2019年08月04日

8月に入りました。

日本では“8月ジャーナリズム”が始まっているかな。

8月は、沖縄上陸戦と広島への原爆投下と長崎への原爆投下、そして終戦が重なっているので戦争の話題が集中することをそう呼びます。

さて2019年1月の夜、NHKにて『原爆投下知られざる作戦を追う』という番組が放送されました。

74年前の1945年8月、日本への人類史上初の原爆実戦投下で21万人以上が亡くなるとアメリカ国内では推計されていた。

当時、多忙を極めていたアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンは、そのことについて議論をしたり日本国民に思いを巡らせたりするどころではなかったそうです。

そうして市民の上に原爆を落とすという命令を、トルーマンはしていないとドキュメンタリーではいっています。

では、勝手にアメリカ軍部が決断したことなのか?そんなことが可能なのか?

「原爆の威力が隅々まで行き渡る、市民が暮らす都市部に原爆を落としたい。」という科学者たちの知的好奇心からの提言をトルーマンは止めきれていなかった。

22億ドルがかかった兵器の責任者としてアメリカ国民に効果を証明しなければならないレスリー・グローヴス将軍は、もちろん賛成をしていた。

グローヴスは、当時日本に原爆を大量投下することを計画していた。その数17発?!

東京も、もちろん投下目標になっていた。

「いや原爆を落とす場所は軍事施設に限り、決して女性や子どもをターゲットにしてはならない。」トルーマンは当時の日記にそう書き記している。

グローヴスは、人口が密集していて殺傷できる人数が多く効果が大きい京都へ落とすのが一番だと主張、京都駅も目標地点に選ばれていた。

しかし有識者や知識人のあいだで「アメリカがヒットラーを凌ぐほどの残虐行為をしてしまう。」無差別爆撃にあたるのではないか。との懸念があった。

同時に親日派の軍人スティムソンが京都への原爆投下を反対していた。

戦後の世論への配慮など議論が重ねられ紆余曲折を経て、人類が初めて核を解き放つ場所に選ばれたのは広島だった。

「2発目以降は準備が出来次第投下せよ。」とグローヴスの命令があったとされる。by NHKドキュメンタリー。

テニアン島ではエノラゲイが飛び立ったのと同じ時に、既に2発目の原爆“ファットマン”投下準備が整っていた。

グローヴスの命令通り2発目が長崎に投下される。

そこからグローヴスの計画では、17都市への連続原爆実戦投下が予定されていた。

原子爆弾の大量投下で日本を壊滅させてそのあと本土へと上陸、火炎放射器や毒ガスやサリンで生き残った人も全滅させて無血占領するのがアメリカ軍の計画だった。

その名も“オリンピック作戦”と名付けられていた。

それにしても何故8月だったのか。

気象学者の「8月は統計的に晴れの日が多い。」という意見があったのでその意見に従ったのだそうです。

そんな学者の提言で真夏という残酷な季節が選ばれた。

投下後の炎天下の腐乱腐臭地獄、大量のハエの発生はそんな学者の一言で決まってしまったのです。

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お礼に古谷の家に置いてきた名著『夏の花』原民喜著。8月6日に被曝した原は若くして自殺してしまう。死神に魅入られたような人生だった。
参照:2019年1月6日『原爆投下知られざる作戦を追う』NHK
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:08| ブログ?