2018年09月06日

死者ノ書‘96

大駱駝艦天賦典式『死者ノ書'96』の稽古がはじまった。

スキャン 4.jpeg
宣伝美術:奥村靫正 宣伝写真:野上眞宏

折口信夫『死者の書』〜中将姫が主人公ではなく、死者としての大津皇子から見たこの世の物語。

神話の神々や伝説の人物ではない、赤裸々なありのままの人間像を描き出す。

人にわかってもらおうとしないこと。その心は媚びを生み弱みを生み、押し引きの関係にさし障る。「舞台は恋愛と同じ」by 室伏鴻

例えば “匂い、臭い、ニオイを嗅ぐ時” に人はそれをどう持つのか?何を匂うのかによって持ち方が変わってくる。どんなニオイか?それによってニオイを嗅いだ時の反応も違ってくる。どんな状況か?その状況によってからだ全体の在り方が決まってくる。

それらをイメージして設定して、内容をつくり出してうごきに必然を持たせる。それが観る人に説得力を持って訴えかける。

舞踏はパントマイムと似ている。パントマイムは動きに嘘がないように工夫をしてつくっていく。舞踏もうごきに嘘がないように工夫をするのだけどイメージでアプローチをするところがパントマイムとの大きな違いか。

壁を触っている。どんな質感の壁か?表面はどうなっているのか。座って触っているのか?そもそも地面はあるのか。ひょっとして壁にぶら下がっているのか。壁の凸凹に指を一本一本引っ掛けている。とか。

そのイメージをどこまでからだで忠実に表現できるか。そこに嘘はないか?一本の指でぶら下がっているならば、一本の指以外は脱力をして重力に従っているはず。

からだに芯を通す。どこが中心なのか常に意識をする。そのためには吊られるのが簡単。芯、軸、中心。全てからだが吊られていればつくり出せる。

いや。芯とはそもそもつくり出すようなものではないのか。からだの感覚。臍下丹田の一点とおなじ。

自分のからだの内側の感覚で他人には決してわからない。自分だけの自分にしかわかり得ない感覚。いまそこに確かにある感覚。
posted by Mukai Kumotaro at 08:13| 日記