2020年08月09日

繰り返された地獄

1945年8月9日11時02分、2発目の原子爆弾が長崎に実戦投下されました。

アメリカでは、広島への原爆投下は「戦争を終わらせるために必要だった」という意見がいまだに大多数を占める。

けれど、長崎に関しては疑問を感じるひとがアメリカ人の中にも多いようです。

長崎へ投下された“ファットマン”は、広島へ投下された“リトルボーイ”よりも威力は強大であった。

にもかかわらず被害が広島よりも少なかったのは、当時の長崎上空が曇っていて本来の投下目標だった市街地から外れたからでした。

最初の目標都市は小倉だった。

ところが小倉が曇っていたため原爆投下を断念、急遽長崎へと投下場所を変更した。

原爆搭載機ボックス・カーが長崎上空へ到達したとき長崎の市街も、小倉と同じく雲におおわれていた。

すでに燃料は基地へ戻れるぎりぎりだった。機長チャールス・スウィーニー少佐、25歳はレーダーによる爆弾投下もやむなし、と決断していた。

爆弾投下まであと25秒。

そのとき、爆撃手ビーハンの目に雲の切れ間から市街の一部がわずかに見えた。

爆弾の投下は目視爆撃でおこなえということが重要命令だった。そこで、ここが急遽投弾目標となった。高度9,600メートルの上空から原子爆弾を長崎に投下。

まるで宿命に導かれるように、浦上天主堂のうえで炸裂。

プルトニウム239の核分裂反応によって初期瞬間温度は摂氏500万度となり、火の玉は直径280mになった。

原爆投下に随行したジャーナリスト、ウィリアムローレンス記者は当時を回想して語る。

「巨大な火の玉がまるで地球の奥深くから湧き上がってくるような光景を目撃した。

つぎに巨大な紫の炎の柱が地球から飛び出した流星のように上空へと駆けのぼるさまを、私たちは畏怖の念に打たれて見つめていた。それはまるで生きもののようだった。」

非人道的な戦略核兵器、原子爆弾の二度目の投下により死者 73,884人 重軽傷者 74,909人 合計148,793人が被爆した。

「悲劇の谷、浦上は世紀の大暴風が去った三日月の下にひらく死の砂漠であった。死者のすべてが虚空をつかんだ幽霊のすがたで焼けている。火の海の塗炭の苦しみをなめたあらわれであろう。

もはやこの惨状に対してあらゆる語彙が、今日かぎり私にとっては無力となった。」

陸軍報道部の撮影に同行し原爆投下後に長崎へと入った東潤は記している。

ヒロシマが最初の原爆実戦投下をされた都市ならば、ナガサキは最後の原爆実戦投下をされた都市です。

人類にとってこのことは非常に重要なことなのです。

広島につづき長崎へと原子爆弾を落とされても、まだ大日本帝国は敗北を認めようとしなかった。

テニアン島では3発目の原子爆弾の投下準備が進んでいた。

3発目の投下目標は東京の皇居だった。

nagasaki4.jpg
『ナガサキのキリスト』

参照・引用:長崎原爆資料館ウェブサイト | 2020年8月6日『証言と映像でつづる原爆投下・全記録』NHKスペシャル
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:29| ブログ?