2019年08月22日

play ball

今日は、夏の全国高校野球の決勝です。

毎年、記していますが“敗れた学校が校歌を歌う”という永六輔さんのアイデアを実行すれば良いのになあ。と強く思います。

負けたチームが校歌を歌うとどうなるかと言うと、参加全校の校歌が歌われるのです。

例えば今日は、敗れた準優勝チームがまずは校歌を歌い、最後の最後に優勝したチームが校歌を歌うのです。

感動するぞー。

勝つたびに歌ういまのルールだと感動もどんどん薄れる。観客も毎度毎度、聞かされて覚えたくないのに覚えてしまいます。「おーおー、PLー、PLー、とわの学園、とわの学園ー。」

子どもの頃に何回も聞かされて覚えてしまっています。

しかし、校歌の宣伝のために闘っているわけではないでしょうに、馬鹿みたい。

朝から晩まで青春を野球に捧げて、真剣に一生懸命に練習して頑張っているのです。自校の利益や名誉も大切だと思いますが、本気で子どものことを考えてあげて欲しいものです。

クラブ活動の延長である高校野球。教育を第一に置いて勝ち負けも大事だけれどそれ以上に大切なことがあるのだと知って欲しいです。

勝つということは敗者の犠牲のうえに立っているのだ。ということを敗者の校歌を聞きながら学ぶのです。

誰がどう考えても良いことなのに導入されない。もったいないです。

ずーっと続いているいままでの慣例を破ったり、決まり切った常識を疑うのは勇気がいるし手間がかかります。

頭の固い、いま高校野球を仕切っているハゲのおじさんやおじいさんたちには無理かもしれませんが。

いつか実現して欲しい。

さてベースボールは、歴史が古いこともあり懐の深い差別が少ないスポーツだと思います。

アウトやセーフ、ストライクにボールとそれぞれにゼスチャーが決まっているのは、耳の聞こえない選手が大リーグにいたからだそうです。

耳の聞こえない選手が一緒にプレイできる環境がすでに整っている。素晴らしいなあ。

若い頃に見た片腕のアボット投手も格好がよかった。

投げた後に脇に挟んでいたグラブを器用にはめて、守備をしていたのをいまだに鮮明に覚えています。

差別をしてパラリンピックとか名付けて分けるのではなくて、一緒に遊ぶ。耳の聞こえない人も腕のない人も一緒にプレイする。

それでいいのだと思います。

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「自分が障がい者だとは思ったことはない。子どもの時、自分に野球を教えようとして庭に連れ出した父こそ勇気のある人間だ。」by ジム・アボット。photo by Google.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:02| ブログ?