2018年09月25日

バニョレ追記

1996年7月2日
ダンスとは何か?足を高く上げ、意味もなく回転する人々。なぜ足が上がるのか?なぜ回転するのか?回転したいから回転する。回転してしまう。回る理由なんてどうでもいい。ダンスに理由なんていらない?

ボリス・シャルマッツの“それがどうした?”を清水永子さんは、「若者特有の行き場のない不安が感じられてとっても良い。」と言う。キムさんは、「例えば創作者が観客のはるか先を行っていたとしても立ち止まり、振り返っていまを見ることが必要。」だと言っていた。

ジョン・ジャスパーズ、二度目の参加で受賞。シニカルで知性溢れるその作品は素晴らしかった。「皆んなに攻撃的だとか挑発的だとか色々言われるが自分ではそんなつもりはなくて、ただ自分の気持ちに正直に創っているだけだ。」

年内一杯はフランス国内からの大量のオファーに答えるので精一杯なのだそう。素晴らしい作品を創れば必ず評価されるといういい例。

勅使河原三郎さんが行き、山ア広太さんが行き、黒澤美香さんが行って、伊藤キムさんが行って。日本国内で売れるための登竜門とか言われて、その神話・伝説を追いかけて後続のダンサーがバニョレを皆、目指していた。

けれど、バニョレの審査委員長をしていた天児さんの方が格好いいなあ。と思ってしまう。山海塾が好きとか嫌いとかはさて置いといて。いまだに大駱駝艦の出世頭だもんな。

バニョレの本番が終わり。なかなかの出来でなかなかの踊りができたと思う。賞は逃したけれど作品の出来も良かったと思います。打ち上げで、観に来てくれた舞踏家・古川あんずさんとご一緒した。

大駱駝艦草創期の華、狐姫との異名をもつ大先輩。大名作『海印の馬』の男性群舞“安産祈願”は当時、身籠っていたあんずさんの安産を祈願して男たちが夜な夜な稽古場でつくった踊りだとか。

ファンが多い理由がわかるとってもチャーミングでエレガントな素敵女性でした。

少し話しを聞いているだけでもその切れ味鋭い舌鋒と厳しい視点は「なるほどなあ。」と唸らさせられるもので。いろんなダメ出しを弟子のキムさんにしていたけど、照明の使い方が古い。と言っていたのをいまも覚えている。

そのあとしばらく経ってからあんずさんは亡くなられたのだけれど、お会いできて良かった。

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フランス人の誰だったか。カメラマンが撮ってくれたバニョレの本番写真。
posted by Mukai Kumotaro at 10:26| 日記