりで複雑な雰囲気だった。人間にはいろいろと事情があってそうそう簡単に仲良くするとか、ラブ&ピースとかってなわけにはいかない。

2017年に宮城へいく。

海岸で巨大な防潮堤の工事がつづいているのを目撃して復興はまだまだという印象だった。

皆さん、口々に「海が見えなくなるのが嫌だ」と言っていたが、どうしようもないのも現実だという諦めも感じた。完成している防潮堤は凄まじい圧迫感で、見ていてなんとかならないものかと思った。

実際に海が見えないのは不安だし不気味だった。

そこは5メートルの防潮堤だったが、話しを聞いていると場所によっては10メートルを超えるなんていうところもあるようで、びっくり。そんなものがあったら景観が損なわれるというのも事実。

長さ2.4キロ、高さ10メートルの巨大な二重の防潮堤で守られていた岩手県宮子市田老地区では、その壁を津波が乗り越えて200人近い犠牲者が出たとか。

本当にいのちを守るために、巨大なみにくい壁で自分たちを囲まざるをえないのか?

「議論は震災直後。どうしても“津波に流されたくない。高い方がいい”という気持ちが働き、単純な結論に至ってしまった」と岩手県大槌町の方が後悔する。

「今なら“高い防潮堤より山を開いて高台を”と言えるが、当時は行政からそんな提案もなかった」と宮城県気仙沼市の吉田三喜男さんも語る。

宮城へは石巻でおこなわれたアートフェスティバルの講師でいったが、砂浜に木を立てるというインスタレーションをおこなっている美術家がいた。

人間の作為とそんな人類の小賢しい営為などものともしない大自然の雄大さが、残酷なコントラストを描きだしていた。

すべてを呑み込んでしまう大自然の畏怖すべきちから。

どれだけ人間が巨大な防潮堤を造ったところで、時として軽々とそんなものは超越してしまう大自然のちから。

「人間なんてどうせ地球というものに寄生させてもらっているようなもの」と共存、共生をさせて頂く謙虚な気持ちがないと、人類はこのままだとほんとうに淘汰されて滅んでしまう。

そう最近の世界のうごきを眺めていると思う。

しかし、そんなことは大自然にとってはどうでもいいこと。

地球が生まれたときに人類はいなかった。そして地球が滅びるときに人類はいないのでしょう。

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村上春樹さんの小説で高い壁に囲まれた街のお話があった。

参照・引用:2020年3月10日 毎日新聞
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2022年03月13日

54歳、うみへ

今日は日曜日。

しかしいつもとなにもかわらない。

朝からいつものルーティン、真言を唱えているときに考えられないくらいにお坊さんのようなひびく声がでてびっくりする。

「10年つづけると声がかわってくる」とちかくのお寺の高野山で修行してきたおとこまえの住職、光栄さんにいわれたが、そろそろ5年目。変化があらわれはじめたか。

戦争の終結と世界の平和を冗談ではなく祈ります。さいごに効力が非常につよいと光栄さんにおしえてもらった『大金剛輪陀羅尼』を唱えて礼佛。じぶんの身をいろんな邪悪なものから守ってくれる真言です。

ついでにお金に効力があるといわれている真言もとなえる。「いっこくもはやく文化庁AFFのお金が振り込まれますように」・・・去年の7月8月11月のお金がいまだに支払われていない。出演者、スタッフには報酬をずーっと待ってもらっている。

副業をしないとこころに誓っているので貧乏はしかたないが必要経費はすべて立て替えているので、その支払いの請求がおもくのしかかっている。

しかし妻に「2億3億の借金があるわけじゃなし」とはげまされる。

そうだよな、下をみて「じぶんよりもたいへんなひとがいる」と元気をだすよりも上をみて「すごいひとがいるもんやなあ。よし、おれもがんばろうとなるほうがかっこいい」とか考えながら天気がいいので自転車でひさしぶりにうみへ。

180度にひろがる雄大な大自然を目にした瞬間、なにもかも放り投げだしたくなってひとつちからいっぱいに咆哮する。スケートボードの練習をしていた若者がおどろいてみにきていた。

おおきな声を出しすぎて星がちかちか。

いちばん突きあたりのいまは崖崩れがあぶないとかで立ち入り禁止になっている浜へはいっていく。風がつよくて波が荒いので怖ろしい。

おおきな平べったい石を発見したので持って帰ろう。

庭に敷き詰めるための石はまだまだ必要。

この4年間でだいぶん持って帰ったが、ぜんぜん足りない。

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ロゴを書いてみたがなんだかよわい。今回は手書きではないか。
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2022年03月14日

戦争がつづく

海からの帰りに自転車ではしっていたらカラス2羽とトンビ1羽の本気の戦いを発見、見物する。

カラス2羽がトンビを追いはらったすがたをみながらロシアとウクライナの戦争を思いだす。

動物のようにシンプルに戦えればいいのになあ、人間はややこしいというかひねくれてねじまがっているというかなんなんだろう。太古のむかしからある喧嘩だが武器をもつようになってからややこしくなった。

スタンリーキューブリック監督の大名作『2001年宇宙の旅』にゴリラが骨を手にして振り上げた瞬間にそれが宇宙船になるというカットアップ手法の名シーンがあるけれど、じっさい骨や石をもったときに人類は動物とは一線を画してしまったのでしょう。

むかしの武将はじぶんが先頭でたたかっていたからまだかっこいい。と思う。いまのリーダーは指示だけして家の中でぬくぬくとテレビでも観てやがるのか、大統領からどうぞだこのやろめ。

