2018年07月13日

1995年雨月以降

2月28日『雨月』千秋楽

初日に鎖から落下するというアクシデントを経験したが、悪夢のエンディングも終わり『雨月』千秋楽のフィナーレも終わり。

打ち上げはあったのかな。覚えていない。

これで終わったんじゃない。これが始まりなんだという意気込みだったので覚えていないのか。

そういえば思い出したけれど、この新宿ゼロ公演の時に終演後に劇場の外にいたら「新宿駅はどっちかね?」とお爺さんに尋ねられて。

「あっちです。」と答えて顔を見たら大野一雄さんだった。

大野さんは「ありがとう。」と礼を言うとスタスタと軽快に歩いて行った。

あの歴史的舞踏家・大野一雄と話した。ちょっと自慢。

3月31日〜4月2日@中野テルプシコール 伊藤キム+輝く未来『蝿の王』

キムさんが新グループを旗揚げ。その名も輝く未来。

“現代にふさわしい、新しい『舞踏』の模索のため結成するダンスカンパニーです。”〜公演チラシより

ワークショップには相変わらず通っていたけれど参加はしなかった。

何故かは詳しくは忘れてしまったが、影響力の強いキムさんと距離を取ろうとしていたのは確か。けれど公演の手伝いは毎日やっていた。舞台の仕込みも手伝って。

4月21日22日『雨月』大阪公演。@吹田メイシアター

雨月のサブタイトルが“昇天する地獄” 。

阪神淡路大震災の直後だったのでそれはまずいのでは。ということになったように思うけれどそのままおこなった。

いま思うとなにがまずいのかわからない。地獄が昇天するのだからいいのでは。

この大阪公演、現代美術家の森村泰昌さんが特別出演。空中ブランコに森村さんそっくりの人形が乗るという演出があった。

そのそっくりの人形の制作を、村松卓矢とわたくしが任命されて。

最初マネキンを森村さんにつくり変えるという作戦だったけれど、マネキンが見つからず断念。

わたくしが森村さんと背格好が同じだと言うことで、急遽石膏で型を取って人形をつくるということになり、板橋の稽古場で型取りした。

村松君は一応美大出身だということで、石膏型取りは経験があるとか言っていたけど全身の石膏どりは難航を極めた。

特に下半身の型取りは、すべての毛が石膏に練り込まれて固まってしまうというとんでもない事態になった。

長い毛はハサミで切ってどうにか難を逃れたが、太ももやスネ毛ほか短い毛が如何ともし難く。気合いもろとも引きちぎるという荒技で。

ものすごく痛かったのを覚えている。恥ずかしい姿勢でうごけずに悲鳴をあげるわたくしを尻目に村松君が爆笑していた。

とっても笑えて、いまとなってはいい思い出か。

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この頃、大駱駝艦のチラシのデザインをやり始めた。記念すべき第一作。無尽塾第1期生募集チラシ。イラスト:村松卓矢
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 18:02| ブログ?