2018年12月26日

歌2

大駱駝艦で歌が上手いといえばまずは、若林淳。若の『夢芝居』は、乾いた女性も一瞬でとろとろに濡れそぼると言われるほどの甘さです。

その次は、山本良かな。良の歌を聴いているとうますぎて嫌になってきます。

裏方の方は皆、上手いです。プロデューサーの新船洋子女史は、その立場から賞候補には上がりにくいですがとってもお上手です。

さて、そういえば良ちゃんが大駱駝艦を卒業したようです。

良は元々は塾生でした。卒業公演でぴっかりコニカを片手に持って客席を「パチリ。」写して笑いを誘ってました。

大駱駝艦に入艦してからは、明るい性格とお笑い好きだからか面白担当みたいなところがあって、皆んなにその才能を求められていました。

最終的に本公演で女戦士みたいなソロの役を与えられ”ずっこけ”の稽古を、麿さんと延々やってたのを覚えてます。

上手くいかなかったずっこけのダメージから。というわけではないでしょうが、その本公演のあとだったか表方をやめて裏方である制作部に入りました。

大駱駝艦の表方は常に常識を疑いながらどうやったら面白い存在になれるのか?と自問自答しながら日々不真面目に生きていたりします。

しかし、裏方は正反対というか当たり前ですが真面目に仕事することを求められます。

反社会的なことをする存在から社会的な世界の一員へ。最初は戸惑うことも多かったと思います。

そのぶん表方への愛は強かった。ある時、大豆鼓ファームに出ている時か、良が様子を見にきていて。俺がソロを踊るシーンで出来があんまりよくなくて。

「よくなかったなあ。」と思ってたら「いい加減にしてください。こんな向さんを観にきたわけではないです。」とか本気で怒られた。

それ以来、良くないなあ。と自分で思った時は怒られるようになって怖かった。

その後、だんだん麿さんと新船さんに鍛えられて、いい制作者になっていくのでした。

セゾン文化財団の助成金に応募しろと言ったのは彼女です。1回目に落ちてもうやめようと思っていたら「何回も出すことが大切です。」と言われて、「はい。」とそのあとも頑張って出し続けた。

シニアフェローは、2000字のエッセイを書くのだがそれが結構大変だった。しかしへこたれずに出し続けた。

そのへんが功を奏したのかわかりませんが、45歳迄という年齢制限のラストの年と独立が重なるという幸運にも恵まれ選ばれた。

「通ったら叙々苑に焼肉を食べに行きましょうよ。」と言ってたのにまだ行ってないな。今度行こう。

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まだ、ダンサーだった頃のプロマイド。フィリピン系の美人さんです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:10| 日記