そういえば最近の新聞にプーチンの動向があまり書いてないがなにをしているのだろう、不気味すぎる。

暗殺を極度に怖れているというから要塞のような核シェルターのなかにいるのか。

将棋でいう穴熊のような感じですさまじい警備のなかにいそう。

そんなところでたったひとり核兵器のボタンをまえにして貧乏ゆすりをしているのかもしれない。部下が真実を告げなかったので粛清したとか報道されたが裸の王様だからしかたない。

アメリカがおもてだってうごくのはまずすぎるので、影でCIAが暗殺にむけてうごいているだろうけれどゲリラ組織のリーダーを狙うのとはわけがちがう。

超大国のリーダー、それも独裁者。これはほんとうに困ったことになったかもしれない。

冗談で言っていたら真剣にヒットラーがポーランドへ侵攻してはじまった前世界大戦のように、第3次世界大戦へむけてうごきだしているのかも。

はああ、いやだなあ。われら宇宙兄弟だろう。われら宇宙家族でもあるんだよ。

プーチンは核兵器のボタンを手に「ロシアのない地球なんていらない」とか駄々をこねてるらしい。

まったく。

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『プーチンの肖像』
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2022年03月15日

国際女性デーからはや1週間

13年連続『ジェンダーギャップ指数』により、世界で1番男女格差が少ないとされたアイスランド。

首相は女性で企業の役員や国会議員も半数近くが女性。

しかし、そのアイスランドも以前は男性中心社会だった。男女平等世界No1になれたのは『声を上げた女性たち』の存在があったから・・・

1975年10月24日。

大勢の女性たちがレイキャビック中心の広場にあつまった。目的は職場における男女の格差や性別による役割分担に抗議の声を上げること。

アイスランドの成人女性9割が仕事も家事も放棄したことから後に『女の休日』と呼ばれるようになる。

「私が18歳のころでした。姉や友達と一緒に学校をさぼっていきました。広場についたとき鳥肌が立ちました。まるで人の海のようで信じられない光景でした。」

「若いひとりの女性としてすごく影響をうけました。みんなで集まって努力をすれば、本当に世界を変えることができるのだ。いまでも鮮明に覚えています」とストライキに参加したエイグロさんは語る。

「女性がどれほど経済に貢献しているかを示すことが目的でした。女が仕事にいかなければ、社会は麻痺するのだと。企業の偉い人たちは、電話の使い方すら知らなかったし、子どもを職場へ連れていく羽目になりました。言葉通り、何もかもストップしたのです」運営に携わったエリザベータさんは当時のことをそう振り返る。

この日を境に、アイスランドの男女平等は大きく進展する。

5年後には初めて女性大統領が誕生。さらに女性だけの党が生まれ国会議員や首相も女性が担うようになるのだった。

もう一つの転換期は2008年。

この年、アイスランドではリーマンショックの余波を受け通貨が大暴落。マネーゲームに走った金融機関は次々と追い込まれていく。

そんななか女性が立ち上げた投資銀行が黒字経営を続行、無謀なリスクをとらない堅実な理念が評価され経済界でも女性の存在が注目されるようになった。

そして2010年、政府は企業役員の4割を女性にするクオータ法を導入。

その後も、性的少数者を含むジェンダー平等の政策を推し進めてきた結果の世界1位なのでした。

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アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相 Photo by Stephanie Keith / Getty Images

参照・引用:2018年12月19日 NHK福祉情報サイト『ハートネット』特集 世界でもっとも男女平等な国(3)声をあげた女性たち ジェンダー平等への道のり
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2022年03月16日

はじまった、うれしい、けれど中止

大相撲春場所がはじまった。

うれしいなあ。

相撲ってのは、ほんとうにおもしろい競技です。

ながくて1分、みじかいとたった1秒で勝負がきまる。180センチ100キロを超える大男たちがほとんど全裸で1万人ちかいひとたちが見守るなかで命がけで闘う。

力士を観てると「かっこいいなあ」と思う。裸一貫、からだだけで金を稼ぐ。それだけに怪我ひとつで稼ぎをうしなってしまうことになりかねない。

危なすぎるのでラグビーでは、あたまから突っ込むことを禁止している。

あたまはからだのなかではいちばんの武器、手で殴るなんて比べものにならないぐらいに破壊力がある。相撲ではあたまから全力でぶつかっていく。テレビでも「ゴスン」とすさまじく痛そうな音がする。

アメフトをやっていた湯山が「あいつらおかしいですよ」と言っていたように、防具をつけずにあたまから突っ込んでいくなんて勇気がありすぎる。

神事であると言われるように観ていると所作すべてにきまりがあって、かしわ手を打ったり蹲踞したりとそれぞれがうつくしい。

元気に全力で戦う力士のすがたを観ているとパワーとエネルギーをもらえる。

これが国技だっていうんだから・・・と思っていたら国技館でやるから国技だと思われているだけで、正式なものではないそうですってなにが正式かは知りませんが。

今場所、いちばんの注目は新大関、御嶽海。「優勝してさっさと横綱になっちまえ」と思うくらいにずーっと強くて大関の次の地位、関脇に居座っていた。

あとは新関脇、阿炎。阿炎は謹慎で休むまえの最高位を更新、つぎは大関だ。

大相撲ははじまって東京マラソンなんていう大イベントもおこなわれたけれど五色町の神事、春のおまつりはなんと中止・・・

なんでなんだろうなあ。まったく残念無念。こんなやったりやらなかったりという混乱して矛盾した状態になるのはリーダーがしっかりしていないから。

いまどういう状態なのかはっきりと説明してください。

よろしくお願いします。

中止になっただんじり曳き回し。町民みんなが祭りがなくてさびしがっている。
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2022年03月17日

