2019年09月30日

稲刈りの話しが・・・

毎年恒例、山形へいって稲刈りのお手伝いをしてきました。

一日目は目標の半反は稲を刈ることができてよかった。刈った稲は昔ながらの天日干しにします。

一般に流通しているお米は機械で乾燥させますが、機械だと乾燥をし過ぎて水分が飛んでしまうので不味いのです。

お米の味は、つまるところ水分量で決まる。その点、天日干しは過乾燥にはならない。だから美味い。「隆夫さん、おにぎりご馳走さまでした。」

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今年の作品第一号。ちなみに身長より高い。

二日目は天気が微妙だった。“女ごころと秋の空”というぐらいで秋の天気は変わりやすいのです。

自然を相手にするなりわいは、ほんとうに大変です。

農業も漁業もこれからもっともっとたいへんになっていくのだろうなあ。まったく読めない自然のこころ。

大自然はまったくこちらのことを考えてくれません。考えてくれないどころか嫌がらせか。というような異常気象もしょっちゅう起こります。

それもこれも人類の自業自得だったりするのですが。

最近の台風の被害も酷い有様です。山崩れも台風のたびに起こっているし。

まったく手入れがされていない山林のせいだとか。林業が衰退しているのが原因で、人間が山に手を入れてしまったので山自体の力が弱っているのです。

人為的な被害はこれから反省して国が責任をもって主導して徹底的に直していけばいいですが、自然の猛威は人智の想像を遥かに越えていったりするので、その度に改良していくしかない。

哲学者の梅原猛さんは農耕がはじまって自然との闘いがはじまったと言っていますが、それまでの狩猟的な生活だと大自然と共存が可能だった。

自然からおこぼれのように恵みを頂いて充足し平和に生活をしていた。家畜の食べるものがなくなれば移動してという放牧生活も理想的なのだとか。

農耕がはじまり大地を傷つけるような行為が出てきて、川から水を引くことが必要になり自然の怒りに触れるようになっていった。

人類が自然に手を加えようとすると怒りに触れてしまう。氾濫が起こったり、作為のつけが回ってきたりするのです。

米や麦を貯えられるようになって人類に欲も出てきて、持つ者と持たざる者とに分かれ貧富の差が生まれた。

持つものが人々を支配しはじめて国のようなものがあらわれる・・・嫌だなあ。支配するものと支配されるものとに分かれはじめる。

戦争がはじまり、武器が開発されそれでまた儲ける人間が出てきて奴隷なんていう存在もあらわれる。

肉弾戦で個人的に戦っているうちはまだましだったけれど、第一次世界大戦で兵器が飛躍的に進歩して大量虐殺が可能になった。

この兵器の進化は、農業の進化と密接に関係しています。

戦車のキャタピラーはもともと農具のトラクターのために開発されたもの。火薬は合成窒素肥料が開発される過程で大量に製造されるようになり、毒ガスは戦後農薬に転用された。

第一次次世界大戦で甚大な被害を出した各国は反省を込めて国際連盟をつくって平和を維持しようとしたけれど結局は、大日本帝国の脱退などによって第二次世界大戦へと突き進む・・・

山形の話しからたいへんなことになってしまいましたが、「人類とは戦争をする動物である。」と梅原さんが定義づけているようにどうしようもないことなのか。

いま、この世界でいちばん元気なのは武器商人らしいです。

犠牲になるのはいつでも子どもたちですが、16歳のグレタ・トゥーンベリさんが怒っているようにすべては大人の責任。

かくいうわたくしもその大人の一人で、責任を感じるのでどうしてもこんな話しになってしまうのです。

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三人で26個つくりました。二日間で50個以上つくるのか。へとへとになって筋肉痛になりますが、からだをつかうのは気持ちがいい。
参照:『隣り合わせの戦争と農業』藤原辰史 遺稿『人類の闇と光(仮題)』梅原猛 中学歴史社会教科書
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:12| ブログ?