2018年05月04日

距離感

延期となった『アホとロマンの皮袋』は、2012年12月に『テルプシコール』にて行った一発目のソロ作品です。

20年間在籍した大駱駝艦から独立してすぐに、舞踏の聖地に乗り込んで挨拶がわりにやった公演でした。

舞踏というもの紋切り型イメージの代表“白塗り”との対決の心を込めて舞台上で白塗りをして、舞台上で落として終わった作品。

まあでも人の前でいかに面白く居られるか?の追及で、塗るとか塗らないとかは実はどうでもいい。

どうでもいいんだけど大きな問題で、無自覚にやるのが一番ダメなんだと思う。

「なぜ白塗りをするのか?」という問いかけは、疑うことを信条とする舞踏にとってとても大切な行為です。

ではなぜ白塗りをするのか?

自分の中では死んでいるというサインとして使い分けています。

舞台の上で生きているのか死んでいるのか。作品の中で死んでいるのか生きているのか。それによって塗る塗らないを決める。

おなじく延期となった『舞踏?』は先鋭ということを考え、疑うことからはじまる舞踏の真髄を披露しつつ、舞踏をものとして扱って創った作品。

そういうことが好きではない観客に靴を投げ込まれた。

そういうことは必ずある世界なので気を張っていたけれど、最終日なのでちょいと油断してた。

「靴が投げ込まれた瞬間にボルテージが上がったよね。」と観に来てくれた兄弟子、村松卓矢が感想を述べていた。

確かにあの瞬間「お、来たか」とスイッチが入ったのは確か。あれは再演の時に演出に入れよう。土方さんのトレース作業に入ったら観客席から投げ込まれる靴。

そうかそのあといろいろ投げ込まれたら面白いかもな。バナナとかりんごとか、etc...etc...

ダミアン・ハーストも言ってるけど、大切なのは対象との距離感。

便器にサインをして作品として扱ってしまう。星条旗の絵を描くのではなくて星条旗を描いて作品にする。本物のガイコツにダイヤを埋め込んで売ってしまう。

創作者としては、距離をおいて対象化する醒めた視線が必要。

いっぽうで理屈抜きの面白いものもまたありだと思うし、何かを込めて踊るということも大切だと知りながら・・・

どちらにしても観終わって何も残らないようでは、脳天気。毒か薬かどちらかにならないと。

現実が虚構を遥かに凌駕するいま。

少しぐらいの悪意や毒では、まだまだ足りないのかもしれない。

追記、2020.2.2

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『アホとロマンの皮袋』オープニングシーン。Photo by bozzo
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:06| ブログ?