2018年08月15日

1945年8月13日

真裕は、尾道から汽車で広島駅の一つ手前の矢賀の駅まで行くと、そこから同じように家族や知人の安否を確認するために広島市内へと入る人々とともに線路を歩いた。

広島駅の北にある東練兵場あたりまで来た時、眼の前に広がる光景をみて彼は絶句した。

「なんなんじゃ、これは!!」

悲鳴をあげると地面に崩れ落ちていつまでも号泣し続けた。

広島が完全に無くなっていた。

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爆心地『島病院』を中心に撮影された写真。左:原爆投下前、右:原爆投下後 撮影:米軍。10分後ぐらいなのか。

真裕は、うずくまってしばらく泣き続けた。その横を当たり前のように人々が通り過ぎていく。

しばらく放心状態でいたが、ひとしきり泣くと気分が落ち着いてきた。もしかしたら父はどこかに避難していて無事かもしれない。

そんな淡い期待もこころに浮かんできた。

気を取り直して立ち上がると、再び歩きはじめた。

お浅庭の前を通ると無数の死体が焼かれて煙を上げていた。同じようにあちこちで死体を焼く煙が上がっていた。

真裕はハンカチで口を抑えながら、店のあった爆心地へと入っていった。

原爆投下一週間後のヒロシマで真裕は、何を見たのか?既に亡くなってしまったいまはそれを聞くすべはない。

親戚一同皆んなが集まり、淡路に帰ってきた真裕から話しを聞いた。

「大人があんなに泣くの、はじめて見た。」当時5歳だったわたくしの母・陽子が言っていた。

大黒柱を失って暗く沈む木谷家だったが、真一の孫である五人姉妹は、焼け野原に咲く花のように美しく朗らかに成長していくのだった。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:22| ブログ?