2019年11月25日

恨みと怒りと寛容

先日のGSOMIAがもめた原因は、戦時中の大日本帝国による徴用工問題にあるそうです。

戦争という敵も味方もなく老若男女すべての人を巻き込み、どうしようもなく犠牲を強いるもの。すべての不幸の原因“戦争”。

いつまでも消せない人間の恨み、怒り、許せない思いという厄介なものの原因“戦争”。

ローマからフランシスコ教皇がやってきて、長崎・広島を訪れて平和の祈りを捧げました。

「核兵器は持っても使ってもいけません。原子力は持っても使ってもいけません。」当たり前でシンプルな訴え。

世界平和をこころから祈る姿が印象的でした。

何故、子どもでもわかる“持っても使ってもいけないもの”がこの世界に存在するのか。理想と現実。嘘と誠。矛盾に満ちた大人のやる不思議なこと。

湯山のお父さんは、物理化学者でまさに原子力について研究していたとか。人類のもつ知的好奇心からはじまった核開発、それに続く原子力開発。

物理科学者の責任ということについて、いまも考え続けておられるようです。

核兵器の誕生は誰に責任があるのか?

E=mcの自乗というアインシュタインの閃きで生まれ、その一つの数式からはじまった核の力を解き放つ行為。

原因はこの数式なのだから、アインシュタインに責任があるのか。

二人の科学者の雑談からはじまった核の力を利用するアイデアだから、この二人に責任があるのか。

それを軍事利用することを思いついた軍人のせい、そのことを許した国家のせい。原爆をつくった人たちのせい、原爆を実際に落としたパイロットのせい、etc..etc...

原爆が日本に落ちる原因をつくってしまった、大日本帝国の軍人たちのせい。

大日本帝国の最高責任者だった昭和天皇の責任は?

そもそも人類というものが存在しなければ核なんて生まれなかったのだから、人類すべての責任なのだ・・・

責任の所在がいまも曖昧で、誰も責任をとろうとしない原爆の実戦投下。

人類史上はじめてとなる壮大なる実験だった広島・長崎への原爆実戦投下は、残念ながら大成功をおさめてしまった。

「これは使えるぞ。」

世界中の軍人が飛びついて、核開発競争をはじめる。いまも続く核開発。困ったなあ。

核の傘なんていう不気味で呪われたものに守らている、世界で唯一原爆投下された国・日本の絶対矛盾。

罪は人にあるのではなく、戦争にあるのです。

小さなことでも戦争につながる芽は、いかなる理由や言い訳、大義名分があろうとも摘んでいかねばならない。

子どもたちの未来を守るため、その子どもたちへ永遠につながる命を守るために。

軍隊を持つために、大量の兵器を買わされるために、平和憲法の象徴『第九条』を変えることは何がなんでも阻止しなければならないのです。

恨まれ、怒られて謝るべきなのは、戦争であって戦争を起こした人々です。

そうして、どこかで怒りの連鎖は断ち切らねばならない。

許すという大切な行為。

寛容さはいま最も世界中に欠けていて、最も必要なこころだと思います。

寛容さの権化のような教皇が、核廃絶へ向けての象徴的な存在になっていくといいなあ。

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ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、バチカンを訪れていた南スーダンのサルバ・キール大統領と、反政府勢力を率いるリヤク・マシャール氏と会見し、ひざまずいて和平の祈りを込めて両者の足にキスをした。スラムで育ち、若い頃はバーの用心棒をしていたとか。(c)AFP PHOTO / VATICAN MEDIA
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:40| ブログ?