神戸大空襲の日

1945年3月17日。

神戸はアメリカによる大空襲をうけた。

無数のナパーム弾が降りそそぐなか神戸の狭い路地は右往左往するおおぜいの人たちで大混乱、悲鳴と怒号が入り乱れていた。

たちまち炎はひろがり逃げるところはなくなり、立ち込めるけむりでまえが見えなくなる・・・

1944年7月にサイパンが陥落するとアメリカ軍は、日本本土空爆にむかう戦略爆撃機B29の基地をあっというまに整備。造船所や軍需工場をねらった爆撃だけではなくナパーム弾をつかった市街地への無差別爆撃も開始。

「もし負ければわれわれは戦争犯罪にとわれる」と空爆を指揮した将軍がくちにしたように市民を無差別にねらうのは戦争中といえどもやってはいけないこと。

しかしいっこうに降伏しない大日本帝国に打撃をあたえるためには市民を標的にした無差別爆撃こそ効果があった。

神戸港があり全国有数の大都市で戦時下におよそ100万人が暮らした神戸は、アメリカ軍による本土空爆の重点的な攻撃目標となっていた。本州の東西をむすぶ鉄道や幹線道路の輸送網を破壊することも目標とされた。

戦争終盤になると日本の本土には連日のようにB29が飛来するようになる。神戸は5月11日、6月5日にも空爆をうけて街は壊滅、かんぜんに焦土と化した。

2月4日の神戸へのはじめての無差別爆撃で26人が犠牲になる。3月17日の空爆で2598人が亡くなり5月11日の空爆で1093人が亡くなり、6月5日の空爆で3453人が亡くなり、犠牲者は8000人以上と言われるが正確な人数はわからないとか。

3月10日に東京、12日に名古屋、13日には大阪の都市がつぎつぎと大空襲によって甚大な被害をうけていた。しかし、まだまだ大日本帝国軍は戦いつづけ本土決戦をさけび「最後のひとりまで戦うのだ」とプロパガンダをつづけた。

そのあいだにもアメリカでは核兵器の開発が続行され実用化へむけて急ピッチで作業はすすんでいた。

広島、長崎への無差別での核兵器実戦投下への針は刻一刻とさらにすすんでいくのだった。

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空爆で亡くなったひとのなかには、もちろん子どもや赤ちゃんもいた・・・合掌

参照:2022年3月16日 朝日新聞、2022年3月17日 神戸新聞
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2022年03月18日

Happy birthday Shinichi Watabe

今日は渋さ知らズオーケストラ、鉄割アルバトロスケットのメンバー、渡部真一の誕生日・・・

渡部とはじめて会ったのは1998年の年末。

板橋の元大駱駝艦稽古場でおこなわれた風煉ダンス横浜公演の顔合わせのときだった。

なんだかくらい感じの若者たちと一緒のテーブルになって困っていたらひとり大声で喋っているおとこがいて完全にリーダーだと思っていたら、それが鉄割のフロントマン、渡部真一だった。

じぶんが30歳ぐらいで鉄割のめんめんは20代後半。はちゃめちゃな横浜公演でくたくたぼろぼろになりながらも一緒に酒を飲んだり語り明かしたりしながらだんだん仲良くなる。

横浜が終わったあとのイベントを観にいったら舞台にあげられて演目をいっしょにやって、そのあとの本公演まえに主宰の戌井昭人氏から出演依頼の電話があってふたつ返事でOKしてからはや20年以上。

その間、もちろん渡部とはがっつりと付き合い、つきあえばつきあうほど「たいしたやつだなあ」という印象はふかまるばかり。

ほんとうに適当でいいかげんで、しかし男気があってやさしい。やさしいがきびしくて喧嘩では負けたことがないとか。口が達者で声がでかいのでみょうに説得力がある。

おしばいがうまいかへたかは知らないが舞台上でも強烈な個性を発揮する。あたまがでかくてからだがちいさくて筋肉質という可笑しな肉体をもっていつつダンスも独特のうごきをする。

うたもとっても上手い。渋さ知らズのフロントマンをつとめるぐらいだから1流のエンターテイナーでもある。

プロレスが大好きでそれをなりわいにしている。

ゴルフが大好きでそれをなりわいにしている。

お姉さんが渡部に輪をかけて豪快なかたらしいが、やはりこのふたりをひとりで育てたお母さんがすごいひとだなあと思う。

ハードリカーが大好きな渡部だがおたがいもういいとし。

からだだけには気をつけてくださいませ。

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最近はラジオ出演もしている。
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2022年03月19日

為政者はまちがう そして戦争はちがう顔であらわれる

戦争中に大日本帝国は何度も間違いを犯したという。

まずアメリカの軍事力を大きく見間違えていた。

開戦前に戦争の終わりかたをまったく考えていなかったという話しもある。

1944年、サイパンなどのマリアナ諸島の日本軍がアメリカ軍に敗北、占領される。これによりB29による日本本土空爆が可能になった。戦争は海の向こうでやるものではなく、日本でおこなわれるようになる。

