2020年06月30日

戦争とわたし

沖縄戦でのいちばんの激戦地、前田高地を舞台にした映画『HACKSAW RIDGE』を観ました。

主人公のデズモンド・T・ドスは実在の人物。

かれはキリスト教の敬虔な信徒であり、銃をもつことを拒否する“良心的兵役拒否者”として志願する。良心的兵役拒否者とは、信仰や信条によって武器をもって戦うことを拒否する者。

そんな息子に従軍経験のある父親は「戦争はひとを殺すことだぞ」と教える。

入隊してからも銃をもつことを拒否しつづけて上官から嫌がらせをうけ、仲間からいじめをうける。そりゃあそうです、矛盾してる。隊長からは除隊をしろと言われるけれどドスはそうしない。

上官の命令に背いた罪で軍事裁判にかけられて、婚約者がかけつけてきて説得するけれどかれは答える。「信念を捨ててひとを殺せというのか?」

「戦争でひとを殺すことは罪ではないのか?」という議論は、戦争がこの世界にあるかぎるつづくでしょう。

けれども合法とかルールがあるとかいくら言っても、良いことであると胸をはって子どもたちに言えるひとはなかなかいないのではないか。

天皇のため神のため国を守るためと大義名分が必要になってくる。しかしそれは人間にひとを殺させるための詭弁ではないのか?

「ならば、相手が武器をもって襲いかかってきたらどうする?無抵抗でやられるのか?」主人公は仲間から殴られて、そう問いかけられてもやはり暴力をつかわない。

その姿はたしかに美しいけれどそれでいいのか?最愛のひとが暴行を受けていても闘わないというのか?

「あした僕は名も知らぬ街で 名も知らぬひとを銃で撃つのさ あした僕は君を守るためと 自分に言い聞かせて ひとを撃っちまうのさ」

観ながらサンボマスターの名曲『戦争と僕』を思い出した。

「わたしは衛生兵として仲間を助けたいのです。ひとりぐらい戦場に殺すものではなく、助けるものがいてもいいのではないですか。」ドスはそう訴え、最後はみとめられて戦場へといく。

その言葉どおりにかれは敵も味方もわからないような前線にて75人の負傷兵の命を救い、良心的兵役拒否者としてはじめてアメリカ名誉勲章を授与された。

75人か・・・殺すことの簡単さにくらべて、助けることのなんとむずかしいことか。

ライフルによって脳みそが吹っ飛び、機関銃によって上半身がハチの巣になり、手榴弾によって下半身がなくなり、火炎放射器によって燃え上がり、砲弾によって粉々に飛び散って死んでいく兵士たち。

残酷だといわれる描写もあったけれど、現実はあんなものではなかったのでしょう。

「おそろしさも、苦しさも、悲しさも感じうる人間感情の極限であった」

前田高地の激戦で生き残った沖縄の学者、外間守善(ほかましゅぜん)さんの回想より。

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『デズモンド・トーマス・ドス 』戦後は後遺症との闘いの連続であったが87歳まで生きた。

引用:2020年6月23日 毎日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:16| ブログ?