2020年07月28日

寛斎さんのおもいで

山本寛斎さんが7月21日に亡くなられました。

76歳、このいまの高齢化時代ならばまだ若いのか。

コシノジュンコさんに師事。衣装を瞬時に変える歌舞伎の早わざ“引き抜き”を取り入れて、27歳のときにロンドンのファッションショーを成功させて有名になったそうです。

朝一番で「がんばるぞー!」言うて山に叫ぶと噂を聞いたな。とにかく元気でパワフルで情熱的。

師匠の麿赤兒が一度、寛斎さん主催のイベントに出演していた。有名人がたくさん出る『スーパーショー』とかいう派手なイベントだった。

そのイベントドキュメンタリーのなかでの寛斎さんの発言が麿さんの逆鱗に触れたようで、大激怒。

師匠は、ふだんは好々爺然としているけれど、ひとたび火がつくとなかなか止められないのです。

台湾のバスの中で激怒した麿さんが下駄を振り上げて走ってきたときはもうダメだと目をつぶって観念したけれど、いちばん年長の浅田さんが麿さんを前から抱きとめて制してくれて感動した。

これは大切でその後、板橋の稽古場で麿さんが激怒したときに誰かがうしろから止めて「うしろから止められたらわしが悪いみたいだろ!」と背負い投げで床に叩きつけられてた。

麿さんが激怒したあと、寛斎さんからのイベント出演の依頼が大駱駝艦へとやってきた。たぶん麿さんは出演を断ったんだな。

代わりなのかどうかは知らなかったが、出演することになった兄弟子の村松卓矢とじぶんとで打ち合わせにいった。

寛斎さんは、異様なオーラで全身からエネルギーとパワーが溢れでていて対面しているとひとを威圧する迫力があった。

緊張気味に神妙に打ち合わせしていたら「なんか手応えがないんだよなあ・・・なにかこうアイデアを出すとかできないのかな。」とあきらかに不満そうに寛斎さんが眼光鋭く投げかけてきた。

天邪鬼で、言われたからなにか喋るみたいなことが嫌な村松は黙っていた。

じぶんは寛斎さんのことばに焦ったけれど、話しを聞きながら思っていたことを喋ったら「そうそう、そういうことが聞きたいんだよ。」と寛斎さんは喜んでくれた。

本番はどこだったか忘れたけれど大きなホールで1000人の観客が見つめる中、出演者は村松とじぶんの2人で凄まじい緊張感のなかだだっ広いステージで踊ったのを覚えている。

またそういうときに限ってさらに危なくて緊張するような踊りを村松がやろうというけれど、こちらも挑戦したいというこころが常にあるので受けてたったのだった。

そのあと山本寛斎さんには、二度と会う機会はなかった。

どんなに活躍していたひとにも差別することなくやってくる“死”というもの。

人間にとって唯一、平等かもしれない死の訪れなのでした。

合掌。

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『Kansai Ymamoto's small plate』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:16| ブログ?