2018年07月05日

個性

ここ数年、特別支援学校や福祉施設でワークショップをやったり、デフ・パペットシアター・ひとみで振付をしたりと多様な人々と知り合いになっています。

自分自身でも勉強したりしていると、色々な社会の思い込みというか常識や根深い差別を思い知ります。

それもあって最近、いわゆる『障害』という言葉のことを考えます。

差し障りがあって害がある。何に対して差し障りがあるというのか?何に対しての害なのか?何をもって正常とするのか?

わたくし自身も眼が非常に悪いので、以前から疑って考えていました。悪い?何と比べて悪いのか?

視力を矯正すると言います。正常な状態に合わせることです。

正常?自分が見ている世界が正常だなんて自信をもって言える人などいるのだろうか。

そもそも他人が見ている世界がどんなものなのかなんて、誰にもわからないのに。

色盲の人もいれば色弱の人もいる。乱視に近視に斜視に片目の人もいて全盲の人もいる。それが世界でしょう。

私は他の人と同じように眼が見えているから正常です。数が多いものこそが正しい。という論理。

そこに異を唱えなければ、舞踏の存在価値などないとも思います。

眼が見えようが見えまいが耳が聞こえようが聞こえまいが、それが自分自身に与えられた世界だとしたら、その世界を受け容れて愛して信じて生きていくのをお勧めします。

誰かの価値観や社会が良いという世界に合わせる必要など全くないのです。

閑話休題。

障がい者福祉は金になるから。とひどいことを言う奴もいますが、確かにオリンピック景気のいま。

経済や利益追及の祭典で現実を無視しまくっている“オリンピック”は下らないが、この機会を利用できるだけ利用しまくる。

パラリンピックのほうの勢いも借りて、色々と日本の福祉の底を上げて、常識を変えていく。

そうすれば莫大な税金をかけてでも他のことをさて置いてでも、オリンピックとやらをやる甲斐があるのかもしれない。

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横尾忠則さんが“ハンデ”という言い方をしていたけれど流石だなと思った。うちの女房は“個性”と言います。それもいい。@光の丘 撮影:金子愛帆
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:10| ブログ?