2020年02月04日

福は内

昨日は節分でした。

古巣、大駱駝艦では毎年稽古場で豆まきをしていた。

鬼役になるのは楽しくて、だいたい村松がその役を取ってしまうので自分は密かに残念に思っていた。

舞踏家としてヤラレ役は絶好のポジション。

「犬の静脈に嫉妬する」という土方巽の言葉があります。

これは、大道で子どもたちにいじめられる野良犬に向けて書かれた言葉。

得をしているのはストレス発散にいじめている子どもたちではなく、無残にやられている犬のほうなのだという土方さん特有の視点。その犬の静脈に嫉妬する・・・変態だな。

さて鬼とは何か?

その本質は「人間という概念のちょうど反対にあるもの」だと民俗学者の小松和彦さんは言う。人間の反対か・・・人ならざるもの鬼。

能で鬼といえば人の内側の怨念をあらわしたもの。源氏物語で恋敵、夕顔を嫉妬で呪い殺す葵の上が代表的だが般若は凄まじい表情をしている。

鬼やらいは平安時代から続く行事です。

平安の世には鬼が至るところにいたと話はたくさん残るので、当時の人にとっては切実なものだったのかもしれない。

闇に人ならざるもの“鬼”が住まう都、平安京。

古来から日本人は外国人を鬼扱いした。

昔話の桃太郎の鬼退治を、無人島に流れ着いた外国人を殺すためのお話と考えると残酷だな。鬼にも妻や子どもがいたかもしれない。

自作の『ふたつの太陽』で8時15分で止まった時計の裏側に赤鬼の面がついているアイデアを思いついたが、あれは我ながら秀逸だった。

8時15分で時計を止めたアメリカ人と対峙する・・・誰にもわからなかっただろうけれど。次の再演ではもう少しわかりやすくしよう。

鬼はアジア的な存在です。中国では鬼は死んだ人の魂で形がないとか。いまの日本の鬼のイメージは仏教から来ているのだな。

西洋では悪魔になるのか。鬼と悪魔ではだいぶん違うのは、宗教的な違いからくるものなのです。

鬼は現代にも沢山います。

鬼教官や鬼弁護士、仕事の鬼なんてのもいるのか。鬼嫁ってのは嫌だなあ。嫌だけど、旦那が妻のことを「鬼」と呼んでいると想像するとちょっと微笑ましい。

いまや形容詞として定着した鬼。鬼ヤバイとか鬼カワイイなんてのは若者のあいだで飛び交っている。

完成した『舞踏という何か』の校正を拝見しましたが「鬼凄い」出来上がりでした。

今年は舞踏がアツくなるかもしれないぞ・・・

鬼楽しみ。

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いま娘が「鬼のように」勉強しています。写真は京都の能面師、寺井一佑による能面『平方般若』Photo by Nohmask.jp

参照:朝日新聞『天声人語』2020年2月3日
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:59| ブログ?