これを聞き、近衛文麿元首相が最高司令官の昭和天皇に早期終戦を訴えた。

しかし、昭和天皇は「どこかで連合国軍を叩き、その戦果をバックにしてより有利な条件で講和するのだ」と近衛の上奏文を却下した。

歴史に「もしも」はないが、この時点で、もし昭和天皇が近衛の上奏文を採用し講和を内外に宣言していれば・・・

その後のB29による凄惨すぎる日本本土への空爆や、沖縄での悲惨すぎる市街戦、ヒロシマ、ナガサキへの無差別核兵器投下もなかった。

その後も大日本帝国の指導部は政略も戦略も戦術もまちがえて国を破滅に導いていく。

連合国との講和の橋渡し役として頼りにしていたソビエトは、すでにアメリカ・イギリスとのヤルタ会談でドイツ降伏後に対日参戦を密約していた。そんなソ連に泣きついて弱みをみせてしまう。

虎視眈々とねらう泥棒に家の鍵をわたしてしまうような大失敗。8月9日、ソ連は旧満州に侵攻しおおくのひとが虐殺される。その後も約60万人が拉致され強制労働に隷属させられて6万人が亡くなったといわれている。

日本人だけで300万人が亡くなり、100万人以上が行方不明のままのアジア・太平洋戦争。

為政者はときにとんでもない間違いをする。そのつけを払わされるのはいつでも民衆。いまもロシアの指導者が間違いをおかしつづけている。

そうならないために権力者たちを監視しどこへ向かおうとしているのか?

なにをしようとしているのか見極めて注視しつづけなければならないのです。

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庭のプラムの花が咲きそう。

参照:2021年12月8日 毎日新聞、12月10日 東京新聞
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2022年03月20日

戦争はつづくし苦役もつづく

西村賢太さんの『苦役列車』が本棚のいちばん端からでてくる。

そういえばこのあいだ亡くなられたのだった。

こんどは読めそうな気がしてしたへもっていく。最初にチャレンジしたときは文体がなんだかだれかの口調をまねてるかんじがしてとまっていたのだった。

西村さん、1967年うまれで同い年だった。そのせいか時代背景というか主人公がいきている世界がとっても共感できて身に沁みた。ハードボイルドなのだけど軟弱さが同居してて私小説とよぶにふさわしい作品だった。

日雇いで糊口をしのぎ四苦八苦している主人公のカンタはケンタでありケンジでもあるのだった。

いまもつらくきびしい人生はつづいているが、あのころのことがまざまざと脳裏によみがえった。

東京にでてきた20歳から40歳までは、いろんな嫌なアルバイト、きつい非正規雇用を経験した。主人公とおなじく冷凍のくそおもい荷物を一日中コンテナに積み込む作業は、いっしょになったおじさんの人間性の悪さもあいまっていまだに覚えている。

いちばんながくつとめたのは運送会社だったが、ここはいいひとがおおくてはたらきやすかった。さいしょは荷物がおもくて物流がおおくて家にかえるとバタンきゅー、すぐにつぎの朝になっていて音をあげそうになった。

しかしすぐにやめるやつばかりと聞いていたし、それを承知で使い捨てのようにきついことをやらせることもわかっていたので根性で出勤しつづけた。

アルバイトの必要な繁忙期がおわるとおちついて、慣れてきたことも手伝ってそのまま居座ってしまった。10年ちかくはお世話になったのか。

非正規雇用だからやめるときも退職金とかなにもなかったけれど気にしていなかった。

西村さんは芥川賞を受賞し、そんな世界から脱出したがじぶんはいまだに底辺に沈んだまま。

とほほ・・・

この社会からつまはじきにあい、いじけてしまったどうしようもないおとこが主人公なので西村さんもとっつきにくいかたかと思ったら、じっさいは紳士だったとか。

2022年2月4日、西村賢太さんは帰宅途中のタクシーの中で意識をうしない帰らぬひととなったそうです。

合掌。

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庭のプラムの花が咲いた。
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2022年03月21日

Let's emulate the Jomom period

映画『縄文にハマる人々』に代表されるように若者に人気がある縄文時代への興味が尽きません。

1万年のあいだつづいたという縄文時代にはお金は存在しなかった。

その日に必要なものだけを採集し採取してそれでおわり。あとはじぶんたちの好きなことをしてのんびりと暮らしていた。

春には山菜、夏には海産物、秋には木の実や果物、冬にはシカやイノシシ、といったように日本のゆたかな四季の強みを最大限に利用していた。自然のめぐみが豊富で、必要な分だけをとれば良かったから現代のような貧富の格差もなく、国もないので大きな争いもなかった。

ワナや落としあなをしかけて、それを見にいくだけの日もあったかもしれない。たまに大がかりな狩りをして獲物をわけあう。

大陸のように外敵に攻せめられる心配がなかったことも大きいとか。

それぞれができることをやる。病気やケガしたひとを看病していた形跡もあるというし、みんなでささえ合って暮らしていたことが想像できる。

長老と呼ばれるリーダーがいるだけで、だれかに命令されることもなく自由にいきていて身分の差はゆるいものだった。

縄文時代の文化や技術は当時、世界の最先端だったといえるそうで、特に後期・晩期に発達し、人々はオシャレをたのしんでいた。

半島から渡来人がやってきて稲作がはいってきた弥生時代から、米をたくわえる人間があらわれる。地域のひとびとを働かせて米をつくるようになり、支配する人間と支配されるひとたちに分かれ、貧富の差もひらいていく。

