2020年08月02日

なぜ8月だったのか

8月に入りました。

新聞では、そろそろ“8月ジャーナリズム”がはじまっています。

8月は、広島への原爆投下と長崎への原爆投下、そして終戦が重なっていて戦争の話題が集中するのでそう言われるのです。

いまから75年前、1945年8月のアメリカ。

日本への人類史上初の原爆実戦投下で、21万人以上が亡くなるとアメリカ国内では推計されていた。

多忙を極めていたアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンは、そのことについて議論をしたり日本国民に思いを巡らせたりするどころではなかった。

そして「原爆の威力が隅々まで行き渡る、市民が暮らす都市部に原爆を落としたい。」という科学者たちの、知的好奇心をトルーマンは止めきれていなかった。

22億ドルがかかった兵器の責任者としてアメリカ国民に効果を証明しなければならないレスリー・グローヴス将軍は、もちろんそれに賛成していた。

グローヴスは、日本に原爆を大量投下することを計画していた。その数なんと17発。

東京も、もちろん投下目標になっていた。

「いや原爆を落とす場所は軍事施設に限り、決して女性や子どもをターゲットにしてはならない。」

トルーマンは、当時の日記にそう書き記している。

グローヴスは、人口が密集していて殺傷できる人数が多く効果が大きい京都へも原爆を落とすのがいちばんだと主張、京都駅も目標地点に選ばれていた。

しかし有識者や知識人のあいだから「アメリカがヒットラーを凌ぐほどの残虐行為をしてしまう。」「無差別爆撃にあたるのではないか。」と懸念の声があがっていた。

同時に親日派の軍人、ヘンリー・スティムソンが京都への原爆投下に反対していた。

戦後の世論への配慮など議論が重ねられ紆余曲折を経て、人類がはじめて核を解き放つ場所に選ばれたのは広島だった。

「2発目以降は準備が出来次第投下せよ」とのグローヴスの命令があったとされている。

そこからグローヴスの計画では、17都市への連続原爆実戦投下が予定されていた。

原子爆弾の大量投下で日本を壊滅させてそのあと本土へと上陸、火炎放射器や毒ガスやサリンをつかい生き残った人間も全滅させて無血占領するのがアメリカ軍の計画だった。

その名も“オリンピック作戦”と名付けられていた。

それにしても何故、8月だったのか。

気象学者の「8月は統計的に晴れの日が多い」という意見があったので、その意見に従ったのだそうです。

そんな学者の提言で真夏という残酷な季節が選ばれた。

原爆投下後の炎天下の腐乱腐臭地獄、大量のウジやハエの発生はそんな学者の一言で決まってしまったのです。

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『夏の花、文庫版スケッチ』

参照:2019年1月6日『原爆投下知られざる作戦を追う』NHK
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:44| ブログ?