2019年08月08日

原爆被害の概要1

1941年12月8日、日本は、アメリカやイギリスとのあいだに戦端を開き、太平洋戦争に突入しました。

戦争は、アジア太平洋地域を主な戦場として戦われましたが、やがて日本の敗色が濃くなり、アメリカ軍機による日本各地に対する爆撃がはじまり、沖縄も戦場となった。

このような戦況の下、1945年8月6日、人類史上初めての原子爆弾という、かつてない強力な破壊兵器が広島に投下されました。

街は一瞬にして廃墟と化し、多くの人々の生命が奪われた。かろうじて生き残った人もこころとからだに大きな痛手を受け、多くの被爆者がいまなお苦しんでいるのです。

[被曝前の広島]
広島は江戸時代に城下町として栄え、明治以降は高等師範学校が開校するなど学都として、また陸軍の施設が集中する軍都としても発展していました。

被曝当時、広島には約35万人前後の人々がいたと推定されている。

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戦前の広島。photo by 東京大学 渡邉英徳研究室

[原子爆弾の開発から広島への投下まで]
1942年8月、アメリカは原子爆弾製造の“マンハッタン計画”に着手した。太平洋戦争末期、アメリカは戦争終結のため原爆の使用を決定。

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原爆開発をルーズベルトに提案したアインシュタイン。photo by Google.

これによりソ連の影響力がアジアに広がるのを防ぎ、また膨大な経費を使った原爆開発を国内に正当化できると考えたためであった。

1945年7月16日、初めての原爆爆発実験に成功。

7月25日、広島、小倉、新潟、長崎いずれかへの第一発目の投下命令が下されました。

8月2日、攻撃日を6日、第1目標を広島とする命令が出された。

8月6日午前8時15分、原爆搭載機B29エノラ・ゲイから原爆が投下され、広島市の中心部の上空600メートルで炸裂した。


[原子爆弾の被害の概要]
原子爆弾の爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧となり、強烈な爆風が発生。

これらが作用し大きな被害をもたらした。

原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺戮が瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害が長期間に人々を苦しめることにある。

原爆によって死亡した人の数は、現在も正確につかめていない。

これまで推定の数がいくつか公表されているが、広島市では、急性障害が一応治まった1945年12月末までに、約14万人が死亡したと推定している。

原爆が市街地のほぼ中心で爆発したことと、市内の全建物の85%が爆心地から3キロメートルの範囲内にあったことから、被害は市の全域に及び、建物の90%以上が破壊または消失した。
〜図録『ヒロシマを世界に』広島平和記念資料館編より

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左:原爆投下前の広島。右:原爆投下直後のヒロシマ。撮影:米軍 photo by Wikipedia.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:15| ブログ?