弥生時代になるとこん棒ぼうでなぐられたひとや、ひたいにやじりが刺ささって殺された人間の骨が見つかっているそうです。

いやだなあ。

自然に対して謙虚な姿勢でいること、食べ物などの資源は自然からいただくもの。必要な分だけをとる。

売るほどつくることの異常さを知る。

やはり人類には「足るを知る」こころが大切なのだと思うのでした。

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庭のすずらんすいせんが咲いたので仏前にお供え。

参照・引用:HONDA KIDS WEB『なぜ1万年も平和が続いた? 今注目される「縄文時代」のナゾ』
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2022年03月22日

It takes a revolution to make a solution

戦争の原因である国家のはじまり。

それは格差と不平等のはじまりでもあった。

人類の歴史上で格差拡大、不平等を解消する働きをしたのは戦争、革命、崩壊、そして疫病の四つのみだという・・・

いまの人類の誕生が20万年前。

アフリカをでて東南アジア方面へむかったのが5万年前、そこからさらに人類は世界中に拡散する。1万年前にメソポタミアを皮切りに農耕文明がおこって同時に格差という不平等もおこりはじめる。

それまでの狩猟採集民社会は平等で、獲得した大型の獲物を公平に分ける価値観を持っていたという。獲物がとれることもあればとれないこともある、不確実性の高い社会における保険だった。

助けあうことが多いほど生き残る可能性も高まるため、平等性は社会的な知恵でもあった。

狩猟採集民がもとめた生きた食物とちがって農耕民がかかわって土地から生みだす穀物は、所有と保存ということができるようになってしまった。

さらにその穀物を生みだす土地というものは売買したり資本として価値をもつようになる。

農耕の周辺に遊牧がはじまり、そのあいだで交易と争いがはじまった。やがて戦争の元凶である国家というものが生まれてしまう。ここから格差と不平等にさらに拍車がかかる。

権力をもって支配するものと、労働力として支配されるものの誕生。

古代中国では格差をなくそうと政策がおこなわれたが失敗、腐敗してなにもかわらなかった。

それはいまもおなじ。共産主義の理想をこころざしてあたらしい国家が血の犠牲とともにはじまったが、結果はご覧のとおりの1党独裁の格差社会で完全なる不平等。

いろいろな国で権力者は手だてを講じようとしているのだろうけれど、権力を持つものはつねに富めるほうにいるので真剣にはなれない。

たしかに格差の是正や不平等の解消には、暴力的破壊以外の手だてはないのかもしれない。

そんなふうに思ってしまうのでした。

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膨大な戦死者が出た第一次世界大戦だが、一方で貧富格差を是正した。コピーライトマークImperial War Museum (Q 5100) / Photographer:John Warwick. This image comes from the Google.

参照:2019年12月22日 毎日新聞 書評、三浦雅士『暴力と不平等の人類史』ウォルター・シャイデル著 | リクルートマネジメントソリューションズ連載コラム『食うために働き、働くために食って寝る』組織行動研究所所長:古野 庸一
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2022年03月23日

デザインすること

5月20日から22日まで淡路島でおこなう『舞踏?虎ノ穴』のチラシデザインをつづけています。

前回『まゆみと暮せば』のチラシがよかったので、今回も手書きやイラストをと考えていたがどうもむずかしい。

アイデアはあるけれど実現しない、イメージはあるのだけどいい絵が描けないので、毎日うんうんうなっていた。

無から有をつくりだす作業はほんとうにたいへん。そんなときは前回のなぞりに頼りたくなるが、たいていはうまくいかない。ほとんどの場合、なぞりは前作を超えられない。

きっぱりと気持ちを入れかえてまいどあたらしいこころでのぞめたらいいのだが、楽したいというあまいこころがあったりする。二匹目のどじょうをという誘惑もあったりする。

しかしある朝に「今回は手書きではないな」と思い切って観念。気持ちを切りかえ、いちからあたらしく仕切りなおしデザインをはじめる。

「ありがちだなあ、おもしろくないなあ」と思っていた写真をつかったデザインをしてみたらいいかんじになってきてほっと胸をなでおろす。

入稿という締め切りがあるので早くせねばとあせる気持ちもあった。

できあがりがイメージできたのですこし余裕がうまれる。しかし古い写真ではなく新しいものを使ったほうが良いと助言をもらってなるほどとつくりなおす。そちらもいいかんじで、やはり古いものをなぞろうとするこころがまだ残っていたと反省。

おもて面のタイトル文字の位置を決めかねて比較をくりかえす。とにかくくらべてみる。どんなものことでもとにかく比較していいほう、おもしろいほうを選びとるのはあたりまえ。

デザインでもそれはおなじ、どちらがいいか?効果的か?自問自答をくり返す。

デザインができるのは18歳から2年間、大阪のデザインスタジオ『オフィスジョーク』で働いていたから。

上司だった森さんがデザインするのをはじめて目にしたときは、無から有がどんどんうまれて手品かと思った。

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えーと、だれ?
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2022年03月24日

被災地と幽霊

東日本大震災の被災地と幽霊をテーマにした論文が注目を集めているそうです。

新聞を読んではじめて知る。

作者は東北学院大学の学生だった工藤優花さんで、宮城県石巻市と気仙沼市のタクシー運転手から聞きとった体験をもとに震災と死について考えている。

大学のゼミで学んだ工藤さんらの論考を収めた本の『呼び覚まされる霊性の震災学』は増刷を重ねているとか。

工藤さんらは高校3年の春に震災を経験する。被災や支援の様子を肌で感じながら学生生活を送ったので、その視線は被災者と重なっているそうです。

あるタクシー運転手は6月の真昼に分厚いコートを着た青年を乗せた。行く先をたずねると「彼女は元気だろうか」とつぶやいた。「はて、知り合いだったかな」と考えていたら青年は姿を消していて、座席にはリボンがついた小さな箱が残されていた・・・

