2020年07月17日

日本への無差別無警告での原爆実戦投下決定

1945年7月16日、22億ドルをかけてアメリカ軍の威信をかけておこなわれた、原子爆弾の開発は成功した。

7月21日、実験大成功のニュースの全容をまとめたグローヴスの最終報告書が、ポツダムにいるトルーマン大統領に届けられた。

トルーマンは、同盟国イギリスのチャーチル首相にそのことを伝えた。

それは戦後の世界の覇権交渉のカードとして、非常に大きな意味を持つものだった。

思案の末、7月24日の本会議のあとに「桁違いの破壊力を持つ新型兵器を手にした」ことをスターリンに何気なく伝えた。

「それは素晴らしい。日本に対して有効に使うことを希望する。」

スターリンの反応は素っ気なかった。

スターリンは諜報員から、アメリカの原子力爆弾の開発について報告を受けていた。そしてソビエト連邦は、2年前から核兵器の開発を独自に進めていたのだった。

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談笑するスターリン、トルーマン、チャーチル。日本の運命は三人が握っていた。photo by Google.

いっぽう良識ある科学者、レオ・シラードは早々と原爆開発から離脱し独自に原爆の実戦使用に対する反対活動をしていたが、ことごとくグローヴスに揉み消されていた。

7月はじめにシカゴの科学者67人が署名した嘆願書が作成された。

日本にあらかじめ警告を発してそれでも降伏を拒否した場合以外は、原爆を使用しないようにトルーマンへと強く要請する内容だった。

しかしグローヴスの巧みな策略によって、嘆願書がトルーマンの目に止まることはなかった。

1.原爆は日本に対して使用する。
2.攻撃目標は民間の居住区域に囲まれた軍事施設とする。
3.原爆は予告なしに使用する。

以上、3点が暫定委員会にて決定した。

いまだに議論の余地がある、無差別無警告での原爆実戦投下の瞬間が刻一刻と迫っていた。

大日本帝国の穏健派の軍人が密かに和平工作をしていたが、うまく進んでいなかった。やはり国体の保護という条件が問題だった。

穏健派が和平の仲介役として泣きついたソ連は、戦後の利権争いを見込んで太平洋戦争への参入をすでに決めていたので要請を無視していた。

ニューメキシコ・ロスアラモスのアラモゴート砂漠での爆発実験成功のあと科学者たちは、新型爆弾の総仕上げをするため太平洋のテニアン基地へと続々と出発した。

レオ・シラードとアインシュタインがヒットラーの核開発の脅威から連合国を守るために、ルーズベルト大統領に提案してはじまった米国の核兵器開発。

ナチスドイツが降伏をしたいま。

紆余曲折を経て極東の島国、日本に原爆を実戦投下することが動かさざることとなったのだった。

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爆発実験後、調査をする関係者たち。中央帽子の人物がオッペンハイマー、右隣がグローヴス。United States Army Signal Corps.

参照・引用:Wikipedia. Google.『ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー』ピーター・グッドチャイルド著 池澤夏樹訳 白水社. 
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:57| ブログ?