2018年11月22日

いまは新幹線移動をしながら『ブログ?』を記しています。移動中も仕事をしている熱血サラリーマンみたいで格好いい。か?別に。

さっきまで隣のサラリーマンもノートブックを開いて仕事をしていました。いまはスマホを見てます。けれど、今日日はスマホでメモするとか当たり前だし、スマホで仕事をしてるかもな。ご苦労さん。

俺は、実際は仕事をしているわけではありません。何のためでも誰のためでもない、なんだかわからないことをしているわけで。利益をうまない生産性のないこと。

でもそれがどうした?何か役に立たないとダメなのだという常識を捨てましょう。意味がないとダメなんだという思い込みを捨てましょう。

柔らかく大らかに自由自在に遊びに満ち溢れて、不良の魂を忘れずに。何でもいいどうでもいい、これでいいのだと何もかも放り投げ出しましょう。いつもいつも、この瞬間。

最後の最後に夢だとわかる。のと、最後の最後に夢じゃないとわかる。のと、どちらがいい?メキシコ・ふたつの太陽では最後まで答えは出ませんでした。どちらがいいのか?

ファンキーな生き方。と、ファンキーな死に方。どっちも格好いい。けれどファンキーな死に方ってどんななんだろう?樹木希林さんはファンキーな死に方。だったような。松尾芭蕉は結構ファンキーな死に方。

自叙伝を読むと、松尾芭蕉って明るいんだよな。サバサバしてるというか。俳句が侘び寂びしてるから人間もそうかと思ったら、愛嬌があって意外と湿っぽくない。

最期も死を予感して幾つも俳句をつくるのだけど、三つに一つは達観した感じの俳句。

芭蕉は旅を経るごとに俳句が力強く脱皮をし続けます。いつもこころざしを高く大切にして、そこを目指そうという意志と夢を持ってい続けることができたからこそ、高みにたどり着けたのだと思う。

俺もひと旅ごとに脱皮を繰り返して、新しい世界を切り拓いていきたい。そうなるためには常に意識してそのことのためにすべてを捧げないといけない。のか?少なくとも芭蕉はそうしていた。

可愛い児には旅をさせろという諺は、そうやって考えてみても本当の真実を指しているのだと思います。旅という変化のためのいいきっかけ。自分を見つめるいい機会。

芭蕉.jpg
弟子の許六が書いた芭蕉像。かなり実物に近いらしい。何となく飄々として愛嬌があるのだ。
posted by Mukai Kumotaro at 15:41| 日記