2020年01月25日

議題

シンポジウムで何を話し合うのか?

舞踏について・・・舞踏の問題点とかどうか。そんなもの誰も聞きたくないか。

舞踏の最前線で闘う者の問題。評論や昔話や思い出話しではない、いまの舞踏家のリアルで切実な問題。

食べられない、仕事がない。何故か?・・・需要がない。何故か?・・・マイナーだから。では何故マイナーか?・・・メジャーになれない理由とは何か?

最初は俳句も落語もそれで食べさせてもらうなんて狂気の沙汰。どうやって社会的に存在意義を得たのか?

芭蕉のように教えをやめるとか。ワークショップをやめる。いっぽうで夏井さんのように教えをやりながら、俳句のタネをまくなんていう考え方もある。

小説家の誰だったか忘れたが講演会はやらないというひとがいた。安易な楽な方へと流れないように気をつけていると言っていた。

小説を書いて10万稼ぐのと講演会で10万稼ぐのでは労力や時間のかけかたがまったく違うのだな。

確かにワークショップで10万稼ぐのはすぐに出来てしまうが、公演で10万稼ぐのは至難のわざ。

何ヶ月も準備して時間をかけ労力をかけお金をかけて、数日間は朝から晩まで劇場につめて死に物狂いで作品を創るのは当たり前。

その上で手打ち公演だったらあらゆる手段を駆使してスタッフにギャラを渡して出演者にもギャラを渡して、それでもしも手元に10万円残ったら大・大成功。

麿さんはワークショップで食べていた室伏さんのことを、馬鹿にするほどではないが揶揄していた。ワークショップや教え、俳句でいうと添削で食べることを軽蔑する心というのはよくわかる。

いま日本で舞踏の活動だけで食べている人はいるのか?

天児さんは、フランスで食べているのでだいぶん違う。海外で活動して舞踏で食べている人はたくさんいるのです。

笠井叡さんは舞踏だけで食べているうちの一人なのか。

田中泯さんは舞踏出身だけど自分のことは舞踏家とは呼ばないとか。

“田中泯は「舞踏家」ではありません。人類発生から現代に至るまでの全ての『ダンス』に敬意の念を抱く当人の想いから『ダンサー』もしくは『舞踊家』と表示くださるようお願い申し上げます。” Min Tanaka Official Web Site より。

売れている人がこういう態度を取りたくなる現状が、まさに舞踏というものを象徴しているように思う。ことを難しくしたのは創始者の土方巽その人だな。

韜晦の人で意味から逃れ続け、人の目をくらませることに終始した。

そうして無自覚に舞踏という言葉をつかってしまう人々を馬鹿にするような風潮が生まれてしまった。

これでは舞踏というものがメジャーになるなんて、当分はむずかしいかもしれない・・・

なんてマイナーな世界でいくらがたがたやっていたって仕方ないな。

まったく関係なく自分は自分と活動をしていこう。

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舞踏家、向雲太郎(ぶとうか、むかいくもたろう)Photo by bozzo.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:31| ブログ?