2018年09月30日

メキシコで『ふたつの太陽』をやることについて

日本とメキシコのつながりは、400年前にさかのぼり、仙台藩の伊達政宗によって派遣された支倉常長のメキシコへの初渡航によって始まります。

それから400年間さまざまな交流が繰り広げられ、横尾咲子とメキシコの交流から向雲太郎とエスパルタコ・マルチネスの交流につながり、そこから広島県とグナファト市の交流へとつながっています。

ここで『ふたつの太陽』創作中のお話しをひとつ。

稽古のまだ最初の頃に被爆して亡くなった人達の鎮魂のために、広島の神楽を作品中でやりたいと思っていました。

しかしそうしたクリエイション初期のアイデアは往往にして忘れてしまいます。その時もそうで記憶の片隅へといっていました。

創作も佳境に入っていたある日のこと広島県文化芸術課の松岡さんという方から電話がありました。「むかいさんはメキシコへ行っておられますよね。このたび広島県の神楽を姉妹都市であるメキシコのグナファト市でやることになり、ついては人を紹介してもらいたい」という内容でした。

ふたつ返事で横尾さんの連絡先を伝えたそのあとの稽古で、ふとそういえば広島の神楽を作品中でやりたかったのだと思い出し、松岡さんに連絡して神楽の映像を送って頂き、そうして作品のまさにクライマックスで広島の神楽を行うというアイデアを実現させることが出来たのでした。

「神はサイコロを振らない」とアインシュタインは言っていますが、私も最近この世に偶然はないのだと思っています。

この逸話も単なる偶然ではなく、400年前に支倉常長がメキシコへと向かったその時から運命づけられていたのではないか。そう思ったり。

現在、メキシコの社会状況は日本に比べて比較にならないぐらい悪く、そのことがメキシコの若者に舞踏を求めさせているのだと感じています。

舞踏の反時代性、反社会的な側面がメキシコの抑圧され危機感を常に持っている若者の希望となり拠り所となっているのだと思います。

今回の『ふたつの太陽』メキシコ公演は、そんな彼ら彼女らの問題意識を刺激して、まるで波紋のように必ずや世界へと広がって行くのだと確信しています。

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舞踏家集団デュ社旗揚げ公演『ふたつの太陽』於: 吉祥寺シアター 2014年12月 photo by bozzo
posted by Mukai Kumotaro at 11:06| 日記