2019年09月20日

仕方がない?

中学3年の娘の漢字テストを何気なくみていたら、殆んどわからなくてびっくりしました。

「次のカタカナを漢字にしなさい。」

ミケンにしわをよせる。傷がイエル。ヨウシャない追求。エイタンの気持ち。エリを正す。ホオを染める。カモクな人。心のカットウ。シヘイを数える。アイサツする。カッコの中の漢字。etc..etc...

unnamed.jpg
惨憺たる結果にショックを受けた。「最初はそんなもんだよ。」と慰められたりして。

最近この『ブログ?』を毎日記しているので、日記をほとんど書かなくなりました。ブログ?をはじめる前までは、手書きで書いてわからない漢字があったら辞書でひいて調べていた。

覚えるまで何回も書いたりもしていた。それがパソコンだと変換で簡単に出てきます。漢字を書けることが必要なくなっている。

これから世の中はどんどんパソコン世界になっていくから、漢字が書けるということがもっと必要なくなっていくのだろうなあ。

合っているかどうかわかればよくて、読めればいい。

小学校や中学校でもパソコンがどんどん導入されているようなので、学校の勉強も変化していくのでしょう。

でもそれでいいと思います。

漢字は書けなくても読めればいい。社会に出てから必要のない漢字を書けるように覚えるという労力を他の例えば英語の単語を覚えることに使える。

英語はこれからもっと必要になってくるでしょうから。

でもほんとうにそれでいいのか?日本の漢字という文化が廃れていってしまう。いざ書こうとすると誰も書けない状況になる。

娘も朝から晩まで勉強してせっかく漢字を書けるようになったのに、社会に出たらパソコンが簡単に変換してくれるのでどんどん忘れて書けなくなっていく。

もったいない。

しかし、昔からわからない漢字は辞書で調べて書いていたのだからそれでいいのではないのか。

文部省もこれからのそしていまの状況をよく見て、ただでさえ詰め込み教育で覚えることが多いのだから子どもをいじめるようなことはやめてもらいたいものです。

鎌倉幕府が何年に出来たとか、ほんとうに子どものために必要だと思っているのだろうか?

ほかにもっと大切なことがあると思うのだけれど・・・

いまの最先端の教育といえばフィンランドですが、教科というものがないそうです。

「今日はサッカーをします。」いうて授業がはじまってサッカーの歴史なんていうことからサッカーにまつわるあれこれを学びます。

なぜ蹴るとボールが遠くへ飛ぶのか?どの角度で蹴った方がよく飛ぶか?疑問に思うことをその度に立ち止まって、物理や科学的なこともつかいながら学んでいく。

その中には集団行動や人間関係なんていう社会に出てから学ばなければならないことも勿論含まれている。

日本の進んでいる学校はそのフィンランド方式を取り入れて授業をしているとか。演劇やダンスの授業もあってサッカーなどと同じように多角的に学んでいく。

学ぶことが必要なことがあれば、その度に立ち止まって対話する。

高圧的に強制して詰め込むだけの学校なんて、これからは要らないのだと思います。

しかし、ただ教育大学を卒業してエレベーター式に学校に就職してきたなんていう先生には無理なのかもなあ。

教えるということも才能とセンス、仕方がない。のか?

IMG_4459.jpg
漢字は時とともに省略をされていったりもする。進捗の“捗”は右下の点があってもなくてもいまはいいそう。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:43| ブログ?