2019年08月08日

原爆被害の概要2

[熱線]
爆発と同時に爆発点の温度は摂氏100万度を超え、空中に発生した火の玉は、一秒後には直径280メートルの大きさとなり、約10秒間輝いた。

この火の玉から四方に放出された熱線は、爆発100分の一秒後から約3秒間、地上に強い影響を与え、爆心地周辺の地表面温度は摂氏4000度にも達した。

強烈な熱線を浴びた人々は重度の大やけどを負い、死亡する人も多かった。爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡。

それよりも爆心地に近い地域では、80〜100%と推定されている。

また、即死あるいは即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆し障害の重い人ほど、その後の死亡率が高かった。

やけどは、熱線に直面していた部分にのみ生じており、爆心地から3.5キロ離れたところでも、やけどを負った人がいた。

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photo by Google.

[爆風]
原子爆弾の爆発の瞬間、爆発点は数十万気圧という超高圧となり、まわりの空気が急激に膨張して衝撃波が発生し、その後を追って強烈な爆風が吹き抜けた。

爆心地から500メートルのところでさえ1平方メートルあたり19トンに達するという強大なもので、半径2キロまでの地域では木造家屋のほとんどが倒壊。

鉄筋コンクリートの建物は、崩壊はしないものの窓ガラスを全て吹き飛ばし人々の体内に容赦なく無数のガラス破片を喰い込ませた。

爆風により、人々は吹き飛ばされ、失神した人、負傷した人、倒壊した建物の下敷きになって圧死した人が続出した。

[大火災]
原子爆弾の爆発で放出された強烈な熱線により市内中心部の家屋が次々と自然発火し、続いて市内のいたるところで、倒れた家屋の台所で使われていた火気などを原因とする火の手が上がった。

爆発の30分後から午後2、3時頃を頂点に終日、天を焦がす勢いで燃え続けた。

燃えるものは燃えつくし、火災がおおむね収まったのは、投下から3日後のことでした。

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国立原爆死没者追悼平和祈念館にて。photo by Kenji Kidani.

爆心地から半径2キロメートル以内の地域はことごとく消失し、焼け跡では、全てのものが異常な高熱火災により溶けて、まるで溶岩のようにあたりを埋め尽くした。

倒壊した建物の下敷きになって、生きながら焼かれて亡くなった人も数知れない。

[放射線]
原子爆弾は、原子が核分裂する時に発生するエネルギーを兵器として利用したものである。

さらに決定的な特徴は、通常の爆弾では発生しない大量の放射線を出しその影響によって、人体に大きな被害を引き起こすことである。

爆心地から1キロメートル以内にいた人は致命的な影響を受け、多くは数日のうちに死亡した。

被曝直後から短期間には、発熱、吐き気、下痢、出血、脱毛、全身のだるさなど、さまざまな症状の急性障害が現れ、多くの人が死亡した。

原爆は爆発後、長時間にわたって残留放射能を地上に残した。

このため、肉親や同僚などを捜して、また救護活動のため入市した人々の中にも、直接被曝した人と同じように発病したり、死亡する人がいた。

さらに、このような急性障害のほか長期にわたって白血病、ガンなどの後遺障害を引き起こし、胎内被爆者には知的障害や発育不良を伴う小頭症などが多数見受けられるようになった。

現在もなお多くの被爆者を苦しめているのです。
〜図録『ヒロシマを世界に』広島平和記念資料館編より

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「75年間は草木も生えない。」と言われた広島に一週間後、真っ赤なカンナの花が咲いた。
撮影:故・松本栄一カメラマン、朝日新聞社 Photo by Google.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:19| ブログ?