2019年10月02日

新しい演劇

昨日は『まつもと演劇工場』でワークショップでした。

松本までは電車で2時間半、近いです。

13時からだったので車内でおにぎりを頂きます。ワークショップは17時まで4時間あるので仮眠して力を蓄えます。

会場は“まつもと市民芸術館”近くの元保育園だった施設。だいぶんくたびれていましたが、いまは使っていない施設を使い回すのは良いことだと思います。

なかなか風情もあって舞台があったりドアがあったり引き幕があったりと、色々と遊べそうです。

最初はやることを解説、四回あるので目指すところも説明します。目指すのは踊りづくりです。

まずは自己紹介。それを手掛かりにして今日はソロをつくります。

もう一度やって、ひとりずつ丁寧に感想やアドバイスや見本を見せて間をつくって踊りにしたりして面白くしていきます。

説明を減らして抽象的にして踊りにしていきます。

説明を減らすとは言葉を減らすことです。どこまで説明するのかというのは重要なことで、説明が多すぎると観る人の想像力を奪ってしまう。

説明はなければないほど観る人のイメージを掻き立てるのです。想像をする余地が生まれる。しかし考えるのが嫌な人にとっては向いていない。

テレビは考えるのが嫌な人が観るメディアなので、なるべく簡単になっています。色んな状況にある人たちも見るので声で説明し手話で説明し字幕で説明して最大公約数を目指します。

しかし考えるのが好きな人にとっては、答えを言われているようでつまらない。想像力も広がらない。

前衛的なものになればなるほど説明が減ります。親切ではない。エンターテイメントであればあるほど親切です。これは観る人が選べばいい。

舞踏は言葉が少ないです。少ないぶんイメージ喚起力が強い。けれどもそれも按配やバランスで言葉が少ないのにイメージが湧かないダンスは巷に多いです。

内容がないのだな。そういうものは観ているとイライラして腹が立ってきます。

ただの沈黙ではなくてその中に言葉が詰まっていなくてはならない。舞踏の創始者、土方巽も言葉の人でした。溢れるようなイメージと言葉をダンサーにギュウギュウに詰め込んでいく。

沈黙演劇のパイオニア、太田省吾さんの追悼冊子を読んだところでは、最初はセリフがびっしりと入った台本を渡されてそれをまずは覚える。

稽古がはじまると、セリフがどんどんなくなって本番では沈黙がほとんどのものになっているそう。削ぎ落とされていく言葉たち。

昨日のワークショップでも言葉と言葉のあいだの沈黙が良かったです。ただ時間不足でまだまだ言葉を削ぎ落とすところまではいけなかった。

抽象化が足りないのでシュールなコントみたいになったりして。それはそれで興味深かったけれど。

皆んなそれぞれ面白かったです。才能がありそうな方たちだった。

しかし才能があって勘とセンスがあっても役者として売れたり活躍するのとは別、それには恵まれた運と素晴らしい縁が必要なのです。

次回は、同じことを二人でやってみます。

人と人との間、そこに関係が生まれて新しい演劇が生まれてきたらいいなあ。

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まつもと市民芸術館の冊子『BATON』に戌井君が寄稿してるなあ。と思ったら編集長が“SWITCH”の新井さんだった。素晴らしい。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:30| ブログ?