幽霊は存在するとの前提に立っているのが印象的だそうで、タクシーの走行記録などがその証になっているという。

工藤さんは幽霊がなにを伝えたかったのかに思いを巡らせて「大切な誰かにたいする無念」と結論づける。

震災で生きのこった人間にとっても亡きひととどう向き合うのかは切実な問題。なにか言いのこしたことはないだろうか、なぜわたしだけが生きのこったのか・・・

神戸新聞論説委員の田中伸明さんは本を読みすすめるうちに、工藤さんたちが死者と生者の無念をくみ取り両者をつなごうとしていることに気づく。

証言をした東北のタクシー運転手たちがまた乗せたいと口を揃えることにも驚いている。「話して嘘だと言われたら彼ら幽霊を傷つけてしまうかもしれない」と、ある運転手は体験談をこころにしまっているという。

「にじむ死者への敬意。そのことばを引き出した取材力に感服する。」

そう田中さんは『日々小論』で書かれていた。

「幽霊は存在する」じぶんもそう思います。目に見えないもの、ことを信じなくなり人間は不自由になってしまった。

生と死はつながっていて分かちがたく人間の人生のなかに存在する。

死者はもういなくなったのではなく、わたしたちのこころのなかにいまも生きているのです。

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庭になんだかわからない紫の花がたくさん咲いててしらべたら"ムスカリ”という花だった。

参照・引用:2022年3月17日 神戸新聞『日々小論』
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2022年03月25日

首の皮いちまいでつながる

100兆円なんていうど派手な話しから目を離せば、毎日100円にも事欠くような現実が重くのしかかる。

とほほ。

ないだけならば、野菜は庭のもの、お米は隆夫さんに送ってもらったものがまだあるしお酒も大量の紹興酒があるが、借金というものがどこまでも追いかけてくる。

追いつめられていると、何のために生きてるのかと考えてしまう。けれどそれも思い込み。役にたつ人間じゃないと生きていてはいけないのか?

そんなことはない。

何のために生きているのかという問いがもう能力主義にやられている。とか考えるのはいいが現実としてお金は必要。借金取りからの連絡ばかりでこのままだと首をくくるか車に飛び込むか・・・

しかし、それらは逃げでしかないし、のこされた妻に迷惑でしかないのでやめておこう。

悪事でもはたらこうかとも考えるが、母親の教育のおかげで罪の意識に耐えられないこころになっているしすぐに捕まるだろうからそれもやめておこう。

しかしないものはない。最後は都志まで取り立てにきたら大したもの。そのときは「お金を返して欲しかったら仕事をください」とか開きなおろうと夢想する。

この3年間の大騒ぎで仕事がすべてキャンセルになってしまった。海外での仕事もすべてキャンセル。国内のイベントなどの実演産業は自粛がつづき完全に萎縮状態、新聞を見ているとテレビに出ているひとがちらほらと開催しているだけ。

食べていくには有名になるしかない。有名になるためには公演をやらねばならないがやると赤字になる。

次回『舞踏?虎ノ穴』も何回計算しても赤字になってしまう。1日60人以上入ればなんとかみんなにギャラを払えるけれどそんなことが可能なのか。

やるまえから暗い気分になる。ならばやめてしまえばいいが、それではやはり何のために生きてるのかわからなくなる。

野外舞台が泣いている・・・

とか悲観していたら急遽、踊ることになる。仕事をつくってくれた建一郎に感謝。

ありがとう、ほんまに助かります。

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チラシはほぼできているが折り込むところがない・・・
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2022年03月26日

はあーーーーーー!! まあいいか

文化庁から金額確定の連絡がある。

なんと20万も減額されていておどろいて理由を尋ねる。

しかしまったく連絡がなくて「メール届かんかったんかな」と疑問に思ったころに返信がある。

「えー、そんなことひとことも書いてなかったやん」てな理由で腹がたつが「一切不服を認めない」みたいな突き放した文言が書いてあってどうしようもない。

じぶんのぶんから差し引くしかないので、またほとんど無報酬になってしまう。はあ〜あ・・・なにをやってるんだろうなあ。報酬はすべて公演の立て替えている借金に充てるつもりだったのが、それがほとんどなくなってしまった。

「反応するのではなく、選択する」ことがいちばん大切であるということばをネットで知ったのでさっそく実行。くそーと思って怒りとあきらめのうち、まあいいかとあきらめを選択する。

気持ちをきりかえて大相撲でも観よう。からだをうごかしたりデザインをしながら、はだかの大男たちの神事を拝見する。相撲は大関正代が5敗から6連勝、勝ち越しまであと1勝とした。

連敗して最初はみんなにあきれられて、そうしてだんだん同情されていた。

弱い選手やチームを応援するのが好きなので応援していた。独立してから興行的には負けつづけているじぶんを重ねあわせて「よかったなあ」と我がごとのように感動してなみだがあふれる。

