2018年08月17日

1945年8月15日

ラジオの前に座って真裕は、神の声を聞きながら不思議と涙が出ない自分を冷静に見つめていた。

女房の正子は四女の衣子を抱きながら泣いているが、安堵の涙だとわかった。

母は怒ったような顔をしていた。三郎と俊夫はわかったのかわかっていないのかわからないが、神妙にしている。

長女の陽子が照子と春子の面倒を見てくれている。まだ6歳だがここ半年の間に急に大人びたようだった。

最近、彼は夜眠れないでいた。3日前に広島で目撃したこの世のものとは思えない光景がまだ頭から離れないのだった。

未だに路上に放置されて荼毘に付されない死体の山。噂では朝鮮人だということだった。

こんな状況でもまだ死体にまで差別する。人間というのは本当に差別が大好きなのだ。と心の底から思った。

腹が立って、情けなかった。同じ人間ではないか。

そもそも日本人などと言っているが、元々は大陸から渡ってきた人がほとんどだ。

日本列島にもともといた人間は縄文人で、いまは北海道と沖縄に追いやられているのだ。そんな当たり前のことが何故わからないのだろう。

高校の教師でもあった真裕は戦時中も、教養と知識が豊富にあったので日本軍の論法には矛盾と嘘を感じていた。

軍港があるのに空襲がほとんどない広島を知り合いの軍人達は誇っていたが、信じずに移住したのも何かがおかしいと感じたからだった。

そのお陰でいまこうして生きている。

長生きしよう。

「死んでいった人たちの分まで長生きするのだ。」

そう真裕は、心に誓っていた。

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左:木谷真裕 真ん中:長女、陽子 右:五女、恒子。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 17:25| ブログ?