2001年9月11日、あの日は壺中天公演の稽古の日だった。
夕方事務所で晩飯を食べてたら「お前ら稽古なんてしてる場合じゃねえぞ、テレビを観ろ!」麿さんから電話があった。
そこに映っていたのは目を疑う信じられない映像だった。
"From My Corner" photo by Larry Clark on 9/11/2001.
“ナイフひとつでジャンボがミサイル”
たったひとつのナイフで、ジャンボジェット機がミサイルに変わってしまう。あれは、ひとつの革命だった。
“舞台作品が現実の事件を凌駕しうるとしたら如何なる価値観の革命を、その空間に裁ち広げればいいのか・・・”
真剣に考えさせられる事件だった。
“さまざまな技術と体力と知力、性力を駆使しつつ、もっとオモシロク、もっとオソロシク、もっとカナシク、もっともっとオカシイ夢宇宙を。
現実の世界、事件などどうでもよくなるほど阿呆らしく、刺激的に創り上げ繰り広げる事が出来ればいいのだが。
真っ向から立ち向かうか、其処から高く跳び上がるか、低く低く潜航して行くか、隙間にスルリと入り込むか、回り込んで向こうに出るか。”
あの頃、予言だとかいって流行っていた文字変換。
“なかなかの実行力と熱心なビジョン、良く出来た記憶力を持つあなたは、雑学知識の宝庫である。
狙いと計算で絵を描こうとしても上手く行かぬことは有るとしても、それらの力で斬り抜けてゆくのだろう。”
これは狸穴善五郎君のことを書いた文章。
“常識と非常識の境を良く知るそのひとは、ははのような眼つきでいつも判り易く注意してくれる。
自分を知り無理をせぬ生理を備えているあたまの良いそのひとだが、たまには実験や冒険たち、非のほうへ突っ込んでみるのも愉快なのではないだろうか。”
これは南条タマミさんのことを書いた文章。
10月5日から8日まで南条さん演出・振付『恋愛開拓志』という作品に出演した。この時は力及ばず、出番がどんどんなくなって悲しかった。
“初期、初発の面白さのひとたちである。
まだなにものでもない、やりたい思いが技術に追いつかない、混沌とした可笑しみのひとたちである。
考えることと考えないことを解っているのか解っていないのかわからないが、なかなか怜悧にたえないひとたちなのである。”
これは捩子ぴじんと魄のことを書いた文章。
10月26日から28日まで捩子振付・演出の『青春星人』という作品に出演した。包丁を振り回して好き勝手やった。
“やりたいことなど無くやれることなどもう無いと嘯くかれも舞台でしか出来ぬこと、肉体でしか出来ぬことを知り、わかり見据えて迷い多くやるのである。
限られた空間の利用法を、二次元ではない三次元のパワーを。
エネルギーとその場、空間を共有しているという、特権的意識を秘密めいた儀式性と謎とその絵解き、性的エロスと笑い、設定のみたてで刺激する。”
これは村松君。
11月15日から18日まで村松卓矢振付・演出作品『うしろのしょうめん』に出演した。
壺中の旅を創り、4本連続で壺中天の作品に出てノリに乗ってた時の大駱駝艦発刊紙『激しい季節』への寄稿文でした。
2001年9月〜11月のメモより抜粋、加筆、改筆。photo by Koh Maizawa.