2020年02月15日

イベントおわりの続き

キラキラした踊りを創りたい。

けれども東京芸術劇場の立石和浩さんがいっていたように、ダンス公演というもの自体が減ってきていてあっても観客が入らないというのも現状。

自主公演を打ってもお客さんが入らないから、赤字になって次々と借金を背負うことになってしまうという負の連鎖。

立石さんの話しを聞いていたら、そんな自分のことを省みて絶望的な気分になって考え込んでしまった。

圧倒的な牽引力のあるカリスマがいなくて、力が分散してしまっている。

土方巽、澁澤龍彦、三島由紀夫、etc...etc...

自分も含めて、個性の粒が小さいのだろうな。世代的なこともあるのか。

立石さん、お話しが上手で立て板に水ってな感じだった。もともとはセゾングループにいたとか。

新入社員でパルコに配属されて働いているある日、堤清二さんに呼ばれて車に一緒に乗って何処へいくのかと思っていたらプランBというアングラ小劇場だった。

そこで土方巽振付の白桃房の公演を観たらしい。文化的レベルが高い頃の逸話だな。

現代日本では唯一の本物のパトロネージュ、セゾン文化財団。

古くは足利家、遠く海外ではメディチ家など数々の芸術家のパトロンはあるけれど、真のパトロネージュというのは中々に難しいのです。

曰く「金は出すけど口は出さない」というやつです。いまは「口は出すし金は引っ込める」というのが横行していますが、困ったものです。

文化の水準が総じて低いのです。

立石さんの話しで一番記憶に残った言葉は「パルコ劇場には自動ドアがなかった」です。

自分でドアを開いて、その世界へと入るということの重要性を知っている人たちが創った劇場。

自分の手で自分の意思でドアを開いて、その世界へと入らせるという遊びごころを持つ人たちが創った空間。

いいなあ。

まあしかし、勝手にドアが開いて気付いたらその世界へと入っていたというのも今風ではあるな。

質疑応答のあいだもパフォーマンスの続きと、白塗りのからだを晒し続ける。いつでも踊れるように気を抜かずに3時間、存在し続けた。

一人の青年が「なんだかローカルなことを大切にされているみたいですね。」と嫌味っぽく言い出したので身構えます。

確かに内輪感は半端ない感じで話しは進んでいたかもしれない。

自分も昔話や思い出話ではない話しをとか思っていたけれど、許して微笑んでいるようなところがあったと気を引き締めます。

「日本的な身体とかよく言いますが、正直よくわからないので教えてください。」と聞かれて考えます。

と溝端代表に「むかいさん」と名指しされて了解です。真摯に答えてあげます。

ここで実際にからだをつかえば良かったとあとで反省。しゃがむということからしゃがんで歩くという西洋人には難しい行為を実演すればよかったな。

けれどもあとの祭り。

心配された質疑応答での混乱もなくて無事にイベントは終了。

「ほっ」と一息。ホテルへ戻って白塗りを落として部屋で一人、乾杯。

「お疲れさまでした」

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秦さんと立石さんの話しを聞くむかい君。Photo by bozzo.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:36| ブログ?