2020年02月16日

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

イベント中に野村監督が亡くなられました。

84歳か・・・京都生まれだったんだな。

根っからの愛妻家でどう見ても悪妻の沙知代さんをこころの底から愛していたようです。

沙知代さんを亡くしてからメッキリ老けたとか。

奥さまが帰ってきてぽいぽい脱ぐ服を、あとから付いていって片付けてたらしい。偉いなあ。いや、愛ゆえに出来ることなのか。

「自分には野球しかない」そう断言していた。なかなか断言できるものではない。

もの凄い形相で怒ったとかいう逸話を知ると、執念のようなものを感じて師匠の麿赤兒を彷彿とする。

パリーグの南海ホークスで活躍し続けた。

600本塁打という大記録を達成した日は観客が7000人。いっぽうの巨人戦は5万人近く入っていた。

「悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」

己を知る悟性だな。自分を冷静に見つめるというのはなかなか出来ることではないです。

観客が多い少ないというのは、やる気にも直結する。

土方さんも大野さんも、客が多くないと燃えなかったみたい。客が少ない方が燃えるなんていう、奥村勲みたいな役者さんもいますが。

家が貧乏だったので、バットを買えず一升瓶に水を入れて素振りしていた。

無名の高校生の時はデータを調べて正捕手の年齢の高い南海ホークスを狙ってテストを受けて、入団に成功。この頃からデータを分析するような性格だったのだな。

初打席は三球三振。

何度もクビになりそうになりながら、頭を使う野球でメキメキと頭角をあらわす。努力と工夫と研究も凄まじい。けれど当たり前か、プロだものな。

そこからの記録は数え上げたらキリがない。ワンシーズン、52本塁打は落合も並んでいるけれどいまだに破られていない。

キリがないのだけど選手時代の記憶を持つ人が圧倒的に少ないのだとか。それはやはりマイナーなパリーグで選手を続けたから。

自分も覚えているのはもう監督を兼務してて、選手としてはイマイチな印象の野村さんです。

勝つためにあらゆる手を尽くす。知略を巡らし作戦を練る。選手時代からそれは変わらないようです。

引退するきっかけは自分が試合に出たいために、味方の選手に「打つな」と思った時だとインタビューで語っていた。

監督になってからは名言が多数ある。

苦労をしているから人間洞察が途轍もない。ID野球と言うぐらいで頭のキレも抜群。常に論理的に考えているから説得力がズバ抜けている。

言葉にいちいち深いものを感じる。

「人や集団をうごかすものは言葉しかない。ほかに何があるんですか」が口癖か・・・これはどうなんだろう・・・自分が率先してうごくというのもある。あとは情熱なんてのもあるかもしれない。

人生という二文字から四つの人の生きる道を説いています。

「人として生まれる 人として生きる 人を生かす 人を生む」

自分も人を生かすところまでは行っているけれど、人を生み出すのはまだまだだな。

もっともっと素晴らしい舞踏家を生み出さないと、自分自身にも未来はない。

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1961年、日本シリーズ前の練習で長嶋茂雄と談笑する野村克也。合掌。Illustration by Kumotaro Mukai.

参照:2020年2月12日 毎日新聞 Wikipedia.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:37| ブログ?