あきらめずにやっていればいつか興行的にも白星をあげることができるかもしれない。そうして赤字分をあたまをそろえて返すことができるかもしれない。

そんなふうに思う夕暮れ。そろそろ作業はやめてあしたの用意をしよう。あすは出稼ぎのための移動。

みどりいろの淡路島から灰色の大都会へとまいります。

白塗りをするので風呂に入るまえにひさしぶりにあたまを剃り上げる。最近はお坊さんすぎるし禁欲的すぎる感じがして剃髪するのをやめていた。

もっと俗っぽくていろんな煩悩にまみれた破戒僧のほうが好みなのです。

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ちらし裏面。
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2022年03月27日

移動したら、ひとひとひと

今日は都会へと移動。

3泊の予定なのでそんなに準備はいらない。

というかだいたい3泊の用意をしていけばあとは何日でも、それでこと足りる。

明日、雨との予報で舞台を養生していくか迷うがいろいろと面倒なのでやめておく。バスの乗車時間が迫ってきたので電気を止めて水道を止めてガスの栓をしめて、いってきます。

バス停につくと若い女性が何人かいて気分があかるくなる。しかし淡路島コーヒー牛乳の紙パックを缶のごみ箱に捨てていて、それはあかんやろ。

バスに乗ったら女の子たちが乗らなかったので「あれ?」

乗車したのは車体が青い淡路交通のバスで、彼女たちは車体がオレンジの神姫バスにのるのだと気づく。幸せのパンケーキ前で乗り降り自由なのは神姫バスだけなのか。チラシに載せるつもりなので調べねば。しかし車内で仕事はいやので夜にしよう。

イタリア料理のガープコスタオレンジ前はちょっとしたモールのようになっていて、さらになにかつくるようであちこちで工事をしていた。幸せのパンケーキはテラスで海を見ながらという絶景ロケーションにあいかわらずの大行列だった。

春やすみなので若者がおおい。新鮮な若いエネルギーを垣間見ながら「春だなあ」と実感する。

北淡インターチェンジで海とはお別れ、山道をひた走る。遠くに灰色の大都会がぼんやりと見えてきて嫌だなあ。明石大橋をわたると「よくもこんなに埋め尽くしたものだ」と呆れるほどのいちめん灰色のコンクリートとアスファルト。

見ているだけで息がつまる。こんなに密集しなければひとは生きていけないのか・・・

いやそんなことはない。これは完全に人為的に造られた空間。どれだけ人間を効率よく居住させるか追求した末の不自然な結果。

三宮はひとひとひとひと。

全員がマスクしている異常事態。

しかし、人間が多いからしかたない・・・のか?

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女体のようなにんじん。
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2022年03月28日

さらに移動、三重へ

三宮から電車で実家へ。

車内は座るところもないほど混雑している。

ひとは沢山いるのにみんなスマホのなかを見ていて話すひともいなくて、まるで外国にいるよう。

実家についたら父親はからだがちいさくなったように感じたが調子は良いようだった。母親はよちよちとしていたが、じぶんの足で歩くことに強い執念のようなものを感じた。

夜は最高級の日本酒を頂く。近頃、まったく余裕がなかったので買ってあった安焼酎ばかり飲んでいたのでとろけるほど旨かった。

次の日は築山建一郎との待ち合わせ場所の大阪駅へ。

土曜日なのに電車のなかは超満員、時差通勤とかいうのはいつのまにかなくなっている。電車のなかにマスクをしていないひとはいない。万がいち無症状とかいい出したひとがいたのでこんな変なことになっている。

本来は咳やくしゃみエチケットのためのマスク着用が、万がいちかかっていて、万がいち無症状だったらと喋るわけでもないのにずーっとマスクするはめになってしまった。とか考えていたら終点、梅田。電車から降りたら鬱陶しいマスクをはずしてせいせいする。

建一郎の車に乗せてもらって会場のある三重県名張市の『センサート・ギャラリー』へ。

会場はガラス張りのすてきなたてもので、NPO法人が管理しているとか聞いたがこんなことができるのだと感心。

個展をやっている廣海充南子(ひろみみなこ)さんは曼荼羅のような絵日記を1ミリのペンで描くひとで、その緻密さは驚異的で偏執的な線描はアウトサイダーアートそのもの。

写真を見せてもらったことがあったけれど、これはほんものを見ないとその素晴らしさは伝わらないと感じた。完成するまでに何ヶ月もかかるそうで、いちばん大きなものは1年かかったとか。

ギャラリーで踊るのはむずかしいのでいろいろと道具を準備してきたが、今回はからだひとつでやるのがいいように思う。

しかし1時間をからだだけでもたせるのは至難の業・・・

これはひさしぶりに熾烈な闘いになりそうな予感。

しかし真面目は禁物、そこにじぶんの持ち味はない。

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はじまった。photo by Shiho
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2022年03月29日

なかなかよかった

三重『センサート・ギャラリー』での本番は昼の2時からなのでそれまでのんびりする。

昼メシを食べながらかんたんな打ち合わせをしたら寒いのでからだをうごかす。

なにをやるかとかまったくきまっていないが大丈夫、なるようになる。じぶんが考えているほど観ているひとは退屈しない。ひとのからだをジロジロ観る機会はそんなにないのです。

