2019年07月06日

3と2分の1

踊りってなんじゃい?何をこれからやっていくのか?何をこれからやりたいのか?

オープニング 号泣するネコ

2005年8月20日 ぴったりした布 布の変化 風呂上がり

ご存知、2パーセントの男の帰還 安宅 勧進帳 虎の尾を踏む男達 虎の穴の尾

やったらあかんことをどんどんやっていい仕事。

10月3日 地獄のロンパールーム

何をやるのか

下らないことをやるにしても、怖いことをやるにしても既成の価値のてんぷくトリオを図るお祭りである。

脱物語

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タイトルを書きつけたノートに娘が落書き。

2005年11月『舞踏虎ノ穴』〜壺穴に入らずんば舞踏を得ず

“虎ノ尾を踏む男達 虎ノ尾を踏み蛇の口から逃れたる心持にて 鹿が出るか、蛇が出るか、馬がでるか”

まずは舞台というものの宿命、逃れられない客との時間の共有、即ち“作品”ではなく“生・ライブ”であるという必然の事実をあらためて強く打ち出します。

自らの舞台を創るうえでの指針として存在する、ニューヨークのホテルで深夜退出際の麿さんの「所詮戯れ事じゃ、魂戯れじゃ。」”SOUL PLAYING GAME”であるという言葉とその考え。

“和して同せず”という日本最古といわれる能の個人主義、舞台上にて己の絶対的な間を持っている個が互いに主張し合いぶつかり合いながらつくり出す一体感。

この三つの事実と指針と構造を背骨に肉をつけイメージを膨らませて、4月新作公演の世界観を創り上げたいと考えています。

そして実験性という壺中天初期の自らのなかでの初発の気持ちを甦らせつつ「踊りとはいったい何なんじゃい。」という疑問に挑戦してみたいと思います。
〜虎ノ穴 企画書より

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鼻にボルトと頭におわんか・・・舞台の簡略図はそのまま活かされた。

オープニング『老松の前、修行する僧の前に現れる闇、あるいは漂着した猿』

2パーセントの男の可能性について

鳥だと信じ飛行訓練に励む羊と尻が三つにわかれた男たちと、鍵盤がねずみで出来たオルガンを叩きのめすミュージカルのパフォーマンス

キャミ一枚で椅子で踊る“ザ・舞踏地獄のロンパールーム”

どもるように踊る、群舞

富樫と弁慶〜演劇スノッブの父とそれを嫌って炭鉱夫になった息子のスケッチ群

“相撲の勝負を大司教が押し出しで制し神の存在が証明されたと宣言する”

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まだだいぶん能の影響が強い。

出演:向雲太郎、若林淳、田村一行、松田篤史、塩谷智司、奥山裕典、渡辺達也、湯山大一郎、谷口哲平、仲林勝司

最初の審判:麿赤兒 最初の舞台に対する価値を判定する絶対的審判者

自分は何を必死になっとるのか?

気楽に華麗に 物語そして作品至上傾向にある壺中天をいま一度見直し、重くなりつつある自分自身のモノ創りへの姿勢も見直す。

肩の力を抜いて愉しんで、もう一発軽く抜いて引いて見つめて新機軸を考え出す。

構造物語り:感じるくらいの簡単な筋。シーンシーンはなんとなく繋がる。

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アイデアの段階は、雑多で色々なイメージがあればあるほど世界が広がる。

肉体を個々が磨き研ぎ澄まし向上させ“創造そのものを学ぶ”場であり「作品を創るとは?舞台を創るとは?おどりを踊るとは何なのか、どういう事なのか?」を問う場。

この壺中天という"舞踏虎ノ穴"で日々行われる問いかけこそ、今回の舞台で問いかけられるものであり、その根幹を成すものである。

“虎の尾を踏む男達”と“虎ノ穴” 虎つながり 虎ノ穴そのものの原典、虎ノ穴の物語をやるのではなくその本質を。

舞踏の虎ノ穴。その虎ノ穴にて何が行われるのか?

舞踏とは何かと問われれば答えに窮してしまいややあって「よくわかりません。」と答え「そのわからないところが魅力であってわかってしまったらもうやめている。」とも答える。

機会があるたびそして常に自問自答するが、それは変わっていなくて変わっていないどころかますます何でもありの舞踏の魅惑的な面白さの虜。

この世界全ての要素を孕んでいて、答えなど無いものだからわからなくて当たり前の舞踏というもののやっぱりそこが魅力であるなあと確信。

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このスケッチは群舞で活かされた。

必死で遊び戯れるとはどんなんなんじゃい。

“能舞台の上のインド人と弁慶とモンティーパイソンと土方巽とタイガーマスクとマルセルデュシャンとドリフとの出会い”

そんな舞台を

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なんだろう?illustration by Kumotaro Mukai.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:14| ブログ?