2018年06月09日

“?”

舞踏家集団『デュ社』のコンセプトを一言で述べると

“?” 

舞踏?であってブログ?である。

時代のアンチとして生まれた舞踏は、その出自の宿命として疑い続ける運命にある。

この疑うという行為は、人類にとって非常に大切なことだと思う。

わたくしの好きな言葉で「疑いなく受け容れるのは、裏切りである」というのがありますが、まさにその通りだと思う。

守破離も同じで最初は学んで守っていても、そこから破っていくためにはそのことを疑う気持ちがないと破りも離れもしていけない。

途中から破ってそこから離れるためには、いちいち疑問に思うことが必要になってくる。

批評精神だな。

実践が伴わず評論ばかりだとうるさいけれど・・・いまは1億総評論家時代だからなあ。

まるで宗教のように、テレビが言っていることを疑いもなく信じ込む。メディアは嘘をつくということを肝に命じていないと簡単に騙されてしまう。

テリー伊藤さんがいつだったか「20世紀の大発明はなによりテレビだ。」とか仰っていた。

あたらしい宗教 “テレビ教” の誕生。

ひと昔前は仏壇があった家の中心に新しい宗教は、陣取って「働け、ファイト一発!」「にっぽん、にっぽん!」「愛は、地球を救う」と五月蝿くて嘘くさかった。

テレビ教は、面白おかしく笑かしてくれてたまに歌ったり世界中の噂話をちりばめながら、一年365日いろいろと欲望を刺激してくれます。

この宗教は、人の不幸とお金が大好き。24時間ほぼそのことばかりにまつわるお話をやります。

影響力が信じられないぐらいに強力なので、人の人生を簡単に変える力を持っています。

けれども消費の速さが尋常ではないので、すぐに消費されて飽きられて消えていきます。

たまに気合の入ったドキュメンタリーを観ると感動する。教育テレビも知性を刺激してくれる。

この“知性”というのが大切。

矢野さんという電通に勤めてて大駱駝艦の追っかけをしてる方が、土方さんと麿さんのことを評して「知的な不良なんだよねえ」と言っていた。

わたくしも、いつまでもこの“知的な不良”でいたいと思う。

ちなみに、いまはテレビ教はあんまり人気がなくなって来て影響力が落ちて来ている。

細分化されてLINE王国とかtwitter王国とかいろいろあるな。最大勢力はフェイスブック王国か。

いやGoogle教のほうが強力か。

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?のもとになったといわれるブッダ・アイ。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:46| ブログ?