2020年02月10日

平和のシンボル

戦争遺跡が全国各地で老朽化を迎えて存亡の危機に瀕しています。

広島市に4棟残る被曝建物『旧陸軍被服支廠』について、広島県が2棟を解体する方針を示したとか。

震度6以上で倒壊する恐れがあるというのが理由だというが、地震で倒壊したらそれはそれで仕方ないのだから壊さなくてもいいのではないか。

いまだって近くに人は寄れないのだろうし、安全なところからだけ観れるようにすればいいではないですか。

県が実施したパブリックコメントでは、6割の人が県の方針に反対しているとか。それなのに何故、戦争の悲劇を伝える建物をわざわざ破壊しようとするのか?

立地が良いから県は商業施設か何かつくりたいのではないのか?

長崎の爆心地にあった浦上天主堂は、アメリカの策略によって反対を無視して取り壊されてしまった。

当初、天主堂遺構の保存に前向きであった当時の長崎市長の田川務がアメリカへと渡って帰って来たら、保存に否定的な態度へと一変していた。

アメリカでいったい何があったのか?

キリスト教国、アメリカは自分たちが落とした原爆でキリスト教会が全壊したという証拠を是が非でも残したくなかったというのが通説です。

「人類の責務において我等はこの被害のあとを詳細に記録せねばならぬのだ」by 國友 鼎(元長崎医科大名誉教授、元長崎市議会議員)

広島の原爆ドームは、原爆の威力の恐ろしさをまざまざと観る人に静かにしかし迫力をもって物語ってくる。

21年間という長く激しい存廃議論の末、1966年に保存が決まった。もしも取り壊されていたら広島で一番のあの平和のシンボルは、二度と観ることが出来なかったのです。

ポーランドのアウシュビッツ絶滅収容所はそのまま完全な姿で残されている。

広島でいえばいまは平和公園になっているあの空間がまるごと当時の姿で残されているようなもので、圧倒的な迫力でいまを生きる我々を迎え入れます。

そして、紛れもない歴史の真実を重く伝えてきます。

いま広島は清潔で美しい原爆資料館の中に、記憶を閉じ込めてしまっている。

凄惨な写真や悲惨な遺品の数々が語りかけてくるけれども、資料館から一歩外へと出ると平和な公園の雰囲気によって一瞬でいま見た“ものこと、事実”が消え去ってしまうのは現実。

それでも強烈な蝋人形の記憶は人々のこころに残っていたりしたけれど、その蝋人形はグロテスクすぎるとの理由で現在は撤去されてしまった。

実際はあんなどころの騒ぎではなかったはずなのに・・・

真実の戦争の惨禍を伝えようとしているのに、見る人の気持ちを忖度していったい真実など伝えられるものなのか?

壊すのはいつでも出来る。

そうして一度、壊してしまったら二度と元には戻らない。記憶も一緒に永遠の彼方へと消え去ってしまうかもしれない。

戦後75年を迎えて戦争を知る人たちが次々と亡くなられています。

子どもたちへ平和な未来を残すためにも、戦争のかたちある記憶としてなんとかして保存して行きたいものです。

原爆によって曽祖父を亡くした者として、こころから願います。

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原爆の凄まじい威力を伝えるいまはなき浦上天主堂・・・なぜ取り壊してしまったのだろう・・・残念。Photo by Wikipedia.

参照:毎日新聞『社説』2020年2月3日
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:51| ブログ?