2019年08月26日

オーバーキル

今年は8月のほとんどを日本の外で過ごしたので、原爆のことを感じることがほぼなかったです。

帰ってきてからもまったく感じないのは偶然か。

1945年8月9日、レスリー・グローヴス将軍の命令通り2発目の原子爆弾が長崎に連続投下された。

長崎へ投下された“ファットマン”は、広島へ投下された“リトルボーイ”よりも威力は強大であった。

にもかかわらず被害が広島よりも少なかったのは、当時の長崎上空が曇っていて本来の投下目標だった市街地から外れたからだった。

2発目の原爆実戦投下成功。そこからグローヴスの計画では、17都市への連続実戦投下が予定されていた。

原爆の3発目を用意していたグローヴスがなぜそこまで連続投下にこだわったのか。

なんと、当時のアメリカ男には「爆弾は落とせば落とすほどカッコイイ。」という常識があったのだという。

自分のカッコつけのために、子どもや女性への無警告無差別での原子爆弾実戦投下を平気で実行できる男。

「申し訳ないが地上の人々に心を向けることはなかった。」戦略爆撃機B29“エノラゲイ”搭乗員 レイ・ギャラガーのように罪の意識を隠しつつ任務を遂行する人もいた。

この無謀な命令を止められるのは、もはや大統領だけだった。

「こんな破壊行為をした責任は大統領の私にある。」そうトルーマンは言っている。

「日本の女性や子どもたちへの慈悲の思いは私にもある。人々を皆殺しにしてしまったことが無念だ。」

1945年8月10日、これ以上の原爆投下を中止するとトルーマンは全閣僚に伝えた。

「新たに10万人、特に子どもたちを殺すのは考えただけで恐ろしい。」と当時の国務長官ウォレスは日記に書いている。

この原爆実戦投下の責任の所在はいまだにアメリカの中で曖昧です。トルーマンは許可はしていないといい、グローヴスはトルーマンが許可したという。

しかし色々な文献やドキュメンタリーを観た結果、どうやらグローヴスがルーズベルトから原爆開発計画を引き継いだ主導者でありトルーマンを影で操る黒幕なのだとわかってくるのでした。

トルーマンはその後、無差別無警告での戦略核兵器の実戦投下を正当化していく。

「日本人を殺すためではなくて、アメリカ兵を救うために仕方なく日本に原爆を落とした。」という絵図である。

この時“命を救うために原爆をつかった”というストーリーが出来、“原爆投下=正しい”という公式が生まれた。

そして結果が出た。

トルーマンが残り15発の原爆実戦投下中止命令を出した、その5日後に昭和天皇が敗けを認めたのだった。

あまりにも大き過ぎる犠牲を払い、あまりにも遅すぎる敗北宣言だった。

日本降伏のニュースにアメリカ国内には大歓声が響き渡り、国民は大喜びをした。

トルーマンも大喜び、グローヴスとガッチリと握手。

エロス“生”への欲望とタナトス“死”への欲望という人間矛盾。こと核開発においてはタナトスが勝利をしたのだと言わざるを得ない。

14万人を一気に殺す方法は思いついても、自分一人の命を救うことも出来ない人類・・・

いま世界中には、およそ13,880発の核弾頭があると言われています。(長崎大学核兵器廃絶研究センター2019年6月1日現在)

地球上の生物すべてを複数回殺しうるという「オーバーキル」状態は現在でも変わっていない。

そして核兵器開発競争は、まだまだ続いているのです。

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報道写真家 ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』(1945年長崎の爆心地にて)眠るように亡くなっている妹を背負い立つ少年。犠牲になるのはいつも子どもたちなのです。
photo by Google.

参照:『原爆投下知られざる作戦を追う』NHK 2019年1月6日 長崎大学核兵器廃絶研究センターweb site.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:18| ブログ?