2018年09月22日

バイトについて

アルバイトは、いまはしていません。40歳まではしていました。いままでに様々な数限りないアルバイトを経験しました。

大阪の頃はお歳暮の配達、引越し屋。神社のお手伝い。東京に出てきてからは、神奈川のチョコレート工場、高円寺のデザイン事務所。そのあとは西武運輸で10年ぐらいアルバイトをした。

最初、お歳暮の繁忙期に入って。きついからすぐ辞めるだろう。使い捨てだ。とスーパーこき使われたのだけどすぐ辞めるのが悔しくて頑張った。朝から晩まで荷物をさばきまくって、腕が上がらなくなって家に帰ってバタンキュー。

でも次の日も次の日も辞めずに行ってたらだんだん認められて。慣れて来たら頼りにされ始めて辞められなくなって結局10年も続けた。

大駱駝艦に入ってからは西武運輸をやめてラクダのメンバーがやっていた鳶職をやったりした。鳶職はとても危険な仕事で同じ舞踏家のえーりじゅんさんという人が事故で若くして亡くなっている。

それでやるのをやめたのかもしれない。同じくラクダのメンバーがやっていた大道具もやったけどこれは才能ないとすぐ辞退。

掃除は結構長くやった。渋谷のパルコ、渋谷の映画館、吉祥寺伊勢丹、新宿伊勢丹、ビルやマンションの掃除。派遣の掃除屋もやったな。

渋谷のパルコでわたくしに引き継ぎで教えてくれた奴が「ここはサボれるから。」とか「ここは人が来ないので寝れる。」とかそんことばかり教えてくれる奴で面白かったなあ。その通りにしょちゅうサボっていました。ごめんなさい。

今までで一番きつかったのは佐川急便の夜間のバイト。行ったら本当にここまで殺伐とできるのかってぐらいに雰囲気が最悪で。働いてるのは、ほとんどがペルー人だった。新入り全員名前ではなくて番号で呼ばれて。

夜の仕事が始まっても新入りには誰も何も指示をしてくれない。わたくしは「はあ、そういうことですか。」と周りを見回してしばらく観察して、手が足りなさそうなところに無理やり入って仕事を始めた。日本人の若者は一晩中、無視され続けて放ったらかしだった。

とにかく荷物が延々に運ばれ続けて来てそのどれもが重量物で、しかも朝まで休憩が一回もなくて。確かそのあと体調を崩して病院へ行ったりして結局アルバイト代はほとんど残らなかった。

本当にひどい現場だったなあ。あんなひどいことをしているから…まあいいか。人間は機械ではないのだよ。

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いままでに証明写真は何枚撮ったのか。2018年8月最新版。
posted by Mukai Kumotaro at 09:21| 日記