2018年09月09日

修業と修行

小沢昭一さんがテレビの中は芸を磨き上げる修業なんてものはいらない世界だとその著者『背中丸めて』で看破されています。ナマな素の面白さがどんどん消費されていく世界。永六輔さんも同じことを仰っています。

まるでいま大流行の回転寿司と同じですね。機械で握ったシャリの上にナマをただ乗っけるだけ。それが大人気でどんどん消費されていく。回転寿司の世界には、修業して磨き上げられた職人の腕前なんぞはまったく要らない。

さてわたくしはこの『ブログ?』を毎日記すのは修行だと思って続けています。

お坊さんは生きることすべてが修行です。朝起きてから食べて座って寝るまで。『食う寝る座る』という30歳のサラリーマンが永平寺の雲水として修業するとっても面白い本があります。

その本によるとまずは、最初に入門してきた新入りの常識を徹底的に破壊。信仰宗教や自己啓発セミナーが真似してますので気をつけましょう、魔性。禅の世界では徹底的に破壊して空っぽにしてからが修行のはじまり。こちらホンモノ。

他人に空っぽにしてもらえない場合は自分で努力します。真っ白な空っぽのアホになろうとする。毎日毎朝そこからのスタートです。

座禅の目的はとにかく空っぽになること。心を空にして何も考えない。なかなか難しいことです。

ましてや都会に住んでいたら何も考えないなんてほぼ不可能。大量の情報が常に追いかけてくる。混雑している道を歩く時に人は莫大な情報処理をしています。心がとても忙しくなっているのですね。

急に眠くなったりするのはそれが原因。精神がリセットを要求している。ZZzzz...

たまに田舎の山や海へ行くと癒されるのは、情報が限りなく少ないから。せっかく海へ行っても芋洗状態では元も子もないですが。

限りなく広がる水平線に身を委ねていると、からだの“圏”がどこまでも広がってゆく心もちがします。“圏”とは舞踏用語でからだの周りの感覚です。成層圏の圏。西洋ではアウラ“aura”と言います。オーラとも読みますね。

aura.jpg
”圏”図解 by Kumotaro Mukai

都会ではこのオーラが小さくなってしまいがちです。満員電車ではまさに身を縮こませてどんどん肩身を狭くして。圏なんて無くなってからだにめり込んでしまいます。

自分の心を大きくして、生きることすべてを修行だと考えれば嫌なことも進んでやれるかもしれません。また修業して腕前を磨いた料理人のつくるものは、永遠不滅であり必要とする世界は必ずあります。そんなことを考えながら今日も頑張って生きていくのだ。
posted by Mukai Kumotaro at 10:11| 日記