2018年10月13日

お金について

この世は全て“お金”。お金が全て。夢も希望もお金で買える。お金。人類の大発明品。

縄文の頃は自給自足。だからお金はもちろん存在しない。弥生になって食料を必要以上につくる輩がでてきて物々交換がはじまる。価値が等しいと思われるもの同士の交換。

それが交換するものが、美しい石だったり希少な貝だったりになって。美しい石、ひとつと牛1匹とか。石に価値を感じる人。ちょいと価値観が多様になってくるんだな。

そのうちに“金・Gold”があらわれる。美しさとか希少性なんていう移ろいやすい価値も要素として持ちつつ、絶対的な共通した価値『重さ』の取引になる。金1kg / 牛一頭。

命をかけて、死に物狂いで金を探す人々。金を巡っての壮絶な人類の歴史が始まる。金を制するものは世界を制する時代が、やってくる。

この時代は世界中で結構長い。日本は明治が来るまで続いたのか。江戸時代の小判は有名。それが変化するのはイギリスで。

沢山、金を手にした者は安全のため金庫に預けて、代わりに証文をもらう。「この証文と金庫に所持している金は等価です。」と。

そのうちに証文対証文という信用取引がはじまり。さらに現物の金は金庫にあるのにそれを持っています。という証文で買い物ができるようになった。この証文がお金へと変化していく。金庫にある現物と等価である。金の重さから人類は逃れた。

そしていつの間にか、金庫に現物としての“金”がないのに“証文”が、大手を振って世界中を闊歩し始める。金の代わりに証文を金庫へ保管するという変な時代の幕開け。

そしてイギリスの銀行家が人から預かった証文を勝手に人に貸し始める。気持ちはわからないでもない。金庫に眠っている証文=金をなんとか運用したい。

これ最初は違法でした。当たり前です。人から預かったものを、勝手に他人に貸すのだから駄目なのは子どもでもわかること。このやってはいけないことをイギリスの政治家が銀行家から頼まれて、合法にしてしまった。

だから今も世界中で人から預かったお金を、勝手に他人に貸して利益を得るという、やってはいけないことが常識としてまかり通っている。

それ自体には何の価値もない紙切れや鉄の塊を巡って命を懸けるヘンテコな時代の幕開け。そして最近、その偽物のお金さえ要らない数字だけの世界へと人類は足を踏み入れようとしているとNHKでやってた。

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以前も紹介したバンクシアブックス『みんなを幸せにするおカネの話』公には言えない話も。
posted by Mukai Kumotaro at 12:51| 日記