2020年03月13日

自由とは、生きるとは

ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』を読了。

強制収容所に送られると最初に持っている僅かなものをすべて奪われ、最後に名前さえ奪われ番号で呼ばれる。

そこから生きるための壮絶なサバイバルがはじまる。

“カポー”と呼ばれる収容者の中のもっとも残酷なものが任命されて、徹底的に理不尽な嫌がらせやいじめをおこなう。

理由も原因も何もなく気分で殴る蹴る。止めるものなど一人もいない、抑圧するものと抑圧されるものしかいない。カポーは親衛隊員よりも圧倒的な暴力を振るう。

そんな収容所暮らしが長く続くと生存競争の中で良心を失って、暴力も仲間からものを盗むことも平気になってしまう。

けれどもそういう人間だけが生き延びることができたという。

「とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。良い人は帰ってこなかった、と。」

極寒の夜に一枚の毛布に何人もが身を寄せ合って眠るので常に寝不足、わずかなパンと水のようなスープで常に空腹で一日中、飢えている。

雪の中、一晩中立たされるなんていつものこと。からだは濡れてガタガタ震えても放置される。

一年に一回シャワーを浴びられるか浴びれないか。何年も服は替えられず、まるでボロ雑巾のようなものを身につける。

生き延びるために少しでもましな服を死体から剥ぎ取る。

あるとき著者のビクトールは皆んなにむけて語る・・・

いま、希望を捨ててあきらめてしまう必要はない。 なぜなら、未来のことは誰にもわからないから。 

大きなチャンスは前触れもなくやってくることを、わたしたちはよく知っている。飛び上がって喜ぶようなことは、いつも突然おこるのだ。 

わたしたちは未来について、未来は未定だということについてよく知っている。いまは苦しくて厳しい状況だが、楽しかった過去について思い出してみよう。 

未来の不安といまこの困難なときを、いまなお照らしてくれる過去からのひかり。 

“あなたが経験したことは、この世のどんなちからも奪えない” 

そして人が生きることには、つねにどんな時にでも意味があるのだ。

この生きるということ、存在することの無限の意味はたぶん、苦しむこと、死ぬこと、苦と死をもふくむのだ。

わたしたちの闘いが楽観を許さないことは、闘いの意味や尊さをいささかもおとしめるものではない。

そのことをしっかりと意識して、勇気を持ち続けて生きていこう・・・

ある朝に突然の解放、よろめきながらおどおどと門から外へと出る。

自由になりいのちからがら収容所から生還する人々だが、夢にまでみた世界に失望する。愛する人や家族はすでにいないのだ。

これ以上はもうないと思うぐらいのどん底を味わったのに、まだその底があるのだと。

読み終わってふと思う。

この世界もいってみれば、もっと大きくてゆるやかな収容所なのかもしれない・・・いやそんなことない。自由というのはやっぱり素晴らしいと思う。

自由を奪われるというのは、人間にとっていちばん辛いことなのだ。

auschwitz.jpg
600万人といわれるホロコーストの犠牲者。憎悪政策か・・・嫌だなあ。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:46| ブログ?