2020年03月10日

失われたいのち

今日、3月10日は東京大空襲があった日です。

3.11は皆んな覚えているが、では3.10は・・・

もう皆んな忘れてしまっている人が多くて、メディアでも取り上げられることはほとんどない。今日の新聞にも小さな記事がひとつずつのっているだけだった。

そうやって1.17を忘れ、3.11を忘れていくのかもしれない。けれど忘れるというのは人間にとって必要で自然なことだと思います。

辛いことをいつまでも覚えているのはたいへん。いつまでも悲しみを抱えているのもしんどい。“日にち薬”というように時が悲しみを癒してくれるのは本当でしょう。

けれども戦争の記憶だけは風化させてはいけないのだと思います。天災ではなく人災である戦争というもの・・・

1945年3月10日0時7分、米軍は279機のB-29で江東区、墨田区、台東区、中央区への無差別爆撃を開始した。

東京への空襲は1944年11月からはじまっていたが、3月10日の爆撃は最大規模だった。

38万1300発の焼夷弾が落とされた。ナパーム弾というほうが馴染みがある人も多いでしょう。ベトナム戦争で米軍がつかったガソリンを主体にした爆弾。

ゼリー状のガソリンが一度、木材などに飛び散ってついてしまうと何をしても火が消えなくなるとか。

目標が煙で見えなくなるのを避けるため、風下の東側の街から順に攻撃する指示が出されていた。

0時20分には港区への爆撃も開始、その他、下谷、足立、神田、麹町、日本橋、本郷、荒川、向島、牛込、小石川、京橋、麻布、赤坂、葛飾、世田谷、豊島、渋谷、板橋、江戸川、深川、大森が次々と爆撃された。

木と紙と草でできた日本家屋はナパーム弾によって次々と燃え上がり、東京はたちまち火の海になっていく。

爆撃と並行して機銃掃射もおこなわれ、非戦闘員、民間人の多くが殺された。

大空襲によって発生した大火災によってB-29の搭乗員は真夜中にもかかわらず、機内で腕時計の針が読めたという。人が燃える匂いはB-29の機内にも充満した。

「炎が燃え移って、人は火だるまになった」「燃えている赤ちゃんをおんぶしたまま走っているお母さんもいた」当時8歳で生き残った二瓶治代(にへいはるよ)さんは証言する。

空っ風により燃えに燃え、火は10日の夜まで続いた。

罹災者100万人、焼死、窒息死、水死など死者約10万5000人といわれるが混乱を極めた戦時中のため、いまも正確な死者の数はわかっていない。

永遠に失われた10万のいのちと、そのいのちにつながるはずだった未来の生命・・・

それでも大日本帝国は降参しなかった。

「通常の爆撃だけでこれほどの被害を与えられたのだから、原子爆弾を落とすことは必要ないのではないか。」

アメリカではそんな意見が科学者や良識ある軍人から出されたが、莫大な経費をかけて進行する計画を止めることはもう誰にもできなかった。

そうして8月6日、8日の無警告での無差別原爆実戦投下へと時計の針は刻一刻と進んでいくのであった。

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ヒロシマ、ナガサキは公的な追悼式典があるが、東京大空襲は大規模なものはないようです。合掌。Photo Illustration/ Getty, U.S. Air Force, Japan Air Raids.org

参照:東京大空襲・戦災資料センター Wikipedia   2020年3月10日 東京新聞 毎日新聞  2020年3月10日11日 朝日新聞 Cable News Network.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:55| ブログ?