一昨日の続きです。
お隣にあるでかい旅館をリフォームしていた、きたがわ君から「今日の夜に手伝ってくれた人たちとお疲れさま会をやります。」との情報を得たのでお造りを差し入れます。
「何時からですか?」と聞いたら「16時ぐらいからなんとなく集まって17時からやります。」ということ。
作業を終わらして勤行が終わったらWiFiの設定をします。そう念願だったWiFiが都志にやってきました。これでGoogl miniもアップデートされる。
いままでは話しかけても「ワイファイネットワークが見つかりません。Google home アプリでどうのこうの・・・」と答えるだけだった。
このGoogle miniですが"OK Google."と話しかけるのだけど、グーグルではなくて違う名前を付けられたらもっと楽しくなるのになあ。とずーっと思っています。
そうこうしてたらお造りが出来上がる18時に。魚屋『湯谷』に自転車で取りに行く。
不愛想なおばちゃんが「持っていったろか。」と親切なことを言うので何かと思ったら尾頭つきで姿盛りしてあって、これならまあ20人前には足らんけれどお祝いの品としては上等でしょう。
持って帰って、そろそろいいかとお造りとビールを持参してお隣へ。
大広間へ行ったら面白そうな人たちが大勢いて嬉しくなる。皆さん、職人さんだとか。男性が10人ぐらいにその奥さまたちが数人、子どもも沢山いて賑やかです。
「少なくてすみません。」とお造りをテーブルに置いて、持参したビールをちょっとだけ飲んで話します。きたがわ君がこの10年間でつくりだした人脈か。
こちら何にも手伝っていないので、そうそうに退散。家に帰って一人飲みました。
昨日は起きたら4時でびっくり。寒くて寒くて手袋をはめ帽子をかぶって勤行の用意をします。真言を唱える息が白かった。
ブログのようなものを記し終わったら、資料の新聞をバラバラにします。必要な記事は残して広告や宣伝は切り捨てます。合間に記事を読んだり。
中曽根元首相という人は質素な生活をしていたらしいです。その割にはカネの事件には必ず顔を出す。矛盾してる。
海軍に所属していた高松で広島原爆のキノコ雲を目撃「次の時代は原子力の時代になると直感した。」
原発を日本に持ち込ませたのは中曽根さんたちなのだな。いまも一向に復興しないフクシマへとつながる負の歴史のはじまり。
新聞を整理したら外へ。庭の作業に終始します。夜は今後の仕事のことを考えます。
12月は子どもたちと遊んで、東洋大学でワークショップ。哲学科だから対話しつつからだにフォーカスを当てて、そうして最後は何もかも手放す。
年が明けたら1月は“行く”2月は“逃げる”なんていうくらいだから、あっという間に3月か。
1月子どもたちと遊ぶのはいいとして、2月の公演のことを考えておかないと。
2月11日、建国記念の日に日比谷図書館のホールで踊ります。『舞踏?』ソロです。レクチャーの要素も入れたいけれど、舞踏の知識が豊富な方もいらっしゃるだろうから何を話すのか・・・
くそう、真面目になるな。
『舞踏?レクチャーパフォーマンス』試演会より。撮影:igaki photo studio 写真提供:城崎国際アートセンター(豊岡市)
参照:2019年11月30日 毎日新聞