2019年07月05日

2パーセントの男

2003年4月『ジャーオデッセイV』の麿赤兒総見。

アムステルダムから来た10人ぐらいの見学者がいて、異様な雰囲気だった。向雲太郎の新作を買いにきていたのか。

通しの前に栄養ドリンクを2、3本飲んだのを覚えている。それぐらいに背水の陣だった。何かの予感だったのか。

通しが終わったあと「コーヒーを苦くしてくれ。」師匠は、そう吐き捨ててトイレへ行った。

精魂尽き果ててやれるだけのことはやった感じだった。へとへとでもう一本栄養ドリンクを飲もうとして誰かに止められたような。

師匠の態度や雰囲気であんまり良くなかったことはわかったけれど、そこまで酷い出来ではなかったように思っていた。

「お前のやっていることは98パーセント間違っている。」

トイレから帰ってきてからの麿さんの第一声だった。

皮を一枚残して一刀両断にされた。

これは、厳しいとかいうような生易しいものではなかった。2ヶ月間の努力と労力の完全否定。

いや完全否定ではない、100パーセントの否定ではない。ここが味噌。

弟弟子の松田篤史が後ろにいて、その瞬間に俺の背中一面に油汗が吹き出てきて驚愕したとか。

俺はといえば、あまりのショックで周りが真っ暗になって視野が本当に直径10センチぐらいになってもう少しで気絶するところだった。

持ち堪えたとは我ながらあっぱれだと思う。そこは30歳の自分を褒めてやりたい。

「楽になりたい。早く横になって楽になりたい。公衆の面前だとか関係ない・・・」

人生であれほどの衝撃はもうないだろう。いや、それはわからないか。人生何があるかわからないから面白いのです。

「無茶苦茶言うたった。」師匠は、そうも言ってたな。

そのあと稽古をしながら色々と一緒に紐解いていくのだけど、とにかく自信がまったく無くなっていたのでほとんど何も答えられなかった。

麿総見が終わって夜の11時くらいだったのか出演者全員に頭を下げて謝った。

「申し訳ない。力不足でした。ごめんなさい。」

今井の敦っちゃんが何か文句を言ってたけれどそれにも答えられなかった。何を言われても仕方がなかった。

それから本番まで毎日毎日針のむしろだった。でも逃げなかった。娘の顔に助けられながら、必死のパッチで稽古場へと向かった。

結局、本番は98パーセントの間違いを残りの2パーセントで全力で救って評判は良かった。内容構成は、麿さんに初めて観せた時とほとんど変わっていなかった。

けれど出演者全員が背水の陣で臨んでいたし、皆んな鬼気迫るものがあったのだと思います。麿さんに見せた時とは別物だったのだろう。

そういう風にあらゆる手段でお膳立てして調整して持っていくのも作家の手腕なのだが、未熟だった。

本番を観にきてくれた辛口の音楽家、千野秀一さんも喜んでくれていた。

麿さんと千野さんと何故か三人でお酒を飲んで「今回ギリギリでもうダメかと思った。」的な話しをしてたら麿さんが豊玉伽藍の時の話しをしてくれた。

借金が3億だとわかってこれから債権者会議に行かなければならない時に、陸橋の上から衝動的に飛び降りようとフェンスを乗り越えた。

「さあ飛ぶぞ。」

その瞬間に会議にいつもくるヤクザたちの顔を思い出したとか。

全員が本当に見事にパンチパーマで、そのパンチパーマを思い出した瞬間に笑いが込み上げてきて爆笑してしまったのだとか。

笑ったら最後、死ぬのはやめて会議に向かったそう。

作品の一つや二つ酷評されたところで本気で死のうなんて思わなかったけれど、3億の借金に比べれば大したことないのです。

サブタイトル通りになんとか生還した2パーセントの男は、タダではこけずにめげずに次の年に新作を創るのでした。

やるな雲太郎。

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一枚しか残っていない貴重な舞台写真。エンディングシーン、寄せては返す波打ち際でステップを繰り返しながら暗転。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:58| ブログ?