2018年12月10日

真似について

むかし、鉄割アルバトロスケットの看板俳優、奥村勲氏にお芝居とは?と唐突にしかし真剣に尋ねたことがある。

「猿真似ですよ。」即答してた。

さすがは、小学生の時にバスに乗っていてお金がないことに気付いて、降りる時に養護学校の生徒の真似をして難を逃れた男。

奥村君が最初にお芝居をした経験なのかな。バスの運転手さんはどう思ってたのか。案外わかってたりして。

もしわかってたとしても、見逃してもらえたのは真に迫るお芝居だったからだろう。

バスを降りるまでやり切ったらしい。小児麻痺の真似。しかし咄嗟にそれができるのは、普段から興味を持って観察してたから。

いま現在も人の真似をするのはとっても上手です。

音楽は真似からはじめます。コピーですね。それは楽譜を見たり耳で聞いてだったり様々ですが、すべて真似・コピーからはじまります。

美術になってくると違うのか。もちろん人物や風景を模写することもしますが、まったくの想像で描けなんてのもある。

とか言ったってそこで出てくるものも、何かの影響だったりどこかで見たものだったりするのですが。

そう。人は生きてくる過程で誰かの影響を何かしら受けているし、毎日眼にする光景や風景や写真や絵なんてのの影響を受けている。

いまはネットの時代だから世界中のありとあらゆるものを眼にする機会があるので、影響は様々に受けているだろう。

現代美術界の真似のパイオニアは森村泰昌さんですが、あのぐらい徹底してコピーばかりやられると説得力があるし迫力が違う。

オリジナルを越えている面白さもあるし。

最近、鉄割アルバトロスケットの演目がほぼ何かのパロディになってきているのですが、真似なんだけど真似になっていなかったりまったくの別物になっていたりするので笑ってしまう。

人生なんて八百長ばかり、嘘ばかりの世の中で何をやったっていいじゃないか。所詮つくりもののこの世界、なんでもありでこれでいいのだ。

しかしコピーはオリジナルを越えないことの方が多い。

オリジナルの本物はエッジが濃いというか、説得力があるというか存在感が違うのです。

川口隆夫さんが大野一雄のコピーをした舞台でフィナーレに大野慶人さんがあらわれたら、コピーとオリジナル、偽物と本物の差が際立った。

トレース作業とか自分のからだをメディウムにしてとか、うんぬんかんぬん言葉を尽くしても、一目瞭然の違い。

紛れもない本物と紛いもののコピーの差。なんなんだろうあの違いは。

比較しないとわからない違いではあるのだが。

大先輩、室伏鴻のトレース作業というかコピーというかミもフタもない言い方をすれば、真似をしたことがある。

学ぶとは真似ぶから来ているというが、あの経験は自分の踊りを飛躍的に進歩させてくれた。

40歳を過ぎると自分の何かを進歩させるということは、とても難しくなってくるのです。

そんな時に先逹の真似をするのは、やはり有効なのかもしれない。

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室伏さんを真似た『舞踏?プレゼンテーションショウ』@Bank ART studio NYK, photo by bozzo.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:01| ブログ?