おどろうとか考えなくていい。と思うが不安な気持ちはおさまらない。こういうときに振付や構成が決まっていると安心できる。

しかし決まっていないスリリングさのほうが好きなのでそちらを選びとる。その瞬間にできるいちばんおもしろいことをやりたいという思いもある。

観ているほうもそのほうがスリリングなのだという確信ももっていたりする。作品なのかどうかということも関係あって、今回は作品ではない。

本番間近になるとドキドキが止まらないけれどそれでいい。白塗りをしながらとにかく丁寧にやろう。と思う。

そろそろ時間かなと外へでると子どもたちがいて白塗りを見て大喜び。ちょっと追いかけたら叫びながらにげるのでライブははじまってるからやめておいて会場へ。

お客さんをよそおってゆっくり奥へ。築山建一郎の音を聴きながらからだをゆっくりとうごかしていく。

そこからやれるかぎりのことをやり思いつくかぎりのことをやる。

建一郎の演奏が激しくなってきたので、もうとことんまでいけとひさしぶりにめちゃめちゃにおどって首がもげるかと思った。五体投地も繰りかえしてすっかりむち打ちになり、からだじゅう怪我だらけ。

たまに子どもたちはどうしてるかなと観察すると集中して観ているのでよし。思いついたことをやったらはまってよし。

ひさしぶりに完全燃焼して控室に戻ってきたら子どもが「すごいダンスだった」と感想をのべていて良かった。

帰りはまた建一郎に大阪まで送ってもらって川西へ帰宅。

へとへとに疲れはてた。

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巨大曼荼羅からあらわれたという設定。演奏:築山建一郎 photo by Shiho
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2022年03月30日

喪失と再生のものがたり

今日はやすみにして都志ではできないことをしよう。

と、村上春樹さん原作の『ドライブ・マイ・カー』を観にいく。

いろんな賞を受賞していて各新聞が褒めちぎっている。どんな作品かじぶんの目で観てじぶんのこころで確かめるのです。

上映前にながれたソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の『ひまわり』の予告が強烈で本編がはじまってからもしばらく引きずる。

ロシアの戦争のお話しであり有名な満開のひまわりのシーンはウクライナで撮影されたとかで予告編なのに感動して涙がでそうになる。

観たことがないので「いまこそ観るべき映画かもしれない」とか考える。

ドライブ・マイ・カーは序盤、「原作が村上さんで劇中劇がベケットにチェーホフってそれはずるいだろう」とか思う。

「よくてあたりまえの名作からことばをもってきているのだものな」とちょっといじわるな観かたをする。しかし映画も舞台とおんなじでなんでもあり、それでいい。

手話でキャストとして参加している耳の聞こえないひとのエピソードがとっても優しくてこころが洗われジーンとする。"ことばなんていつでもつたわらない”と手で話していて「そうだよな」と思う。

後半、広島から北海道へと車で移動しはじめロードムービーの様相を帯びてきて俄然かっこよくなる。

音が徹頭徹尾、丁寧につくられていて感心する。とか偉そうですみません。いちおうじぶんもつくり手なのでそんなことを感じたりする。

クライマックスで亡くなった妻のことを主人公が話している相当にシリアスなシーンを観ながら、じぶんに置き換えて想像してみたらどうしても喜劇になってしまうので可笑しくなる。

うしろで鼻をすすっているひとがいるのにちょっと笑えてきてごめんなさい。

細部までこだわり抜いた映画だった。

そして、いいものをつくりたいというつくり手の気合いがひしひしと伝わってきた。

「喪失と再生の物語り」と宣伝されているが、ふかく納得して帰宅したのでした。

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ライブペインティング中の廣海充南子さんを応援する向雲太郎 photo by Shiho
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2022年03月31日

賞をとるというすばらしいごほうび

先日、拝見した映画『ドライブ・マイ・カー』がなんとアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞。

新聞各紙も大騒ぎ、毎日新聞などは一面で報道。

映画はこういうことがあるから夢がある。

監督の濱口竜介さんは東京大学を卒業後に東京芸大大学院の映像研究科にすすんだという超エリート。作品も知的でむずかしかったけれど、あたまがいいのだな。いま先端の多言語演劇の手法を劇中劇でとりいれていたりと多様性にも目配りしていて、現代性と社会性も感じた。

映画をさいごまで観るのはひとのはなしを最後まで聞くのに似ているけれど、3時間近い地味な会話劇のアジア映画が白人至上主義でエンターテイメントの牙城、アカデミー賞を受賞するなんて時代は変化してきている。

しかしそれも運のうち。

「ほんとうに他人を見たいと望むなら、じぶん自身をふかくまっすぐに見つめるしかないんです」という原作者の村上春樹さんのことばを掘り下げていってひとつの作品にしたというだけあって、じぶんの内面を見つめつづける映画だった。

観ながらじぶんも「自身を見つめつづけている人生だなあ」としみじみ思う。順風満帆で忙しく生きていたらじぶん自身を見つめるひまなんてないのかもしれない。

時間をかけて準備できたのがよかったとのコメントを新聞で読んだけれど、映画はほんとうにつくるのに時間のかかる芸術。エンディングクレジットのスタッフの多さ、関係者の多さは舞台とくらべものにならない。

予算も桁ちがいで、それだけに賞を受賞するとかは最高の結果。それにより動員もまったくちがってくる。

最近、じぶんはそういう作品のつくりかたをしていないけれど、たしかに時間をかけてつくりこんだものは説得力がふかいものになる。

濱口監督はいちやくときのひと。「ここが到達点ではなく通過点であるといい」と口にして「とにかくいまは休みたい」だって。

いいなあ、大仕事をなしとげた人間の休息。

おめでとうございます。そして、おつかれさまでした。

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こちらもおつかれさまでした。またお会いしませう。三重県名張市『センサート・ギャラリー』にて。photo by Shiho

参照:2022年3月29日 毎日新聞、朝日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:09| ブログ?