2018年12月04日

1997年4月

台湾自主稽古。細かい振り移しは必要か?部分ではなく全体を表層ではなく本質をうごきではなく思いを技術ではない何かを大切に。はい。

4/20 新宿アルタ前にて路上、星野建一郎主宰大豆鼓ファーム。逃げずに立ち向かい、はっちゃける。面白く踊れました。

4/22 30歳である。まだ何者でもない。別にサボっていたわけではない。無計画に生きてきたわけでもない。遊んでばかりいたわけでもない。いや。俺の人生、遊んでばかりだったか。

いまは遊びが仕事みたいなものだから、これからもどんどん遊んでばかりで生きていくのだ。もっと遊んで。背筋が寒くなるぐらいに遊んで。遊び倒しまくって。

いろいろと小難しい理屈だのをこねくり回したりするけれど、舞踏なんてどれだけ面白い遊びができるかの競い合いみたいなところがあるのだ。

そのために普段から心を遊ばせて、寄り道したり回り道したりして面白いことを探してる。アイデアの種を拾って水をやって育て続ける。

この世の中には、想像できる舞台と想像ができない舞台がある。観にいきたいのは想像のできない舞台。創りたいのも想像がつかない舞台。

4/27 東京電力主催1万人コンサート『ヤマトタケル』本番。5,000人の無料招待客と5,000人の出演者という、莫大な原子力マネーを湯水のごとく使った正気とは思えないイベント。この頃は、まだ両国の国技館を貸し切ってやっていたのか。

企画・作・演出:なかにし礼。企画だから考えたのは、なかにしさんか。『愛と平和への旅立ち』そんなスローガンを平気で掲げてた。

なかにしさんが、ある時に稽古で借りてる体育館へ平気で土足で入っていったのをよく覚えている。傲岸不遜を絵に描いたような人物だった。お金を腐るほど持っているとあんな風になるのか。

あの頃は、お金があり余って余って仕方がなかったんだなTEPCO。このあとも演目が変わってどんどん続いて行った。主演も市川團十郎さんと海老蔵君に代わって。勘太郎君に獅童君もいたな。

関連企画で年末のカウントダウンイベント、出演者が佐久間良子さんに多岐川裕美さん、ヒロインが宮沢りえちゃんなんて時もあった。海老蔵君がりえちゃん相手にタジタジだったのが興味深かった。

打ち上げの挨拶で多岐川裕美さんが「はじめて脇役をやりました。」言うてたのにびっくり。

そのあと主役が里見浩太朗さんに変わって。大駱駝艦のメンバーで持ち上げたりしてたけど多分ロールスロイスより高かった。ので落としたら大変だった。半分ぐらい素人だったもんな。

皆んな原子力マネーの恩恵を授かってた。2011年3月11日、永遠に消滅した。

さて、そろそろ『死者の書』台湾公演へと旅立つのかな。

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アルタ前にて。前列左から星野建一郎、石川正虎、徳久欣、向雲太郎。二列目左から佐々木あやこ、青山健一、正虎の彼女で名前忘れたごめん!今井敦子、ミュージシャンの男の子、ダンサー名前忘れた、すまん!後列左からあやこの妹の旦那で名前忘れた、いまは四国にいるなっちゃん、猫カメラマンになってる柏村さくら、名前忘れた、一番右は田村一行。
posted by Mukai Kumotaro at 10:35| 日記