2018年09月23日

バイトについて2

大駱駝艦では、公演が近くなると稽古のほかに大道具の作業が始まるので朝から晩まで拘束されることになる。なので長期のバイトというのは出来ない。

そこで時間の融通が利くマッシュという派遣会社に登録した。色んな職種の様々なところへ派遣された。20年ぐらい登録してたのかな。ここでは、嫌な思いをいっぱいしたなあ。リーダーが嫌な人間だったり、一緒に働く人間が嫌な感じだったり。

しかしなんなんだろう、あのアルバイト現場の嫌な感じというのは。そこでしか威張れない人たち。仲間うちのへんな気持ち悪いノリ。まあそんなのどこでも同じか。そのグループの中にしか居れない人びと。

あ、手に職をつけようと補修屋もやったな。新築マンションの部屋の傷を補修する。しかし傷をその場しのぎ的に隠すような仕事の内容が最後まで好きになれなかった。

「これたぶんすぐに取れてしまうのだろうなあ。」とか思いながら。ここでは色んな面白い人と知り合えた。いまも付き合っている人もいる。

弟弟子、若葉幸平と中林ショウジとやった地下鉄工事は面白かった。最後の日に職人さんたちと飲みに行って。徹夜明けで飲んだもんだからべろべろに酔っ払って何万もする眼鏡を二本失くしてしまった。とほほ。

唐組の奴に誘われてやった阿波踊りの警備も面白かった。目の前を阿波踊りの連が次々と通り過ぎて行くので、警備がすぐおろそかになって気がついたら大混雑してたり。

アルバイトというのは、ほとんどが下働き。早い話がお手伝い。若い頃はいいけど歳をとってきて人のお手伝いをするのはなかなか辛い。けれど食べていけないのだから仕方がない。のか?

ある派遣現場で。舞台の稽古用のセットをつくる現場だったのかな。最後に仕上げで床のカーペットのゴミをガムテープで取る作業をしていたら「主役のホニャララさん入りまーす!」とかスタッフが声を上げてて。

入ってきた人物を見上げたら麿さんの息子、大森南朋だった。「あれむかいさん?」って南朋に声をかけられて。かたや主役で颯爽と登場して。かたやアルバイトで床に這いつくばってゴミを取っている。

それ以降、アルバイトはやらなくなった。ほんとにそれ以降だな。

rakuda_young.jpg
大駱駝艦の頃の証明写真。
posted by Mukai Kumotaro at 06:58| 日記